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村長の資料メモ(2005年)

★12月20日

2005年12月11,12,13,16,17,18日 ヌーヴォー・シルク2005「グリム」北海道公演。場所・札幌メディアパーク・スピカ。
12日(月)に見る。いささか分かりにくい印象を持つ。サーカス・アクトも余りなく、吊りロープ系の技が主なのだが、それもサーカス・アクトとして見せているのではなく、森の中の精たちの動きといった感じのものなので、僕にはいささか物足りなかった。シルク ドゥ ソレイユのスーパー・エクスぺリメンスだったか、蜘蛛のような格好をする、エクブリスト(アクロバット)女性に間違いないと思うのだが、アンジェラ・ローリエの演技も、僕は以前のものが圧倒的に好きだ。というのは個人的なことでしかないが、つまり、彼女の演技の切れのようなもの、それでいて、どこか魔的な印象も今回それほど感じられなかったのである。演出家のギュルコに、僕はモントリオールのサーカス学校で会ったことがあったようだが(彼が覚えていてくれた)、その彼とも少し話したが、もともとサーカスのパフォーマーだった彼が、なぜこのような作品を作ろうとしたか。会ったのが作品を見る前だったので、ゆっくり話せなかったのが残念。

★12月19日

2005年12月14日(水) 読売新聞(M) ”顔” 臨床道化師を養成する塚原成幸さん38才  「入院中の子供にも笑顔を」。
2005年12月17日(土) 上毛新聞 「スリルと笑いあふれる舞台」(サーカス学ぶ生徒が発表会 勢多東)  サーカス学校の発表会の記事

★12月10日

『うえの』 (上野のれん会の機関誌) 12月号(2005年12月1日発行)
"上野へ集合、へブンアーティスト 4P” カラーフォト・須賀一が掲載されている。

★12月6日

『下流社会』/新たな階層集団の出現/三浦展著/光文社新書221/2005年9月20日刊/非サーカス資料
マーケテイングもためというか、10年ほど前は東芝のPR誌を作っていたので、当時であれば、この本は出版されると同時に手に取ったことだろう。そのマーケティングのためと言うよりは、タイトルの下流と言う言葉が気になって読んでみようと思ったのである。かって下層階級という言葉があった。社会の底辺の人々。働けど暮らし楽にならずであり、食うや食わずの状態であり、仕事がなくと言 う時代。経済がどうにもならなくなって、戦争に突入。敗戦。それから、エコノミックアニマルとなって、戦後を突っ走ってきた日本。国民総中流化の時代からバブル期を経て、その崩壊が起こり、10年近くが立ち、バブルの精算にケリがついたような今日この頃。だが実は、階層分離が起こって、豊かな奴は豊かに。その一方で所得の少ない人々が増大しているという時代。わずかな勝ち組が謳歌するという仕組みが出来上がりつつあるのだ。で、多くの人々は、わずかな勝ち組のために働かされるという世の中。この本は、このような現代の状況を分析している。どうすれば、下流からの反撃ができるのだろうか。   

★11月30日

『週刊新潮 20年12月1日号』に ”「最後の蛇女」が初めて語る「見世物興行」50年”
大寅興行社のお峰太夫の話だが、お峰さんは実はサーカス育ち。「〜。ここの家はその当時、サーカスをやっていたんだ。夏の暑い最中、興行先の千葉の佐倉まで母と母の友達と行ったのが、ここに入る始まりだった。〜。」とある。お峰さんは、サーカスでは竹渡り(青竹渡り、衣桁)をやっていたとか。

『夕刊桐生タイムス 2005年11月26日』”日本最大級テーマパークで修業”
サーカス学校・森田智博君が、ディズニーシーのオーディションに受かって、11月24日から、そこで働いているという記事。サーカス学校のほうは、1年休学。        

★11月22

『空より、高く』/重松清作/唐仁教久絵/読売新聞夕刊連載小説
去る11月19日(土)、210回で終了。 廃校になる高校の3年生が、高校最後の祭りを企画、実施するまでに、生徒同士、先生と生徒、あるいは他の大人たち、父親と、徐々にコミュニケーションを作り出してゆく展開。その人間関係が生れてくるのに、大きな役割を果たすのが、実は、ジャグリング、特にディアボロというわけで、これは大道芸そのものを素材にしているわけではないが、日本初の大道芸青春小説かもしれない。話の纏まり方は優しすぎるような気もするが、新聞小説はこんな感じの、楽に、それでいて、翌日の夕刊が待ちどうしくなる展開のものが丁度いいな思う。でも本年いっぱい楽しませてくれると良かったに。

『さようなら、私の本よ!』/大江健三郎著/講談社/2005年9月29日/2,000円+税
久しぶりに大江健三郎の本を手にする。この本は前作、前々作の流れで書かれているらしく、残念ながらその2作を読んでいない。読んではいないが、この新作は、あの9.11のカタストロフィーに対する、大江健三郎という作家のありようを示す作品である。あの大惨事が、この世界を崩壊させる始まりであるという認識、それが新しい世界を作りだす運動になるかもしれないという立場にたって、東京でのビルの破壊、アンビルド(破壊する)を行おうとする人々への、主人公(ほぼ作者自身)の肩入れ。ここまで大江が書いてしまうほど、今、この世界は劣悪なのだと、僕自身も痛感する。
ところで、この本の中にも、一箇所、サーカスという言葉が出てくる。といっても、サーカスについて書いているのではない。
「かれらが大型トラックの荷台に積み上げて来たのは、サーカスの天幕にでも使うことのできそうな、濃い草色と茶色の迷彩を染めあげている大量のシート。」やはり、大江にとっては、サーカスのテントではなく、天幕なのであろう。それにしても、濃い草色と茶色とは、きれいじゃないね。もちろん、ここの文章では、"サーカスの天幕”という文字は、"大量"にかかっているのだから、それがサーカスのテントに利用されるものではないことは、自明の理なのだが。(P389)

『平家物語』/板坂耀子著/中公新書1787/2005年3月25日/760円+税
この本を手にしたのは、当然のことながら、来年の創作ダンス『平家女護が島』のお勉強のためである。ここにも、サーカス関連語が、サーカスそのものに関係なく出てきた。
「おそらくそれは(「諸行無常」の枠組み)、『平家物語』を聴いたり読んだりした多くの貴賎・老若男女の納得のいかない人生や現状もまた、慰撫し容認させるものであっただろう。おそら くそれは『平家物語』の底流に流れる救いであり、変な譬えを重ねるなら空中ブランコの演技者たちを最後に受け止める網であり、非常階段、予備主錨である。(P132)
この予備主錨という言葉がわかないのだが。

『アイドルは"80歳”』/桐谷夫婦の一期一絵/読売新聞2005年5月22日(火)朝刊
1954年に、上野動物園から井の頭公園内の自然文化園に移ってきた象の"はな子”の絵と文章。 もちろん、この象は、サーカスで曲芸をしていた象ではない。はな子は現在58歳で、人間の年にすると、80歳代に相当するらしい。この文章の中で、桐谷逸夫氏書いている、はな子の皮膚を、「はげ落ちた土壁のような肌を眺めながら」と言う文章に、ぼくもそうだよな、像の肌はそんなふうに見えるよなと思いとつつ、象の肌は、茶色と言うよりも灰色だよな、と思う。もちろんここでの桐谷氏が感じているのは、あの象の肌に刻まれている深い皺のようなものから感じたことであって、色は多分、関係ないだろう。さて、もうひとつ、象の話。

『天才!志村どうぶつ園拡大版!!』2005年11月17日(木)/日本テレビPM7:00〜
この番組に、動物と話せるという女性(国籍は聞き漏らした)が登場。映画「星になった少年」にも登場した、湘南動物プロダクションの象のランディが登場。彼女が、かってランディとショーを行っていた、故人哲夢君について、ランディに聞くという映像。ランディが哲夢君のことを覚えていて、それを思いだして目に涙をためるシーンは実に感動的であった。だが、このランディが湘南動物プロダクションに来る前に、相当、痛めつけられていたという話の中に、その以前居た場所がサーカスだったという話しが出てきて、うーん、残念と感じる。サーカスで ショーを見せている象すべてが酷い扱いを受けているわけではないが、そうした事実もまたあって、それでサーカスのイメージがまた悪くなってしまうということが残念であり、無念でもあるのだ。

★11月8日

『子午線の祀り・沖縄』/下順二戯曲集W/岩波文庫/1999年1月18日初版/600円+税/非サーカス資料
高瀬清一郎『近松からの出発』で、群読の壮大な叙事詩劇として出てくる。群読と言う手法ではないと思っているが、シアターXで「平家女護が島」上演際、やはり状景説明にある程度の説明が必要と思っていて、その参考にと、「子午線の祀り」を読む。考えるに、情景説明といっても、単に物語に添った説明だけではなく、この作品を上演する意図を、その説明のなかにどのように書き込むことができるか、そのあたりの解決方法を探らなければならないのだろう。まさしく子午線という天体の動きについて書き込むことで、木下順二が己の「平家   物語」を描いたように、シアターXでの「平家女護島」とするためには、この子午線を見つけなければならない。

★11月2日

朝日新聞E(夕刊)/2005年10月14日(金)/福間健二の詩「十月の恋」
    恋に落ちても
    秋だ
    橋の下を通る線路を見た
    ぼく以外はだれも気づかないのか
    地面にキスしながら倒れている
    サーカスの友人
    断片と
    悲鳴だけが残る国の     廃校のような駅を出た列車からとびおりて
    幾十年たつのだろう
    「帰れ、帰れ、と言われても
    帰るところはない」
    ささやく古傷のために
    まっさおに疲労して
    澄み切った空の下
    なぜかたいての恋が報われない
    この十月の、すみっこのベンチだ
    走ってきて腰かけて遠い物語を読み
    あたりが静まりかえると
    きみはあわてて立ち去ったけれど
    ぼくはここに何種類かの
    死をおいて、立ち上がって
    きみの夢の中に張られたロープを渡ってゆくよ

     *中原中也の詩を思い出して、再読してみてください。

朝日新聞M(朝刊)/2005年10月18日(火)/天声人語
▼作家の安岡正太郎さんの通っていた中学は、九段の靖国神社のとなりにあった。春と秋の神社の祭りには、境内に大小様々の天幕が並び、サーカス団もやってきた▼テントのかげに、肋骨が見えるほどの老馬がつながれていた。いたいたしく見えた馬だが、いったん舞台に出るといきいきとして、長年鍛え抜かれた巧みな曲芸を見せた(「サアカスの馬」『安岡正太郎』岩波書店)
この文章は、小泉劇場の小泉マジックがいまや、司法の意見の判断も軽くみているようで、「小泉サーカス」の危うさが際立って見えるという文章に持っていくために、引き合いに出されているのが、ぼくは余り気に入らない。 サーカスということばが、あやういものの代名詞に使われることに釈然としないのである。
サーカスは訓練に訓練を積み重ねて行うものであることを知れば、ただやれるかもしれないという、安易な気持ちでやっているのではないことに、すぐにでも思い当たると思うし、それだからこそ否定的な意味合いで使うべきことばではないように思うのだが。

★10月30日

『近松からの出発』/高瀬清一郎著/演劇出版/1995年5月30日/新装第一版/3,800円(本体3,689円)
一昨年シアターXのIDTFで、創作舞踊『へいせいの伊右衛門』を行い、来年は現在浄瑠璃『平家女護が島』を行うことになり、あれこれ読み漁っている内に、手に取った本だが、読むうちに、なんと無謀な作品をダンス劇にしようなどと考えたのかと、冷汗が出ることしきり。
ところでこの本の中に、ちらりとサーカスに関係している文章があった。ひとつは、歌舞伎十八番のひとつ『象引』の話。これは、享保14(1728)年、象が長崎に到着、その象が江戸まで来た話だ。この本では「抜け目のない歌舞伎役者がさっそくこれを取入れて上演した」とある(P49)。サーカスもまた流行にかなり敏感だったことを考えあわせると、日本の興行もののひとつの特徴を表しているかもしれない。またP361には、「後代の鳥居清峯が元祖清信を偲んで描いた、有名な荒事『象引』の絵がある。市川団十郎と中山平九郎が象をつかんで引き合うの図で、この役者たちは、手も足も太く、モリモリとこぶのように盛り上がって描かれている」と書かれている。
もう一箇所は、P60に、「真白なぬり立ての顔、それは丁度、西洋のクラウン(道化)のような、あのフランス映画『天井桟敷の人々」、ジャン・ルイ・バローが演じたバチストのように、真白で無表情の顔」とある。まあ、これだけ引きだして書きとめておいてもあまり意味はないかもしれないが、歌舞伎での真白なぬり立ての顔というのを、じっくり心に留めておきたい。

★10月28日

『綱渡りの男』/モーディカイ・ガースティン著/川本三郎訳/小峰書房/2005年8月27日発行/定価1,600円+税
1974年8月7日に、今はない、ニューヨークのあのツインタワー(世界貿易センター)の2棟の間にワイヤーを渡して、綱渡りしたフランス人フィリップ・プティの実話の童話。いいよね、こういう話は。しかも裁判で裁判長が、本当かどうか、今後は「町の子どもたちのために,公演で、綱渡りをするように」といったとか。 

★10月27日

『バースト・ゾーン 爆裂地区』/吉村萬壱著/早川書房/2005年5月31日発行/1,600円+税/非サーカス資料
ピカレスク小説ならぬグロテスク小説。とにかくハヤメチャな物語なのだが、なぜかリアリティを感じる。この小説の圧倒的な暴力、奇想天外さにリアリティを感じるというのは、それだけ現実社会が暴力、テロに満ち溢れているからだろう。それにしても、最近はこの手の、というのは、暴力に満ち溢れた小説が多い。

★10月25日

『俳句修行』/小沢昭一著/朝日文庫/2005年10月30日初版/500円+税(非サーカス資料)
小沢先生が、あちこちの俳聖が主宰する会に、「たのもう」と、俳句のお手合わせに武者修行されるお話しで、もちろん、小沢先生はじめ、多くの方々の句を沢山楽しめる一冊。
残念ながら、サーカスを詠んだ句はありません。小沢先生のこれまでの作品にサーカスの句があったかなと思いつつ。先生はいつもご著書を贈ってくださるので、恐縮です。

★10月21日

『現代民話考1 河童・天狗・神かくし』/松谷みやこ著/筑摩書房ちくま文庫/2003年5月7日刊/1,300円+税/サーカス関連
”神かくし”のところに、サーカスにさらわれた子どもに関係するような話しがあるかと思ったが、それは見当たらなかった。どうやら”天狗”が人さらいでは最も活躍している。”天狗”のところでは、宮城県白石市小原下戸沢の六角バス停付近に、ガマ仙人の碑が立っており、「竹田翁碑」と彫られているとのこと。この俗称蟇仙人は、刃渡り、火遁、探湯(くがたち)の術をもって、北海道から朝鮮まで渡り歩いたとある。(出典 沢史生著『みちのく白石物語』 図書刊行会)
『東京湾が死んだ日 ルポ京葉臨海コンビナート開発史』/増子義久著/水曜社/2005年9月13日刊/1,600円+税/非サーカス
昭和30代に始まった京葉コンビナート開発に伴う、漁業権を買い取られ、その後、”海”を奪われた漁民たちを描き、大資本がいかに日本国土を破壊し、人々を殺してきたか。
このコンビナートの延長に、ディズニーランド、ディズニーシー、さらには東京アクアラインがあると論じられると、そのような場所でイベントを行い、お金を頂いているぼくらにしても、無関心でいることはできないと思う。

★10月13日

『早春賦』/羽澄不一著/2005年10月4日刊/シャーロック・ホームズ細大の試練刊行会/2,600円
サーカス資料館に寄贈していただいた作品。二十世紀茶利音曲芸団というサーカス団が出てきて、いろいろ活躍する小説だが、小説と言うよりも作者の文明批評、哲学といってもいい本。読みたい人は、連絡を。

★10月12日

『アナキストたち<無名>の人々』/向井 孝著/「黒」刊行/同人 2005年8月6日刊/1,500円+税/(非サーカス資料)
跋文を書いている小沢信男さんからいただく。明治、大正そして昭和と、無名のアナキストたちの後を辿った本、記録である。無産者としての運動者の息づかいが聞こえてくる。
サーカス資料館を作って、資料をそちらに移したとき、その資料から解放されるというか、これで”資料の私物化”から逃れれると思ったが、そんなプチブルがひっくり返っただけのようなものではない、無産者の意識。

★10月4日

この間読んだ本など、書き込んでいないのでまとめて。但し非サーカス資料。
『キューバを知るための52賞』/後藤政子・樋口聡編著/明石書店/2002年12月25日刊/2,000円+税
キューバの関心のある人、またキューバに旅行した人には、お勧めの本。同じく次の本もお勧め。
『有機農業が国を変えた』/吉田太郎著/コモンズ/2002年8月15日刊/2,200円+税
『現代民話考6 銃後・思想弾圧・空襲・沖縄戦』/松谷みや子/ちくま文庫/2003年9月10日刊/1,400円+税
『現代民話考2 軍隊・徴兵検査・新兵のころ』/松谷みや子/ちくま文庫/2003年5月7日刊/1,300円+税
この2冊は、実は書かなければならない『俊寛』を思いつつ、目を通したのだが、その関連はうまく見つけられないでいるが、毎年、8月には読み返そうと思っている。戦争とはなにか、反芻して考えるのに欠かせない記録であろう。南京虐殺で人数が問題になったりしているが、ひとりの中国人の首を刎ねたり、ひとりの人間を強姦し殺したり、人体実験につかったりという事実があること、そのために日本人が軍隊に狩りだされ、その兵隊となった人々が沖縄で民間人を殺したことなど、そのひとつひとつが戦争そのものを否定する根拠にならなければならないはずだ。その意味で、毎年8月に読み返して、自分のなかに戦争がどのようなものであったか、自分なりに認識していかなければならないとおもうからだ。 この『現代民話考』は全12巻。ゆっくり全部を読もうと思う。 

★9月7日

『ちび象ランディと星になった少年』/坂本小百合著/文藝春秋社/2004年3月3日刊/1,300円+税
7月16日に封切られた「星になった少年」の原作。現在、「市原ぞうの国」を運営している著者坂本小百合さんの長男哲夢君がタイに留学し、日本で始めてのゾウ使いになったドキュメ ントだ。本来集団で行動する象が日本では、ほとんど1,2頭で飼われている不自然さに注目し、年老いた象の老後を過ごせる施設を作る夢を持ちながら、わずか20才で交通事故にあ い、死んでしまった哲夢の物語。この物語を、単なる夢を持ち、その道に邁進した青年の物語としてのみ読むのではなく、象とその象を取り囲む環境、動物園、あるいはサーカスの動物 たちのことも考えながら、ぜひ、読んでもらいたいと思う。象と話のできる(これは本当の話)哲夢君、そういう人がいることも、ぜひ、知ったもらいたい。

★8月22日

8月22日(月) 非サーカス資料   倉橋由美子作『残酷劇場』 先日、なくなった倉橋由美子の作品。2003年9月30日刊 講談社 1,600円(税別)。
これが久しぶりの面白いというか、最近流行の妖怪モノとは比べ物にならないほど、残酷=怪談小説であった。倉橋女史はひょっとするとひそかに地獄へ遊びにいっていたのではないか。閻魔大王とは友達なのだろうと思った。あるいは、彼女に聞けば、鬼界島で、老いさらばえ、餓死したかもしれない俊寛が、今、地獄でどんな生活を送っているのか聞くことができたかもしれないと思ったりするのだが、彼女はすでに地獄へ行ってしまった。なんせ、地獄通の彼女、天国行きなど志願するわけもないので、今頃、間違いなく、地獄からこの世を覗いたり、あるいはひらりとこの世に戻ってきて、どこかで悪戯をしていることだろう。倉橋さん、時間があったら、私のところにもやってきて、ぜひ、俊寛情報を。

★8月15日

8月14日(日) 東京新聞の”人生の唄”が聞こえる”に、ノンフィクション作家の橋本克彦氏がインタビューしてくれたサーカス村の記事あり。”「夢」実現へ100年構想”。
8月15日(月) 来年のフール祭に招聘するかもしれないLAURA HEARTSの”AWON WOMAN SHOW”のビデオを見る。1時間10分以上のクラウネスの作品だ。なまの舞台を見た大野洋子さんによれば、彼女自身は気に入ったが、ヨーロッパでは一部の男性には余り評判がよくないということだったが、男がなんとなく嫌がるほどそれほどあくどいとは思われない。クラウン芸の基本をいくつかつかっているが、それもむしろ導入部分で、それをしつこく見せているというのでもない。中心になっているのは、彼女のミミック(百面相)のテクニックだ。ケラケラ笑って見て楽しむことのできる作品と思うし、実際に目の前で見たら、かなりの迫力を感じるのではないだろうか。

★7月25日

7月25日(月) 今年3回目になる北海道ルスツリゾートのサーカスショー"ワールド空中大サーカス”のメンバーは以下の通り。期間2005年7月16日(土)〜9月4日(日)
サファルガリーナチームのトリオジャグリング、エンリカのヘアスイング、スベトラーナの空中リング、ボゴダス&デミトリの空中ストラップ、スタウベルトのパーチ、オリガ&スベェトラーナの空中ロープ、マヤのフライングトラピーズ、クラウンのヴァシーリ&スタニスラフ。
今年2回目のとしまえん”空中大サーカス”は、ボエボダファミリーのロッシャンバー、マリアの空中ロープ、ボーリャのクラウンという構成。

★7月25日

7月25日(月) 池内紀編訳『象は世界最大の昆虫である ガレッテイ先生の失言録』/白水社Uブックス
これは、クラウンのネタ本になるというか、この失言からクラウンの身振りを思い浮かべることができるし、またその身振りをつくりだすことができるのではないか。失言は、誤解というか認識の誤りというものではない。失言は、理由があって失言となる。失言には、論理があってそこから導き出されて、その失言が生まれる。そのあたりが見えて面白い。

★7月8日

7月8日(金) ノーラ・レイ「ナポレオンの撤退」(ビデオ)を見る。これはノーラの2004年作品で、以前、途中までしか見ていなかったものを見直す。ナポレオン軍がソ連侵攻に失敗し、冬のロシアの大地から撤退しているシチュエーション。表題はナポレオンとなっているが、ノーラはナポレオンを演じているのではなく、ナポレオンつきにコックの兵隊である。その兵隊が、ナポレオンの真似をして、いろいろと演じるという仕掛けだ。圧巻は、ナポレオンの演説がヒットラーの演説に重なっていくシーン。だが全体的に暗いというか、もうひとつ、壊れたところがないという気がしないでもない。さすがノーラというところは随所に見られるのだが。来年(2006)のフール祭招聘作品候補ではあるのだが。さて、どうしたものか。

★7月8日

『空中ブランコ』/奥田英朗著/文藝春秋社/1,238円+税/2004年4月25日発行/131回直木賞受賞。
空中ブランコのフライヤーが、キャッチャーの手を掴めなくて落下してばかりいる。で、人間不信、不眠症になり、精神科医にかかるお話で、医師伊良部一郎のある種めちゃめちゃの治療方法で、患者が立ちなおるという短編集で、表題のほかに、「ハリネズミ」「義父のズラ」「ホットコーナー」「女流作家」などが収録されている。今風にいえば、癒し系小説ということになるかもしれないが、正直、それほど面白いとは思わなかった。漫画チックなところがいいのかもしれないが、どっぷりサーカスに浸かっているぼくには、その漫画チックなところが物足りないといえばそれまで。だが作者は純粋なサーカス小説を書いているのではないので、この批評は的外れということになるだろう。
5月27日(金)、フジテレビ(あのシルク ドゥ ソレイユを興行している!)金曜エンタテイメントで、テレビドラマ化。主演阿部寛 演出村上正典 脚本橋本裕志。
こちらはなかなか面白かった。というのも、小説「空中ブランコ」を忠実に映像化したのではなく、先端恐怖症になってしまったやくざを描いている「ハリネズミ」の話と、二作品を混ぜ合わせてた上に、さらに自分が美しいと勘違いしている女優志望の女性を登場させたり。さらには伊良部医師をデブから痩せた阿部寛にやらせたりと、作品をかなり膨らませ立体化させ、それに成功してたからだ。まあ、テレビ的に面白おかしく作り変えたともいえるが、それだけに笑える場面も多く、楽しめた。放映を見損なったので、安部保範氏からDVDを頂いて見た。

★6月27日

『風味絶桂』/山田詠美著/文芸春秋/2005年5月15日/1,229円+税
「職人の域に踏みこもうとする人々から滲む風味を、私だけの言葉で小説世界に埋め込みたい」と願って書いたという短編集。
ここでいう職人というのは、宮大工や古いままの農具、真っ赤に焼いた鉄を叩いて鎌や鍬を作っている職人ではなく、たとえば鳶職の見習い、清掃職員、ガソリンスタンド、引越し屋、下水道の清掃員、それに火葬場で働いている親父といった人たちだ。そんな人々とそんな人々を好きになってしまった人々との生活、その生活の中でそれぞれの人々が何を感じて、どのように生きているかを描いているのだが、これが、けして激しく燃え上がるというものではないが、静かに脈打っている生そのものを浮かび上がらせている。
風味絶桂というのは、森永のミルクキャラメルの箱の宣伝文句。滋養豊富 風味絶桂
まさしくこの短編集は、滋養豊富 風味絶桂だ。映画になったら面白いだろうな。もちろん、オムニバス映画だ。2作づつつくって、3本。

★6月26日

『道化の目』/小田島雄志著/白水Uブックス/白水社/2001年8月10日発行/950円+税
前から読もうと思っていた本で、なんとなくそのままにしていたのだが、近いうちに関西短期大学でクラウンの講義をしなければならないので、勉強しておこうと思って目を通した。シェイクスピア学者の小田島先生の道化についての考えと、サーカスのクラウンとはいくらか距離があるかも知れないと思いつつ読む。小田島先生にとって”道化の目=自由な目”であり、そのような感性を、先生は求めているとのこと。サーカスのクラウン、あるいはクラウン、道化としてステージにたつものは、小田島先生がこの書物でとらえているよりも、もう少し野暮ったく、もう少し馬鹿らしく、もう少し野卑なエネルギーに溢れているような気がするが。先生の道化像は高尚すぎるとまではいうつもりはないが、もっと、どこか壊れている世界に住んでいるクラウンを、僕は求めていることが、この本を読んで気がついたことだ。

★6月16日

『靖国問題』/高橋哲哉著/ちくま新書/筑摩書房/756円(税込み)/20005年4月10日発行
 話題の一冊。これは多くの人に読んでもらいたい一冊だ。靖国神社というものがどういうものかよく分かるし、そこに祭られている人は、みんな神様になっているということがどういう意味なのかも分かる。神様を仏様といってしまう小泉首相も読んだほうがいいと思うけど、読んでるのかな。

★6月14日

映画『盗人の王様』/イヴァン・フィラ監督/05-6-7(火)/鑑賞 有楽町朝日ホール
6月4日から12日まで行われたドイツ映画際2005で上映された26本もの中の一本で、盗人の大様ならぬサーカスの王様に憧れる男の子が姉さんと一緒に、空中ブランコのキャッチャーで、元サーカスの団長と思われる男に騙され、少年盗賊団の一員にさせられるという、物語。ACCの辻、大野、大須賀さんらと一緒に見たが、見終わった後、皆、暗い気分になってしまった。
騙された姉弟(といって、彼らを売り飛ばすのは親だが)がウクライナの寒村から買われてゆくという発端。それが事実かは分からないが、ウクライナに五人囃子を連れてツアーした経験のある僕には、人買いが実際に行われているかどうかはわからないが、映像のような寒村はいくつも目にしているし、ベルリンのどこか、あるいは東ベルリンの廃虚のような建物、その中には建てられているサーカステントという情景を、昨年5月にベルリンで見ているのだ。その、今は公演をしていないサーカステントとキャラバンハウス、あるいは廃墟となっている建物の一室に住む、団長の奥さんかあるいは恋人か、彼女は団長とペアを組んでいたブランコ乗り(フライヤー)が演技中に落下して、今は麻薬を必要としているというのも、サーカスのある局面を捉えていて、心痛くなってしまう。
こうやって書いてゆくと、映画そのものについてよりも、僕の感情的な印象が先走ってしまうが、持てる国、高度成長した国のなかの退廃した社会の中で、子どもたちの盗賊団を作くりサーカス再興の資金を稼ぎ出そうとしている男の生き様は、それが悪であってもこの世の中では誰もが試みないとも限らない手段ではないだろうか。
それに失敗し、最後には油をまいてテントを燃やし自殺してしまう元団長は、この世ではそのようにしか生きることができない現在人の姿をは象徴的に表現してといえるだろう。
売春婦になった姉、盗人のテクニックを覚えた姉弟が、たとえ一旦、村に帰ったとして(映画は村に通じる道を駆け下りてゆく絵で終わっているが)、彼らが再び村の貧しい生活に耐えることができるとは思われない。彼らは再びベルリンに出るに違いない、、、。そう思えるからこそ、この映画はある意味では徹底的に暗いのだ。しかも、僕らにとって、ものすごくリアルな作品なのだ。

★6月14日

『中世悪党傳 最終篇 誰がために鐘は鳴る」/原作・寺山修司/脚本演出・白石征/遊行舎+シアターX提携公演/6月11日(土)18時30分 観劇
残念ながら、三部作であるこの作品、ぼくはこの最終篇しか見ていない。昨年、遊行寺本堂で『小栗判官と照手姫』を見せてもらい、それが面白かってので、今回はぜひ見なくてはと思って出かけた。面白かったと、まず。滅びゆくもの、敗者がこの世で権力を握ろうとするものに憑りつき、その者をまた敗者の泥沼へと引きずりこむ、それもそうした人々の権力への我執へといわば論理的に憑りつき、死者の国へと引きずり込むという認識に裏付けされた作品なのだ。
白石氏は、「その犠牲(南北朝の戦乱の)を象徴する彼らヒーローたちの没落、滅びを通して芸術、演劇の原点ともいうべき中世芸能が生みだされいく」という認識の下、さまざまな中性ものを作品化しているが、「一度滅び去った敗者が、不死として芸能にすがたを変えてこの世に現出する」、その現出する芸能こそが今求められているのに、そのような作品が現代に現れないことに歯軋りしながら、中性ものを描き続けているのではないかと思う。
 公演のパンフレットのインタビューの最後に、白石氏は、次のように発言されておられる。
「わが国の敗戦体験をとってみても、あれだけ悲惨と死をもたらしたながら、滅んでいった人たち人たちの思いを、ほんとうに芸能化し得てきたのかというと、とてもそうとは思えません。その危うさが芸能のレベルでいっても、平和憲法というものが、単に戦争の延長ということではなく、私たちのなかに芸能化として息づいていないということになるかもしれません。
その意味で、敗者(死者)の憑依をさらに構造化し、様式化していく必要があるような気がしています」
これは、まさしく僕たちに突きつけられている問題ではないだろうか。戦争責任者のひとりとして敗者である東條英樹元首相の怨霊が非論理的な暴言で靖国神社に参拝を続ける小泉首相に憑りつき、ひょっとして、8月15日に参拝した後、小泉が引退したならば、まさしくそれは東條の怨霊のなせる業にちがいない。さて、その時、芸能は、白拍子はどこから現れ、ゆらゆらと舞い踊るのであろうか。そんな白昼夢を見たいものである。

★5月30日

テレビ番組2005年5月22日 TBS「世界ウルルン滞在記 綱の上で走る!飛ぶ!座る!韓国・人間国宝綱渡り」
野毛大道芸(2001年)年に来たこともある、金大均(キム デギュン)氏のチュルタギを、タレント西興一朗が学ぶ。ドキュメンタリーとしても見れるいい番組になっている。

★5月23日

岡部文明展/2005年5月17日(火)〜5月22日(日)/於府中市美術館
177日に見に伺う。久しぶりに岡部氏に会って、いろいろ話をする。ぜひ一度、サーカス村に来ていただきたいとも。最近、氏は、ブリューゲルのような(これは僕の印象でしかないが)世界に足を踏み入れているようだ。ブリューゲルの絵は、間愚かしさとともに人間としての命を謳歌しているような気配があるのだが、岡部氏もまた、この戦争の時代に、人間の愚かしさと希望(クラウンの生き方)を見ているのかもしれない。

三岸好太郎・生誕100年画集/2003年出版
府中市美術館で入手。 三岸好太郎には、道化の時代という時期がある(1929年から足掛け5年)。上海で見たサーカスの道化から題材を得たと、同画集のなかで、苫名真氏が書かれている。かなり暗いタッチの油彩だが、同時に描かれている道化の表情には、どこか毅然としたところがある。

  『笑いの力』/岩波書店/河合隼雄,養老竹孟司,筒井康隆/2005年3月16日発行/1,300円+税
2004年11月14日、小樽市市民会館で行われた「絵本・児童文学研究センター」主催第9回文化セミナーで講演した3氏の話とその後行われた、工藤左千夫、三林京子氏を交えた対談が収録されている。これが楽しい本だ。アホな話に溢れている。

『あらすじで読む名作能50』/世界文化社(ほたるの本)/多田富雄(免疫学者)監修/2005年5月1日発行/1,800円+税
来年のシアターXでの第7回IDTFのメインテーマがとりあえず「幽霊の詩」という、ややこしいもので、これはすこし能のことを知らなければと思い、購入。読めば、なるほど楽しいというか、いろいろ勉強になる。第6回では、四谷怪談を素材に、「平成のIEMON」という、これまた四苦八苦したものを作り、その延長とい  うか、次にどのように進むかというのがあり、とりあえず『平家物語』に素材を求めようとしているので、当然、能も勉強しなければならないという、なにやらストレートすぎる関係もあり。

★5月16日

2005年5月14日(土)日本テレビ「世界!超マネー研究 ビックリマル秘お仕事」で、木下サーカス、中国呉橋雑技芸術学校、領民雑技団(在日中国雑技団)放映される。呉橋雑技学校がものすごく大きくなっているのにビックリ。この番組を作りる当たって、なんでも中国で雑技の故郷=呉橋のビデオが発売されていて、それを見てとのこと。このビデオを知っている人教えてください。

★5月16日

5月11日、サーカス村協会の安部氏から空中ブランコ墜落死に関して、下記のようなメールを頂いた。

安部です。
空中ブランコからの転落死については、ネットで知りショックを受けました。私の会社でも年に1人や2人、高所からの転落で亡くなられる方がいらっしゃいますが、いたたまれない事故です。
サーカスの安全基準についてふと思い出したことがあったのでお知らせします。
ご存じのことかもしれないし、今回のことには直接関係ないので参考にはなりませんがご容赦を。
労働省婦人少年局が1948年と49年に行った調査報告書があります。
『サーカスに働く年少者』
これは年少労働者保護の立場から、労働省が全国のサーカス団の実態調査を行ったその結果報告書で、具体的には安全、衛生および福祉の見地から、賃金、労働時間、休日、入団経路、家族、教育など様々な項目の調査が実施されました。サーカスに働く年少労働者がきわめて特殊なことから、サーカスの危険有害業務の制限を目的に、ひとつひとつの演技に関して問題点を明確にした上で厚生省と打ち合わせて危険な技芸の禁止事項を設けました。
例えば「撞木上の曲藝」の項では、(1)大一丁、小一丁(2)二丁撞木(3)刎ね板(4)空中飛行が対象となって調査され以下の結論となっています。
この種の曲藝に関しては労働基準法の解釈上厚生省児童局とも打ち合わせの上次の通りとした。(昭和23年5月1日附基発第677号)

  1. 満15才未満の者(義務教育を終了した満14才以上の者を含まない、以下同じ)については禁止する。
  2. 満15才以上満18才未満の者(義務教育を終了した満14才以上の者を含む、以下同じ)及び女子については、5m以上の高所におけるこの種の演技は禁止されるが、安全ネットの設備がある場合においてのみネット5m未満の高所におけるこの種の演技を認める。

これは『女子年少者労働基準規則(昭和22年労働省令)』がもとになっているようですが、本規則は今は『年少者労働基準規則(昭和29年労働省令)』となっていて、内容としては年少者保護の観点から業務に照らし合わせて種々の就業制限、あるいは就業禁止を記してあります。
また児童福祉法(昭和22年法律)の第三十四条には、・・・高さが五メートル以上の場所で、墜落により労働者が危害を受けるおそれのあるところにおける業務は禁止・・・と書いてあります。
以上は児童に関することなので、今回なくなられた方(28才?)とは年齢的に関係ないかもしれませんが、法律の立場からではなく、危険と隣り合わせのアートについていろいろと考えさせられる事故です。

★5月4日

『美しき野蛮人、バルタバス』/ジュローム・ガルサン著/増澤ひろみ訳/河出書房新社/定価2,000円
現在東京で公演中のジンガロの主宰者バルタバスの物語。
バルタバスと馬の関係というか、彼は馬に乗るというのではなく、馬に入るというそうだが、その意味がよくわかる書物。馬に自己を発見したというか何故あれほどの馬に見せらたかが分かると同時に、芸術、表現に対するバルタバスの考えが見えてくる。それはひとつの孤高の美学だが、同時に、商業主義に迎合しないアーティストの魂の叫びのようにも思える。

『サーカス団長の娘』/ヨースタイン・ゴンデル著/猪苗代英徳訳/日本放送出版協会/定価1,600円+税
『ソフィーの世界』の作者によるもの。サーカス団長の娘というタイトルだが、サーカスそのものの話ではない。
しかし小説としてはとても面白いので、ぜひ、一読を。
次から次へと頭の中に物語が湧き出てきて、それを吐き出さないことには気が狂ってしまうかもしれない男が物語るひとつが、サーカス団長の娘。幼い頃、巡業先でいなくなってしまったサーカス団長の娘が、ブランコ乗りになって、その団長のサーカスに入る。だが演技中、あることに気がついた瞬間、バランスを失って墜落。その時になって団長もまた彼女が自分の娘だったということを知るという悲劇が、実は、この物語全体の悲劇的結末とクロスしているという物語。

★4月9日

ソロ道化シリーズ第4回フールB(2005年4月7日)於東中野planB

ふくろこうじ:
傾いた椅子と机を使った舞台。30数年前、故内田栄一脚本の『吼え王クソーツク』の舞台を思い出していた。その時、大きな観音開きの洋服ダンスを舞台中央にセットしたのだが、この洋服ダンスが傾いていた。この洋服ダンスは、網走の海岸に流れ着いた洋服ダンスという設定ではなかったが、廃品のイメージは強かった。この傾いた洋服ダンスは長らくぼくの部屋を占拠しており、当時、ぼく自身かなり傾いたまま、部屋の中をうろうろしていたのではないかと思う。
ふくろこうじは傾いた椅子に座り、傾いた机に目線を投げかけ、その傾きに慣れようとしていたが、そこは一気に一線を越えるべきではなかったか。その一線を越えたところでなにが起こるか。描くべき世界はそこにあるのではないか。そこの抜けたバックを潜り抜けたりかぶったりというのが、傾いた世界と連動しているとは思えなかった。それが傾いた世界との通底器であるならば、そのバックの出入りを、それこそ、こうじの持つ身体の動きで表現すべきではなかったかと思う。落ちは必ずしも必要ないが、表現している世界の異常性に観客を引っ張り込みきれていない以上、もうひとつなにか落ちが欲しかった。

安西はぢめ:
大陸から引き上げてきて、どこかの施設で寝たきりになっている祖母の見舞いに来ている孫という設定らしかった。らしかったのいうのは、こんなボランティアいやだよ、と言った台詞が出てきて、他の台詞と矛盾しているように思えたからだ。二胡を聞かせるのだから、もう少し曲をひいてもよかったのではないか。
フールBにでるというので、お話をつくってというのであれば、話しもおもしろくなければならない。

加納真美:
半ばカビのはえた、女の日常生活の点描。ファンが口にする加納ワールドではあったが、ぼくはこれでいいとは思わない。社会にむかっての毒、牙といってものが欲しい。それがひらきなおりでもいいが、たとえば加納ワールドに共感する人々に対して、私はここまでマイナーなのよ、あんた、ここまで、ずっこけてみなよといった毒がほしいのだ。

三雲いおり:
自殺名所を、公団かなにかの施設にしてしまう発想はさすが。そして見ている間というか聞いている間は面白のだが、最後の”まくり”がない。
短絡的な提案だが、たとえば、最後に観客全員を、既に自殺した人にみなして、幽界のバスの運転手になって、あの世の観光地からこちらの世界の自殺名所へやってくるなんて手もあるのではないか。

★4月7日

在日のモンゴルのクラウン・ハタンバータルさんからいただいたビデオテープの中身。
一つは、2004年4月14日、北朝鮮の第22回世界芸術祭のもの。もう一つは、2004年10月のモンゴル・ウランバトールで行われた北朝鮮のサーカス公演。まず、北朝鮮の世界芸術祭のテープには街頭パレードなども入っているが、とりあえずはサーカスに限ってメモをとっておく。会場は、ピョンヤンの国民大劇場(?)

  1. 一輪車(低・中・高)の乗りわけとサドルのない輪だけのもの
    男1人。国籍不明。演技的には、見慣れたもの。録画演技の一部
  2. ファイヤー・コミック・ジャグリング
    火が洋服についたりする男1人。国籍不明。録画演技の一部。
  3. ハタンバタールのクラウン芸
    さくらをつかったサッカーボール。 
  4. 一人相撲
    男1人。国籍不明。録画演技の一部。
  5. 大きな輪の中にグラスを置いて、それを振り回すもの
  6. 男1人。国籍不明。録画演技の一部。コミック的にやっているが、録画時間が短すぎてなにをやっているかわからない。
  7. 女性に大きな服を着せ、腕は自分の腕を通し、彼女がジャグリングをしているように見せるコミック
  8. 男1人客1人。国籍不明。録画演技の一部。
  9. ハタンバタールのクラウン芸
    客を使った演奏会客・男3人女1人。北朝鮮の観客にバカ受け。
  10. アクロバット
    男女ペア。国籍ロシア。かなり高度の演技と思われるだけに、録画時間が短すぎて残念。
  11. トラッピーズ
    女1人。国籍不明。これまたものすごくレベルが高い。背側にブランコが振りきれたときに一回転し、膝の裏にバーをかける技を連続して5回ほどする演技は初めて。
  12. 演奏付ジャグリング
    男1人とフラメンコを踊る助手の女性と2人。国籍不明。ギターの形をした道具を、棒術のごとく振り回す。またそのギター形道具をマジックで宙に浮かせたかと思うとドラムと筒でローリングバランスをしながらパーカッションをやったり、額でのバランス芸を見せたりと、なんとも独創的なもの。
  13. 縄跳び
    男女混成 北朝鮮。男が4人、懸垂の体勢で交互に重なり、縄跳びをする演技は相当なもの。そのほか、3人積みに縄跳びも。
  14. 一本ロープ、ブランコの口を使った差し芸
    女1人。北朝鮮。これも見ごたえがある。最後に、その時は差し芸は行っていないが、2回転で、その後、足の甲でバーにひっかかる演技はすごい。
  15. シーソーと飛び出しブランコを使ったもの
    北朝鮮 男女混成。これはすごい演目。シーソーは韓国語のノルティギ。これは朝鮮の民族的な遊具だ。かつて中国の国際雑技芸術節で見たことのあるノルティギは、飛び出しブランコを使わず、その左右で人間が跳ね上がって、どんどん高く上がっていくのを見て感動したことがある。飛び出しブランコを使えば、高く飛び出し落下し、その力で反対側にスタンバイしている人を空中高く放り出すことが可能で、これはうまく二つの道具を組み合わせた演技といえるのだが、ぼくは、単純なノルティギが好きだ。それにしても人間4段の上に5人目の女性が飛び上がり、その女性が倒立で支えられる演技は感動ものだ。
  16. コミック・ジャグリング
    男2人。空中ブランコセットのためのつなぎ。特に面白さなし。北朝鮮
  17. 空中ブランコ
    女3人男7名の大編成舞台。中央の2段のキャッチャーを中心に、上手の飛行台、下手のキャッチャー全員が動いて、次々にフライヤーを飛ばす演技にはビデオで見ていても感動させられる。
  18. タイトロープ
    北朝鮮 男3人。いわゆる綱渡りだか、ピンときつくはったもの。これも朝鮮の民族芸能の一つである、ナムサダンの綱渡りをサーカス的に近代化したもの。ナムサダンの綱渡りは、当然のことながら、バネなどは使用していないが、この北朝鮮の綱渡りは、左右の留まりにバネを仕込み、ロープの上で跳ねやすくしてある。同じタイトロープでも、ワイヤーのものはきつく張れるが、こちらはそれほど跳ね上がることはできないが、それでもかなり跳んだはねたりできるし、ロープの上での回転も床よりはやりやすい。とっいてもロープの上だ。ロープの上の着地が難しいのはいうまでもない。
  19. 山羊と猿の動物芸
    北朝鮮。古典的な動物芸。いいな、こういうのは。山羊と猿とか馬と猿とか。
  20. 漫才
    北朝鮮。男2人。わからない。
  21. マジック
    北朝鮮。箱物。長剣を何十本も差すもの。きちんとビデオを見ていない。

ウランバトールでの公演 2004年10月
ハタンバタールがモーニングを着て、司会をしている。オープニングは、北朝鮮のアーティストをひとりひとり紹介するのだが、そのあと、アーティストがリングを半周して、引っ込んでしまうのはちょっと残念。リングの周辺にたってもらえれば、彼らを見ていられるのに。
  1. 空中リング
    女一人。ウインチ使用。回転を加えるために、リングにロープをつけて後見が操作している。
  2. コミック・アクロバット
    男2人。小さな椅子を使ってみせる。クラウン芸としてやっているのだが、身体はアクロバットができるだけ十分鍛えているので、クラウンには見えない。
  3. フットジャグリング
    女1人。スピーディで見ごたえがあるが、きっともっと完璧な演技ができるようになるだろう。というのは、サッカーボールを使って足の裏と手をつかってやるジャグリングにミスが目立ったからだ。本人がいらだっているのが、伺われた。この演技の小道具にタバコがあった。タバコというのは、円筒の筒のこと。サーカス用語のひとつ。筒の直径は約15センチぐらいか。トリの演技が面白い。5ートルぐらいありそうなポールを両足に立てるのだが、底部が靴のように履けるようになっているので、それで固定。ポールには5枚のお皿がついている。そのお皿に、一個のポールを跳ね上げてゆき、一番上にはバスケットボールで使う籠のようなものがついており、そこに投げこむ。拍手喝采というものだ。
  4. コミック・シーソー
    男2人。
  5. ゆり綱
    男1人。これがゆるく張ったワイヤーの演目だ。関根サーカスでは照美が行っていた。このゆり綱の上に頭立ちして、足と手でリングを回す演技もさることながら、ワイヤーを左右に揺すって、両手でワイヤーを掴み逆立ちし、しかもそれで移動する演技には脱帽。
  6. 差し芸
    としか書けないのだが、二人の男性がそれぞれの頭に、上に台のついているポールを差し、その台の上に男女各1名ずつが乗り、前方転回をして入れ替わる。バック転の移動もあり。さらに、この差している男の1人が、2人の男が肩にかけて支える台の上に乗り、差しているポールの台の上の男が目隠しをして、下の台を支えている男の反動を受けて、空中二回転をするという演目だ。さらに目隠しをしたまま、三回転をして、下の台に着地するというもの。なんと名付ければいいのか。
  7. 一丁ブランコ差し芸
    女1人。ウィンチ使用。口で支える剣。といっての刃と刃を合わせた二本の剣。上の剣の握りの部分を皿状にして、そこにグラスを積み上げている状態で、一丁ブランコに乗る。そのブランコを揺すりながらさまざまなポーズをとりながら、口で支えている剣、グラスのバランスを取る。背中でずり落ちながら、膝の裏でバーに引っ掛ける演技など、思わず息を飲んでしまう。この芸は中国の雑技大会で見たことがあるが、その時はグラスを落としてしまい、なんともかわいそうであったが、今回は見事に成功させていた。うれしいね。この演技の中には、片足の膝の裏でバーに引っかかり、口には差しもの、片足で輪を回し、両手で3つボールのジャグリングをするという演技もあり。
  8. コミック・アクト
    男2名。同じ演技者。客同士が膝の上にもたれかかり、台を作るもの。但し、その一人の膝の上で、一人が倒立する演技がある。
  9. ローリングバランス
    女1人。筒5個までやる上に、その5個の上で、大きな二個の輪くぐりまで演じる。女性でここまで出来る人をはじめて知った。あるいは男でもできる人はいないかもしれない。筒がこじんまりしているのも珍しい。ちょっと仕掛けがあるかもしれないという気がする。
  10. コミック・縄跳び
    客を使う。
  11. 空中ブランコ
    女2名男7名編成のもの。

★4月4日

今、『平家物語』を読んでいるが、講談社学術文庫一巻75ページに、魚竜爵馬という文字が出てきた。解説には、中国古代の演芸、遊戯とある。中国では、「魚龍蔓延」といえば、漢の武帝の時代の大型幻術のことだ。魚竜爵馬となると、幻術と曲馬なのだろうか。

★4月1日

岩崎京子著『元治元年のサーカス』2005年3月15日 初版 石風社 定価1,500円+税
つい最近、くもん出版から『1941 黄色い蝶』という自叙伝風小説を上梓されたばかりの、サーカス村協会の会員でもいらっしゃる先生が、これまでにさまざまな媒体で書かれたものをまとめて、本作品を含む”街道茶屋百年ばなし3部作”を出された。そのなかの第3部が、この本である。この本は短編集なので、一冊丸々サーカスの話しではなく、この本には13篇が納められている。元治元年に横浜の居領地で公演した、日本初の海外サーカス「中天竺舶来軽業」(リズリー一座)を軸にというか、この史実に触れるために描かれた短編で、軽業が好きになる子どもの気持ちが手に取るように分かる。
三部作全部をまだ読んでいないので、全部を読ませていただいて、また、報告したい。

★3月31日

読売新聞夕刊 連載小説 『空より高く』 重松清作 唐仁原教久画が、3月9日より始まる。
これがジャグリング小説。しかも廃校が決まった高校が舞台。なんだか廃校になった小学校をつかっているサーカス学校とどこかにているような似ていないような。

★3月31日

ジンガロパンフレット
3月11日のプレビューの日に入手。中教授が「バルタバス革命」という原稿を寄せている。サーカスと人との関係を書いている。とても読み応えのある文章だ。

★3月31日

森田裕子著『内側の時間 旅とサーカスとJ・L・G』 2005年2月10日発行 3510円+税
赤坂の国際フォーラムで、シルク・イシの公演を見た人は、あの衝撃を今でも覚えているだろう。この本は、著者の森田さんが、シルク・イシのジョアンと一緒にキャラバン生活をしながら、サーカスとはなにかを真剣にというか、かなり哲学的に思索した書物だ。森田さんが自分の出したいかたちで作りたいというので、予約制というか、この本を読みたい人に先に本代を支払ってもらうというかたちで資金を集めて作った本である。
発売元 有限会社 源草社 〒101-0051 千代田区神田神保町2-23北井ビル3階
電話03-5215-1639
Mail:gensosha@infoseek.jp
Web-site:http://gensosha.hp.infoseek.co.jp/

★3月8日

『あたく史 外伝』
小沢昭一著/新潮文庫(お-18-16)/平成17年3月1日発行

この本は平成14年に単行本として新潮社から出版されている。小沢先生はいつもご著書をいただいており、恐縮この上なし。このご著書に「サーカスの火事」の一章がある。P55〜P59。
昭和10年代のはじめ、シバタサーカスが火事になった時のお話。火事に逃げ出した象、一度逃げ出したにも かかわらず、再び燃えるテントの中に戻っていったカンガルーのことなど、なんとも悲しいお話で、サーカスの火事というのは、映画”地上最大のサーカス”でも描かれていたが、台風や大水同様、サーカスと切っても切れない”ご難”のひとつなのだろう。

★3月1日

ジンガロのチラシとサーカスの文字

3月12日から5月8日まで、東京・木場公園内で行われる、”ジンガロ”は、主宰者バルタバスによれば、サーカスではなく、騎馬オペラという、これまでにないジャンルの芸術作品ということになる。そのチラシに出てきているサーカスという文字との関連を見ておく。
「サーカスでもない。演劇でもない。その美しい演目はまさに”スペクタクル”」「サーカスの曲乗りしか知らなかった我々の目に、バルバタスが創り上げた『ジンガロ』は驚異的に映りました。略」(宇津井健)
「ある日忽然と、巨大なテントが町に現れる。異世界を運んできたのは、サーカス? 劇場? それとも。略」(楠田枝里子)
「サーカスではないなと思う。人馬、馬人、人と馬、馬と人。略」(山本容子)

★3月1日

『ぼくは写真家になる!』
大田順一著/岩波ジュニア文庫497/定価(本体740円+税)/2005年2月18日発行/岩波書店

村長日記でも触れているが、暖かい写真を撮る、友人のカメラマンがなぜカメラを手にするようになったか、写真家になった、なるかを綴った、自己ドキュメント。
この書物のなかに数行、サーカスの写真をとった時の文章が載っている。
P195〜196
「雑誌の仕事でサーカスの若者たちを追ったとき、たまたまテレビ局のドキュメント番組の取材とかちあった。
一週間ほど現場で一緒に取材をしたのだが、後日、その放送を見て『かなわないな』と思った。テレビの画像は、当たり前のことだが動くし音声も入って、盛り込まれる情報量は比べようもない。
ぼくは六ページのグラビアがどんなに薄っぺらく思えたことか。特に臨場感が違う。<青竹乗り>という曲芸のけいこで、立てた青竹に若者がよじ登っていくシーンがあった。テレビカメラは下からとらえるので若者の表情がよく見えない。しかしシャツの胸元にセットしてあったピンマイクを通じて、画面にハア、ハアという苦しそうな息づかいが流れる。顔の表情が見えない  だけに、よけい想像力をかきたてられて迫真の臨場感なのだ。現場を伝えるということにおいて、果たして写真はどれだけ有効なのだろうか。」この文章は、「写真は、ぼくの感情までは写ってくれないのだ。」という一文の後に書かれているので、ここに引 用した文章だけで、あれこれ語るのは、片手落ちというか、大田氏の本意からずれてしまうかもしれないが、ここに大田氏の写真を撮ることに対する、真摯な思い、悩みが現れていることに、ぼくは注目したのだ。
というのも、実は、サーカスを撮りにきた多くのカメラマン、そして今はサーカス学校に写真を撮りにくるカメラマ ン、あるいはカメラマン志望の若者を、ぼくは何十人も知っている。写真集をモノにしたカメラマンもいる。また、サー カスをドキュメントしたテレビ番組にも何本も協力しているが、果たしてカメラマンのどれだけが、大田氏のような気 持ちを感じながら、レンズを覗いていたか。またテレビにしても、はたして何を伝えようとしてカメラを回しているのか、そのあたりで、ぼくに何かを感じさせた人はほとんどいないのである。
サーカスは絵になる、というアマチィアカメラマン的発想、あるいはサーカスに打ちこむ、変った若者という視点以上の、自分なりのしっかりしたコンセプトをもって、対象であるサーカス、サーカスをする人を捕らえようと通った人がどれだけいるだろうか。
ぼくは、太田氏のように、スチールカメラが、テレビカメラ以上に ”現場を伝える”ことが出来るとは一概に言 えないと思っている。太田氏も本心、そう思っているのではないと思う。しかし、その疑問を持つカメラマンの大田氏がいるということに、サーカスをスチールで追っかける人には心に留めておいて欲しいのだ。テレビ番組の場合、単なる娯楽、情報番組でない、ドキュメントにしても、サーカスの場合、興味本位に作られるものがほとんどだ。
サーカスとはなにか、そこはどんな世界なのかをカメラを回して知ろうというのではなく、多くの場合、たとえばそこで練習する若者は、どんな気持ちでやっているのか、それがフツーの若者とどのように違うのかといったことを描き出そうとしている場合がほとんどだ。太田氏が語る「迫真の臨場感」にしたって、それを撮ることが目的ではなく、それが取れれば、テーマの肉付けにいいといった感覚でしかない。
サーカスをテーマにテレビカメラを回す者で、果たして、それが自分のテーマとなり、ムービーの作品として結晶させた人が果たしているだろうか。
実は、1996年、宝塚ファミリーランドで、ぼくが企画した「中国雑技スーパーサーカス オリエンタルファンタジー」を公演した際、大田氏に写真を撮ってみませんかと声をかけたことがある。彼は述べ10日間ぐらい見え、シャッターを押してくれたが、それをなんらかのかたちで発表することはなかった。なぜ、撮り続けなかったか、彼には聞いていないが、多分、彼のフィーリングに合わなかったのだろうと、ぼくは勝手に想像していた。それでも彼 が持ってきたくれたモノクロ写真は、新疆ウイグル雑技団の団員の姿を温かく見守っている出来で、ぼくはそれらの写真を今でも大事に保管しているし、サーカスの写真のなかではとてもいい写真だと思う。彼の言葉を使わせて もらえば、レンズのぬくもりが感じられた。
大田氏は、『女たちの猪飼野』『日記・藍』『佐渡の鼓童』『大阪ウチナンチュ』『ハンセン病療養所』『ハンセン病療養所 百年の居場所』、そしてぼくがますます彼に惚れてしまった『化外の花』など、素晴らしい写真集を次々に発表している。いつか、もう一度、サーカスに向き直ってレンズを向けてくれないものかと、淡い希望を持っている。サーカスの写真は、国内では、雑誌の載る割には、写真集になっているものはそれほど多くはない。海外の写真集、あるいは写真と文章によるサーカスの歴史本はかなりあるが、ぼくがものすごく共感できる写真集には、まだであっていない。

*その他、サーカスの言葉は、
P182
「一生懸命、企画を立てて売り込みをした。そのころ雑誌や新聞に載せたのは『夕張炭鉱』『大阪・釜ガ崎』『太鼓づくりの町』『大衆演劇』『サーカスの若者たち』『キャバレーバンドマン』『心臓外科医』....。どうしてそういうものに関心を持ったのか、自分でもはっきりとはわからない。

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