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村長の資料メモ(2006年)

★1月7日(2007年)

『<野宿者襲撃>論』生田武志著/人文書院/05−12−10刊/1,600円+税

『真田太平記 1〜12巻』池波正太郎著/新潮文庫
 作者は芸能にほとんど関心がないのか、『大菩薩峠』のような芸能が全くでてこない。

『激動のカンボジアを生きぬいて』
 「未来の光孤児院」院長ヌオン・バリー自伝/福岡佐賀子訳/たちばな出版/1,500円+税/(カンボジア・サーカス交流)

『カンボジアと日本』今川幸雄著/連合出版/00−9−3刊/(カンボジア・サーカス交流)

『キスミーエンジェル』スーザン・F・フィリップス著/数佐尚美訳/06−7−20刊/原書房(ライムブックス)
 サーカス・ロマン小説。アメリカの動物のいる巡業サーカスについて良く書かれている。

『新釈雨月物語』/石川淳著/角川書店/84−3−10刊/2,300円+税
 (ダンス作品「雨月遊魂」資料として)

  『天唄歌い』坂東真砂子著/朝日新聞社/06−7−30刊
 小説 破壊される”ニライカナエ”の国

『雨月物語』上田秋成著/水野実校注/明治書院/77−3−10初版・05−3−20新装版/2,000円+税
 (ダンス作品「雨月遊魂」資料として)

『新潮古典文学アルバム 上田秋成』長島公明/池澤夏樹著/新潮社/91−7−10刊/1,300円+税
 (ダンス作品「雨月遊魂」資料として)

『間道』坂入尚文著/新宿書房/2,400円+税/06−6−15刊
 見世物学会事務局長、飴細工師の半自伝

『憲法九条を世界遺産に』太田光?中沢新一対談/集英社新書/06−8−17刊/P110 
 いつもちょっと外にることができるというスタンスです。外というのは、社会の価値観の外という意味もあるけれど、突き詰めていけば死者の場所です。死者と生きている者の間に立って、落語はなりたっているんじゃないかと思います。(ダンスのコンセプトと通低)

『乞胸(江戸の辻芸人)』塩見鮮一郎著/河出書房新社/06−7−30刊/1,900円+税
 芸能を支えた差別された人々の社会について。

『お能の見方』白洲正子/吉越立雄著 

『私が見たポルポト』馬渕直城著/集英社/2,000円+税/(カンボジア・サーカス交流)

『昭和三方人生』広野八郎著/弦書房/06−5−10刊/2,400円+税
 馬方、船方、土方と、人が従事する最低の仕事といわれた労働で生きた人の日記。しかしその目は澄んで、そのような労働を強いていた世の中の仕組みをしっかり見つめている。

『サーカス −起源・発展・展望−』エヴゲニイ・クズネッソフ著/桑野 隆訳/ありな書房/06-12-1刊/7,200円+税
 すごい本である。これまでのサーカスの常識を覆す本である。

★8月7日

キジムナーフェスタ・参加作品評

ひつじ(カナダ)
野外パフォーマンス系/2006年8月3日(木)17:00/コリンザ前特設野外テント/客席約200強・雛壇式ステージ(コンクリート地面・リノ敷いたり敷かなかったり。大きさ間口7M×奥行5M強か 目測)
牧場の囲いに入れられている羊。大きな羊の縫いぐりみ。水を飲み、クソをたれ、小便をし、餌を食い、、、、と。まあ、子どもたちはそれなりに楽しんでいたが、ぼくは見ているうちにだんだん奇妙な気持ちになっていた。面白さが薄れ、どこか違うのではないかと。まあ、擬人化して、やわの羊の物語よりはいいかもしれないけど、なぜ、これを作ろうとしたのだろうかというところまでが見えないのだ。

モモとムンクの旅(メキシコ)
演劇/2006年8月3日(木)19:00/市民文化会館大ホール 舞台上。舞台上に小さい劇場空間を仮設。客席雛壇200名強 ステージは間口10M×奥行10M目測。
戦争孤児、戦争孤児強制労働工場という設定。脱出、自分たちの国、そこでの争い。その争いの原因は言葉の違い、自分たちの言葉をというもの。争いを解決するのは、なんだろうか。

国際シンポジウム
2006年8月4日(金)/10:00〜13:00
こどもと社会環境について、あれこれ。

小さな紳士(スウェーデン 沖縄共同制作)
無言劇/2006年8月4日(金)13:00/沖縄商工会議所ホールのなかに小さな観客対面型劇場空間を作る。約80席
ホームレスの小さな老紳士と犬と音楽のお話。

ハリハロ(スウェーデン)
パントマイム/2006年8月4日(金)15:00/働く婦人の家会議室を暗幕会場に客席ベンチ他/約100名 
これがよかった。男女がそれぞれボールと紐で遊ぶ。ボール、紐のとりっこ。最後に仲良く遊ぶというそれだけなのだが、実に微笑ましい。

チャーリーとバイオレット(アルゼンチン)
無言劇/2006年8月4日(金)17:00/中の町公会堂仮設会場 雛壇式約150席
なぜ赤い鼻、なぜクラウン衣装。それが必要なテーマなの、50回目の結婚記念日のお話。

道化師(イスラエル)
演劇/2006年8月4日(金)19:00/中央公民館会議場 仮設会場。客席約150
王様と道化師の話。一度、追い出した道化師がダンスと唄とマイムを勉強して帰って来て仲直り。

オープニング(デンマーク)
野外イベント系/2006年8月5日(土)13:00/コリンザ前仮設テント
おしゃれ。たのしい。他に意味がないのがいい。

サーカス・インフェルノ
ドタバタ劇/2006年8月5日(土)/市民文化会館大ホール 2000席。
ほぼ満員。花火、火炎、風船。子どもたちは大喜び。

飛行船(カナダ)
2006年8月5日(土)/コリンザ前テント
ひつじと同じメンバー。 野外イベント系 もうひとつ、変化がほしい。

★5月10日

2006年5月9日午後4:30
足立正生脚本・監督「幽閉者(テリロスト)」の初号試写
アテネフランセの文化センターで見る。始まってしばらくはこのままの感じでずっとつづくのなかあ、これは見ているのがきついぞと思ったが、それは間違え。間違えというのは、映画そのものはほぼ同じ感じで続いているが、見ているうちにきついという感じは消えていった。その部分で間違っていたのだ。岡本公三と思われる人物が、牢獄のなかでさまざまな拷問、虐待、時には甘い懐柔策を仕掛けられたり、そのプロセスで夢を見たり幻覚に襲われたりしつつ、革命家としていき続けるかどうかという、現代の『罪と罰』といった映画だ。『罪と罰』はいわば殺人がテーゼであり、足立監督の映画は革命がテーマだ。もうひとつ、これは足立正生のマニフェスト映画だ。
これは、本物の映画だ。ハードボイルド映画だ。これまでに見た映画で、ハードボイルドと感じたのは、あのフランスのジンガロのボス、バルタバスが主演・監督した『ジェリコー・マゼッパ伝説』だ。もちろん、作品が送ってくるメッセージはまるで違うが。

2006年5月10日
沖浦和光著『幻の漂泊民・サンカ』 分春文庫/2004.11.10/第一刷
沖浦和光著『「悪所」の民俗誌』  文春新書/2006.3.20/第一刷
これらの書物を読んでいるのは、「平家物語」の祇王という白拍子とは、いかなる人々であったかを知ろうとしてのことであり、芸能者の原点を探るためである。芸能者であること、その存在とはなにか。芸能者として生きることとは。
現代にあって、芸能者はいかにあるべきかを模索しているからである。

★3月30日

川本喜八郎監督・人形アニメーション映画『死者の書』を岩波ホールで見る。折口信夫著『死者の書』の映画化である。この映画化について、岡本監督が「過去の戦争や現在のテロが生み出す、すべてのやすまらぬ魂のことを思って作った」と、朝日新聞2月14日夕刊で語っていた。
いま「平家女護島」のダンスを創作中だが、そこで感じているのも、やすまらぬ魂というか、源氏に亡ぼされた平家の人々の魂も、平家清盛に殺害された人々の魂も、今まだ「やすまらぬ魂」として、中有(ちゅうう)の世界でさまよっているのではないかと思えることだ。中有の世界とは、あの世とこの世のあ いだで、死者があの世へいくまでのあいだの49日間という説と、実は中有の世界は永遠に続いているという考え方もあるようである。
中有の世界が永久(とわ)のものであるとすれば、あの世を望まぬ者の魂は、いつまでも中有の世界 に漂い続けていても不思議ではないということになる。平家の人々の魂、そして俊寛の魂もまた、「やす まらぬ魂」として、いまださまよい続けているのではないか。その「やすまらぬ魂」を鎮魂しうる、ぼくらの 祈り、願いとはなにか。それが問題なのである。

★3月25日

 「お舞人形」 「傀儡子」(くぐつし) 隆 慶一郎著『吉原御免状』P114に出てくる「お舞人形」。そこには、この「お舞人形」が、古来傀儡子が使った人形の正式な名とある。

★3月18日

”日本のマジック・サーカス展”
愛知江南短期大学・河合勝教授のコレクション
場所:山脇ギャラリー(東京・市ヶ谷)
期間:2006年3月10日(金)〜3月27日(月)
日本最古の奇術書といわれる『神仙戯術』の展示もあり。
『読売新聞』2005年12月26日に、この本を発見した記事あり。会場でコピーあ り。

 *読売新聞 2006年3月8日(水)朝刊 ズームアップWEEKLY”笑ってよ 君 のために”
クラウンの塚原成幸氏が事務局長を勤める”NPO法人 日本クリニクラウン協会”の活動が写真で大きく(一面)で紹介されている。

★3月9日

フール祭オムニバスPの作品評
1)神山一郎『カリガリ』
いわゆる神山ワールドで、落雷にあたって黒焦げになった鳥が再び純白の鳥になって生き返るメルヘンチックな作品。なかなかいいなと思うが、それだけに、もうすこし大掛かりな仕掛けが生れてきてもいいかなと思ったりもする。6月シアターXでソロ公演を企画しているので、何か考えてくれるだろう。
2)ふくろこうじ『椅子』
椅子の足がどこかに旅だってしまい、その傾いた椅子との新たな関係を探るという作品で、シュールぽい作品。もうひとつ発展するといいなと思っているのだが、そこのところがなかなか手ごわいぞといったところだ。あるいはもっと椅子が壊れていいのかも知れないが、もしも壊れるとして、そこで新たな椅子との関係はどうなるのだろうか。あるいは、椅子が壊れていくと同時に壊れた部品が身体に張り付いて、やがてこうじが椅子になってしまうというのは面白いのだが、それはどのようにすれば演じることが出来るのか、そのあたりに難しさが潜んでいるような気もする。特に彼にサジェスチョンできることを発見しているわけではないが、彼の傾いた椅子がいつまでもぼくの心のどこかに残っている。
3)チクリーの『チクリーノとディナーショー』
普段、大道芸で行っている作品で参加。新作を作ってくれるとありがたいなと思いつつ、いまやっている作品でもいいですよと、そんな話を京都で会った時に話し合った。結果的には旧作で望んだ。関西にアーティストなので、旧作といっても関東では見たという人は少ないし、旧作だけにこなれていて観客は喜んでくれたようだ。でもぜひ近々新作を見せてもらいたいと思う。劇場という空間でのパフォーマンスに、彼自身、新鮮を感じていたようだ。
4)重森一『レミング』
ミッキーマンスの顔の変遷、アメリカの変節振りというか、それをおちょくっている。チョッピリ社会的なネタで、フール祭の中で異彩を放つ。
5)シルブレ『ハルカゼ』
新婚夫婦がほのぼのと、お互いに心を通わすために”お遊び”ごっこをしているというような作品。悪くはないのだが、全く悪意がない作品というのは、ふんふんという感じで終わってしまうのでどこかで、彼らのコミュニケーションに破綻がおきるともっと面白くなるのではないか。
6)へテロジーニアス『渇望、記憶、触発』
ジャグラー悪夢の世界といった感じの作品。じとーつと演じているのだが、どこかで笑いを取るような部分があると、作品全体にもっと奥行きが出るのではないか。
7)加納真美『加納の時間インX』
いつものトレーニングウェアで、音楽にあわせて身体を動かしつつ、その間にスーパーで買い物をしている姿をマイムで演じるというもので、舞台の上の不思議な存在感で、客に圧倒的支持を受けている。で?
8)三雲いおり『砂漠の花』
砂漠で水を求めている。古いポンプのついた井戸と格闘するが、やはり水を  得ることができない。これを1時間の作品にしたらどうなるか。そんな台本を書かなければと思う。三雲氏本人か第3者かは問わないが。
9)コージ・コーヨー・mamiカノー『スラップスティック』
名コンビ。客を巻き込んで果てしなく続く作品。最近は客の乗りもよく、それが結構笑える。ここにも一本の作品が生れて素地がある。

  *全体にまとまりのある公演となった。今後どうするかが一つのテーマ。参加者がぎりぎりになって作品を用意する状況は参加者の自覚を待つとして、やはり3回は公演したほうがいいかもしれない。平日2回で昼間の公演にどれだけ客が来るかという問題もあるが、3回やることでアーティスト側の発見がぐんと増えるような気がする。もう一つはひとり15分という制約を外して、作品によっては長いものがあってもいいかもしれない。だがその場合、かなりのテンポで笑いが必要になってくるだろ。15分間笑いがないというのは客にかなりの緊張を強いることになる。

★3月8日

フール祭3月1日〜5日・ぼくの作品感想
1)ジャスガロンスキー
主催者としていいと思って呼んでいるので、お客さんが満足してもらえればそれで何もいうつもりはない。但し、彼らが悪いのではなく、フール祭という視点から見れば、今回海外のクラウンを招聘できなかったのはやはり心残りだ。今回は、オムニバスPとオムニバスMという区分をして、音楽モノは”わらう音楽”というかたちをとったので、ジャスガロンスキーのガラクタ・子ども楽器の曲引きのナンバーは企画にばっちりはまったといえるだろう。
そこでついでに音楽モノについて
2)まなびや
ヘブン・アーティストの審査会で初めて見て、まずそのオリジナリティに感動。フール祭参加をお願いした。埼玉の自宅を訪ね、コーヒーとケーキをご馳走になりながら、フール祭の打合せを行なった。自宅の横にねぎの畝があり、いいですねというと、自家菜園とのこと。奥さんが農家の出で、実は繁忙期には手伝わされているんですよという話し。今度、焼き鳥屋に行きましょ、美味しいところがあるんですよという会話をして、フール祭の打合せはそこそこ。
で、今回の出来。初日はかなり硬かったが2日目はだいぶ楽しく出来たと思う。まだまだ余裕が無いといえばないのだが、今後、どのような発展をするか楽しみである。実はまなびや氏は、本当の学校の先生で、子どもたちにいかに授業に集中してもらうか。そのあたりの悩みからできあがっている作品なのだ。作品としては、この発想からさらにステップをよじ登っていかなければならないだろう。そのためには作品の中で、授業中の生徒の悪戯をたしなめているシーンを膨らませて、本人が先生から生徒に変身するようなことがあってもいいのではないかと思ったりした。
3)ムンドノーボぽこブヨ〜ダン
同じくヘブンアーティストでであったお二人。彼らの自宅を訪れたことも実はあって、彼らもまた、様々に苦労しながら現在のスタイルを確立している。15分間という持ち時間でどのように圧縮したものをみせるか、さらにブヨ〜ダンの人形のどれを今回登場させるかとか、いろいろと悩んだようである。シアターXのステージいっぱい動物やらお魚、あるいは人魚などなど、サーカス芸やダンスを披露してくれる様子は子どもたちのみならず大人の心もくすぐってくれたようである。
4)セ三味ストリート
上手いよね。三味線もパフォーマンスも。あえて注文を言わせてもらえれば、パフォーマンスの部分をもう少し膨らませてくれるといいのだが。といって、なにかアイディアがあるわけではないが、曲引き部分もいわゆる上手さの追求であって、ずっこけではない。そのあたりになにかネタがころがっているかもしれない。セ三味ストリートの自宅は未訪問。
5)元気いいぞう
アンケートではぼろくそ。ぼくの友人からも批判あり。でもぼくはいいと思っています。ギャグの底が浅い、貧困とか、時代遅れだとかいろいろ言われているが、ぼくはこの反社会的といえると思うパフォーマンスを批判する側にむしろ危ういものを感じている。いつの間にか現代はこれほど衛生的な感覚に覆われれしまったんだろうか。ACCの事務所になぜ元気さんをだすのかといった電話も入っている。ほとんどの人々がこの世の中が健全で明るいと思っているとは思えないだけに、グロテスクなもの、反社会性ものを一概に拒否するよりも、それらを受け入れながらも、権力への反抗、抵抗を模索すべきではないだろうか。
   (クラウン・パントマイム部門は次回)

★2月15日

『娘一人に婿八人』
 「ところで、おれたちの仲間に不良共が十余人連合して、その別嬪の女角力おくらというのに注文をつけ たのだ。その注文というのは、、、、つまり、そのおくらに『娘一人に婿八人』をやらせるというのだ。 〜」(P257)
つまり、男座頭を8人集めて土俵へのぼせて、それをおくら一人に取り組ませるのだ、一方はめくらだからめくらさがしだが、狭い土俵の上で八人の男、十六本の手、足ともでは三十二本でやらせるのだから、いくらめくらさがしだってたまらない、ついにおくらがつかまって手取り、足取り、、、それはみていられたものじゃない。(『大菩薩峠』13巻 P258)

★2月7日

2006年2月7日(火)ポップ・サーカス 横浜公演 11:00(一回目)

  1. オープニングショー
  2. バンジーショー(オープニングショーの一環) 女2名 男1名 
  3. ディアボロ(中国雑技だが、コマは中国独楽ではない)  女7名
  4. クラブと帽子のジャグリング (パッシング。帽子はブーメラン投げ) 男3名
  5. 椅子倒立(人の背ぐらいの台の上に八丁椅子。その上に、支えの棒を使い片手倒立、クロコダイルのポーズを取って水平一回転)
  6. ドッグショー(中型犬4頭)
  7. コントーション(肩、顎乗せの台を使い、両足両手でマットを回す) 女1名
  8. クラウン(ブロークン・カー) 男3名
  9. 大一丁ブランコ(片足揺すり、 頭立ちで揺すりながら、両足両手で輪を回す、その外回転ヒル(踵)キャッチ) 男1名
  10. トランポリンショー (桜登場) 男2名 女2名 他クラウン 司会
    休憩
  11. 縄跳び(男6名 女1名)
  12. 二段金具ブランコ(上段から下段に脚で逆さにぶら下がる受け手にダイビング) 女2名
  13. クラウン(サイドカーに縫いぐるみ。その人形にねじを巻く。最後の縫い繰りと思われるトラの赤ちゃんが動きだす、さて?) 男1名
  14. シフォン  男女ペア
  15. 空中ブランコ 男5名 女1名
  16. フィナーレ
*内容豊富で見応えあり。但し、アクトの紹介、アーティストの紹介が全くないというのは、いささか淋しい。全体が一つのショーとして演出されているのではないので、そのあたりに気をつかってもいいのではな いか。

★2月6日

力持ち(曲持ち、曲差し) 『大菩薩峠』10巻 P85
 「神田鎌倉河岸の豊島屋の『樽転』(たるころ)から出た鬼熊は何代目とつづいて、酒樽をてまりの如く取って、曲持ち、曲差しを試みる。
 『新し橋』の付近には、『何貫何百目何代鬼熊指』とほった大石がころがっていたはず。醤油樽一つずつを左右の手にさげ、四斗樽を一つずつ左右の足にはいて、この鬼熊が柳原の土手を歩いたことがある−見るほどの人が、その樽を空だろうと疑って調べてみると、空どころではない、豊穣の新味が充実しきっている。力持の見世物に出ても、鬼熊が大関でありました。」

★1月23日

朝日新聞M 2006年1月19日(木)横浜版
  クラブのパッシングで、2つの世界ジャグリング大会でどちらも2位に入った桔梗兄弟の記事。

『大菩薩峠』6巻に角兵衛獅子が登場する。そのくだり。
麓から登ってくるのは、越後の国から出た角兵衛獅子の一行であります。
その親方が、てれんてんつくの太鼓を拍ち、その後から若者が、ヒューヒューヒャラの笛を吹き、それを取巻いた十歳ぐらいになる角兵衛獅子が六人あります。”しちゃ、かたばち、小桶でもてこいすってんてれつく庄屋さんなんばん食っても辛くもねえ ”この思いがけない賑やかな一行の乗込みで、せっかくの話の出鼻をすっかり折られた老爺は、呆気に取られた面をしているところへ、早くも乗込んだ大人の角兵衛獅子が、「角兵衛、まったったあいー」卍巴とその前でひっくり返ると、てれんつくと、ヒューヒューヒュラヒュラが、一際賑やかな景気をつけました
*角兵衛獅子、越後獅子がどんなふうに旅をしていたか、その様子を知ることが出来なかったが、この”くだり”を読んで、なるほどなぁと、少し分かった気分になる。それにしても、この謡の文句、そしてひっくり返る時の掛け声、どういう意味なのだろうか。

★1月19日

読売新聞・朝刊 2006年1月13日(金)「修業5年 妙10分」
太神楽の翁家(おきなや)小花さんの話。日本芸術文化振興会の伝統芸能養成期間で3年間修業とある。

『大菩薩峠』5巻(P289〜290)
「鐘撞堂新道に巣を食う大道芸人の一群。その仲間が自ら称して、道楽寺の本山という木賃宿。そこに集まった面々は御免の勧化であり、縄衣装の乞食芝居であり、阿房阿羅経であ り、仮声使いであり、どっこいどっこいであり、猫八であり、砂文字であり、鎌倉節の飴売りであり、一人相撲であり、籠抜けであり、デロレン左衛門であり、丹波の国から生捕りました荒 熊であり、唐人飴のホニホロであり、墓場の幽霊であり、淡島の大明神であり、そうしてまた宇治山田の米友であります。歯力や鎌倉節や、籠抜けが修行を済まして本山に帰った夕方、阿房阿羅経や仮声使いの面々は山を下って、市中へ布教にでかようとする黄昏。」

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