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村長日誌(2001年6月)
★6月14日

去る6月9日、埼玉県吹上からサーカス村へ、あのオートバイが鉄球のなかを走り回るアイアンホールを運びました。
半球分が12面で計24面,ひとつが約300kgあるでしようか、それにこの鉄球をすえつける鉄鋼の台約3トン。
サーカス村の事務局長関口氏にユニック車を運転してもらい、吹上・サーカス村を2往復。
ACC辻君、今年のBPズームのワークショップに参加した佐久間君、彼の友人の佐野君、合計5人で、何とか運んだ次第です。
しかも実はもう一台4トン車で、その他のサーカスの荷物、空中ブランコのネット、各種ロープ、スター(脚の長い一輪車)数台とか、諸々の道具なども運んだ次第です。実はこの他に、テントを建てる各種鉄骨などもあったのですが、これらは運ぶのを諦めました。
これらのサーカスの道具は、今はない関根サーカス、ホリディインサーカスのもので、渋谷団長がサーカス村に持っていけ、と譲ってくれたのです。
琴美姐さんの足芸の台や柳樽もあり、資料館に展示したいものもいろいろありました。
これらのものを、沢入小学校の校舎が借用できるようになれば、展示していきたいと考えています。
勿論、使える道具はサーカス学校で使っていきたいと考えています。
それにしても、久しぶりにいい汗をかいたものです。
ぼくが関根で汗をかいていたのは、もう4半世紀前のこと。
アイアンホールのパーツをヒイヒイいいながら運ぶ最中、いつの日か、サーカス学校で訓練に勤しんだ人びとと一緒になって、サーカス公演を行っている情景を思い浮かべていました。
ビジュアル的にいえば、額から落ちる汗のひとつひとつの汗の玉に、サーカス公演のシーンのひとつひとつが浮かび上がっていたとでもいいましようか。
その日がくるまで,なんとしてでも頑張らなくてはなりません。
皆さんの力を貸してください。

★6月1日

ごぶさたしております。去る5月28日、ウクライナから戻りました。ウクライナにパソコンを持っていったのですが、残念、つなげませんでした。
で、翌29日は京都へ。京都造形大学の春秋座の柿おとし公演を、シアターXの上田女子にお供させていただき、見てきました。
歌舞伎の出来る劇場が生まれたのは、この大学の副学長を務める市川猿之助の“野望”が実ったからでしょうが、勿論、誰もそれを野望とは言いません、日本古来の伝統を今日に、そして世界に発信していく、創造の場を、ここ京都に、造形大学につくったのだと、声高に宣言しておりますが、絢爛豪華な、つまり、とても高価な衣装をまとい、見栄をきりまくる柿の歌舞伎のどこに創造性があるのか、トンとわかりませんでした。
サーカス村は、そんな劇場よりもはるかに創造性溢れる活動だと思いますが、歌舞伎の原点ではありませんが、地べたを這いずり回り、石にしがみつくような努力に努力を重ねないことには、前に進めない活動に違いありません。
さて、前置きが長くなりましたが、ウクライナでは、五人囃子の第二ステージとでもいうべき、クラウン・タミラの初演が行われました。
正直なところ、出来は70%です。
さらに稽古を続けないと日本には持ってこれません。
つまり稽古を重ね、良いモノにしていけば、日本公演も可能ということです。五人囃子は、不十分の出来でも、観客の暖かい目にささえられましたが、やはり、海外から呼ぶ以上は、それがサーカス村のプロジェクトとしても、ある水準に達していなければならないでしょう。
ヨーロッパ公演ができる可能性のある段階までは作りこみたいと考えています。
キエフのサーカス学校留学中のヨッチャンは、元気です。クラウン・タミラの公演でも、いろいろ手伝ってもらいましたし、また、クリュ−コフがサーカス学校のパントマイム科の生徒を使って作っている野外劇”メーテルリンク”でも、大活躍しています。
それにしても、サーカス学校のアクロバット科の授業を受けている時のヨッチャンは、悲壮ですぞ。
ヒーヒー、泣かされています。
それを見るにつけ、例えば、東村でのワークショップでの肉体訓練、あるいは五人囃子の訓練が、いかに軟弱であったか。
ちょっと、身体を動かしては、仲間同士で、良いの悪いのとおしゃべりの時間が多いのとは天と地の違い。
そこから推測できるのは、多くのワークショップは、その講師が実際に行ってきたトレーニングに比べて、日本に来て行っているワークショップがどの程度のレベルで、お茶を濁しているのではないか、ということです。
このヨッチャンをしごいている先生が、サーカス学校にきます。本国と同じようなトレーニングをしてもらおうと考えています。
クラウン・タミラ、メーテルリンク、ヨッチャンの訓練風景を一本にまとめたものをお求めの方には、一千円で、お分けします。

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