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村長日誌(2002年10,11,12月)
★12月28日

久しぶりに自宅で、日記をつけている。年末年始を自宅で迎える予定。まあ、紅白でも見ますか。
2003年の大きな計画は、以前にも書いたが、群馬県下のウイグル自治区雑伎団の公演とフール祭だ。フール祭の方は、助成が受けられない場合は諦めざるをえないが、ウイグルのほうは不退転の決意で望まなければならない。来年9月にはサーカス学校開校2年となる。この期に、なんとか空中もののサーカス芸を指導してくださる先生を招きたいのである。
そのためにどうしても資金が必要で、その資金をウイグルの公演で稼ぎ出したいのである。
話は変わるが、中国ゴールデンライオンショーを見た人から、いろいろな話が集まってきている。多くの人が、技のすばらしさと演出のまずさを口にしている。ダンスも評判が悪い。シンデレラまがいの靴と訳のわからぬ卵は、あれは何だ?、と。
巨大な鶏とかわいくない揺り綱のパンダのぬいぐるみ。あれは中国でやっているスタイルであることを知っている僕としては、歯がゆい感じもあるが、それらの部分と演出家のねらいがうまく絡み合っていない事実は否定しようがない。
ぼくが一番感じるのは、日本側で雑伎の公演を演出できるという考え方、それができるか、という大本の問題である。ぼくはこの根底の考えに疑問を持っている。
つまり、生半可な考えでできるものではないという判断だ。
日本のサーカスも、たとえば森繁久弥や三木のり平を演出に迎えたことがある。
だが、その演出が、実際のショーを作りかえたかというと、ほとんどなにも変えることができなかった。サーカスの演出はやはりサーカスの演出家にして可能であり、エンターティメントのショーを演出しているからといって、サーカスの演出が可能であるとは限らないのである。
雑伎、サーカスの演目は、それ自体としてひとつずつ完結しているものである。それをショーのテーマでつないでいくことがどれほどむずかしいか。
シルク ドゥ ソレイユがそれに成功しているように思うかもしれないが、実は作品の作り方が根本から違う。シルクの場合は、先にショーのテーマがあり、細部を作り込んでいき、その中に、サーカスの演目を入れ込み、しかも、テーマに沿った振付けをサーカス・アーティストに求め、そこで音楽、衣装など、アーティストが本人が従来使っている音楽、衣装などすべてを作り替えているのである。その意味では、シルクは、従来のサーカス公演を用意しているのではない。彼らは新しいエンターテイメントショーの世界、それもとてつもなく大がかりなものを作り上げたのである。それを模倣すること、模倣せずとも、類似したものを作れると思うのは、いささか軽率というものである。
と、まあ、いささかまじめに書いてしまったが、今後のサーカス、雑伎の演出のためにと思い、苦言を呈しておこうと思った次第。

★12月24日

都会はクリスマス・イブの夜を迎えようとしているのでしょう。僕は今日一日、サーカス資料館の庭で、蔓草、野バラ、笹竹などと格闘。寒いには寒いですが、風はなくのどかな一日でした。3時過ぎ、高崎の石井デザイン事務所の石井ももさんが見え、来夏のウイグルサーカスのチラシ、ポスターなどの打ち合わせをしました。
年末になれば、当然、この一年と来年のことなど、諸々、浮かんでは消えていきます。僕の場合はなんといっても、来夏のウイグル雑伎団招聘のこと。いかに資金を集めればいいか、なかなかよい知恵が浮かびません。すでに動きだしているので、悠長に構えているわけにもいかないのですが。
明日まで、サーカス村にいるつもりです。明日はまた一日、サーカス学校で、小学校の教材の移動に汗を流すつもりです。
体育館とつながっている西校舎を借用しているのですが、1Fに二つ教室があり、その一つは教材室になっており、半畳ほどの地図など、結構、重いものがたくさん詰まっているのです。それらを、中校舎に移し、そこに、サーカスの道具な どを収納したいと考えているわけです。
隣りの教室は、サーカスの道具などの展示室。
2Fの教室は、ビデオ・映像ルームと図書室です。本箱や戸棚類の一部は、サーカス学校の授業が終了する日にみんなに手伝ってもらって移動したのですが、まだ動かしたいものがある。
しかしステンレスの什器など、一人では運べません。とりあえず、動かせるものだけと思っているのですが、それにしてもいい運動です。来夏のウイグルのツアーがハードなのはわかっているので、今から体力作りと自分に言い聞かせながら、体を動かしているところです。
野外に一日いたり、寒いサーカス学校で体を動かしていると、ふと、サーカスの肉体、ダンスの身体などといったことも、頭をかすめていきます。サーカスの肉体は、鍛えあげなければ、サーカスの演技としての表現はない。
一方、同じく鍛えるといっても、ダンスの場合は、当然、サーカス同様、テクニックを身につけるために鍛えなければならない部分と、もう一つなにをどのように考えているのかという思考の渦巻きのなかを、己の肉体をくぐり抜けさせなければならないという作業が不可欠なのではないか。
もちろん、サーカスの技を身につけるものも、考えなければならない。いかに自分の肉体を鍛え、それをコントロールするか。実際に練習しているときに、そのことを考えられない人はテクニックそのものさえ身につかないものである。身につけたテクニックをいかにいかすかという意味でも、考えなければならない。
だが、ダンスで表現しようとする 者は、さらに考え、自分の肉体と身体のあり様まで問われているのではないかと思う。肉体をひけらかすダンスもあるだろう、テクニックを見せつけるダンスもないわけではない。しかし、それ以上のものがダンスには求められているような気がする。
僕は、ただ寒いなかで体をうごかしているだけだ。年をとっているとはいえ、何もしないよりは多少体力がつくかもしれない。
だが、ぼくの体は、サーカスの肉体でもなければ、ダンスの身体でもない。

      

★12月21日

すでに、サーカス学校は長い冬休みに突入。今週は東京で仕事をし、20日サーカス資料館入り。今日は一日サーカス学校で、図書室の整理。もちろん、火の気はなしなので、校舎の中は、零度近い。
シフォンの鳥本さんがウインチのことでいろいろ試したいというので、体育館を開ける。昼飯時、寒いといって、図書室に現れる。用務員室で彼は昼食。ぼくは最初から昼抜きのつもりだったので、持ってきたポットの甘いコーヒーを飲みながら、本をかたづける。
3時に、終了。鳥本さんを、民宿沢屋に送り、資料館に戻る。関口さんが先に来ていて、暖炉に火を入れていてくれていた。
今日、東京はみぞれ交じりの雨とか。こちらも同様。明日朝は、道路が凍り付いているだろうから、車の運転要注意といったところだ。
14日に前期授業終了の発表会、15日に前橋市青年商工会議所のクリスマスパーティでの公演を行った。
みんながんばっているのだが、ジャグリングの失敗が多いのがつらいところ。大道芸ならば、失敗も、口上などで多少のカバーはできる。
しかしステージでは、失敗は失敗で、未熟さをさらけ出すだけだ。普段からパーフェクトな練習を心がけなければならないのだが、そのあたりにまだ甘さがある。春からはそのあたりを厳しく対処したいと思う。
2003年夏、群馬県下一円で、中国ウイグル自治区の雑伎団を呼び、公演する計画を進めている。自主興行だ。リスクは大きい。だが、何とかこれに成功して、他県でもできる興行形態を確立したい。
腹をくくってかからなければならない大仕事である。これに成功して、二人目の先生を呼ぶ資金を作るつもりである。

★12月15日

昨日、サーカス学校2年目の前期授業終了発表会。
夜、皆と食事を終えた後、なぜか、ホッとする気持ちがじわーと湧いてきました。今年も実にいろいろなことがありました。
昨年からこの秋まで、一番、悩んでいたことは沢入小学校の東校舎を借りて、登校拒否児の学校を作りたいという人が現れたことです。最初はいいなと思っていました。
ひょっとすると、集まってきた子どもの中には、僕らの練習風景を見て、一緒に練習したいという子どももきっと現れるぞ、なんて思って見たりもしました。
しかし、最初、東校舎を借りてという話が、中校舎も借りたい、現在、サーカス学校が借りている用務員室も空けて欲しいという話が出てきたころから、僕のほうはこれは何か怪しいという気分になりました。
なにしろ、登校拒否児の学校を始めたいという本人が、村役場にはよく現れるようですが、ぼくらのところには現れないのです。
で、用務員室を明渡せないかと度々、村から言ってくるのです。その度に、一度、登校拒否児の学校を始めたたいという人と話し合いをしたいと伝えてもらっていたのですが、先方からはナシのつぶて。
ついに痺れを切らして、メイルをおくったところ、沢入小学校は村の施設であり、村が決めることなので、今、サーカス学校が使っていても、その人と話し合う必要はないと返事が来たのでした。
居住権ではありませんが、すでにサーカス学校があり、学校は利用されているのにもかかわらず、そんなことは関係ないという態度に、ぼくはびっくりしてしまいました。こんな横暴な態度を取る人に、果たして登校拒否児の教育が可能なのかという疑問も湧いてきました。しかし、そのことは僕にはわかりませんので、その点については発言をさけました。
ただし、サーカス学校を認めていないような、自分の都合で、ぼくらを追い出そうとしていること。これは、認められないことであり、既に存在しているものを否定していくような考え方(勿論ケース バイ ケースで、その内容、活動にもよりますが)の持ち主とは、何かを一緒にやっていくことはできないだろうと感じました。
その後も再三再四、話し合いをお願いしたところ、やっと、新しい村長の立会いのもと、話し合いのテーブルにつくことが出来ました。 話し合いは平行線といいますか、先方は用務員室の明渡しを求め、しかも体育館も使いたいといってきたのです。
話がまとまるはずがありません。ぼくはギリギリまで、用務員室を明渡さなければならないかもしれないと思っていました。登校拒否児の問題は、大きな社会問題で、これに身を投げだして、一人一人の登校拒否児と向かい合おうとする人の活動であれば、ぼくらも譲れるところは譲らなければならないと考えていたからです。
ですが、そうではありませんでした。登校拒否児の学校経営に、サーカス学校が邪魔なのが、話していくうちにはっきりしました。先方は、サーカス学校はいつか出て行くと考えていたのです。そのような情報をだれが先方に吹き込んだかはわかりませんが、そのような前提に立っていたわけです。 
そして、サーカス学校は沢入サーカス学校で、恒久的活動していくつもりだということが分かっても、先方は態度をかえませんでした。ということは、サーカス学校の活動は、言葉で認めても、実質的には認めていないことがわかりました。
話し合いは、いったん、村が預かると言うことになりました。
後日、先方は、村議会で、「わたしは50年間生きて、それなりに人を見る目があると思いますが、サーカス学校をやっているあの人(つまり西田のこと)は、信用の出来る人ではない」といった発言をしたそうです。
信用されなくても、沢入小学校から手を引いてくれれば、僕はそれでいいと思いました。
村が、ここ東村で廃校になっている他の小学校でどうか打診した結果、先方は、それでいいということになり、とりあえず、この問題は一件落着ということです。僕の信用問題は棚上げです。
というよりも、議会で他人の誹謗中傷する人は信用できるかどうかは別にして、人格者とはいえないと思いませんか。
僕の場合は、まあ、信用できない人と誹謗中傷されるような人間ですから、これまた人格者ではなさそうです。
それに人格者とやかくも、サーカス学校を充実させ、いいアーティストを育てるため、むしろ、なりふりかまわぬ努力が求められているので、その意味でも人格者からは程遠いといわざるをえません。
長く、気持ちの晴れない状態が続いていたのですが、取りあえずは、この問題では晴れ間が覗いてくれました。
とにかくサーカス学校を充実させなければなりません。
お借りしている校舎も充実させていかなければなりません。
今、とりあえず、2階にある2教室のひとつを図書室にしようと準備をしています。もうひとつの教室は、ビデオライブラリと海外のサーカス資料室にしたいなと。
1階の教室はサーカスの道具などの展示と、残りにひとつの教室は、サーカス学校の道具置き場にと考えています。
いまボチボチその作業にかかっていますが、時間と人手不足です。ぜひ、協力できる人がいましたら、東村に。
露天風呂につかり、美味しいお酒を楽しみに、手伝いにきてください。

★12月10日

ご無沙汰の村長日記です。
武漢で行われた第5回の中国武漢国際雑技芸術節のことを書くといいながら、ドンドン日が経ってしまいました。この話を書くと長くなってしまうので、割愛。
とにかく、今回始めて日本からマジシャン内田貴光君が参加。銅賞を獲得したことを報告しておきます。
そして荷物のことなど、僕はムチャクチャ苦労したと書き添えておきましょう。
今日10日は、ヘブンアーティストの二次募集、ビデオ審査の日。
今、約50本ほどのビデオを見てきました。
前回よりは、全体的にかなりレベルが低かったようです。プロではなくアマチュアの応募が多いようでした。
アマチュアの人びとにも発表の場は必要と思いますが、大道芸で面白くないものはやはりお客さんも見ない。
その人がヘブン・アーティストとなると、ヘブン・アーティストの質全体が問われかねない。
ということもあり、やはりお客さんをひきつけられないようなものは、ご遠慮してもらおうというのが、審査の基準のひとつになっています。
で、審査会を終え、今日は東京の夜。飲みにいこうかな。
明日朝には、東村に帰ります。
道路が凍結していないか心配です。東村は寒いです。でも、サーカス学校の皆は頑張っていますよ。
14日14時から、サーカス学校体育館で発表会を行います。見にこられる方は、西田まで、ご一報ください。

★11月12日

15日間の中国の旅から帰国。先月の25日に、事務局長の関口氏と一緒に北京経由、翌26日にウルムチに。
ウルムチは思ったほど寒くなく、快適に動くことが出来ました。26日は、例によって中国的歓待を受け、白酒で 乾杯。で、コロンとお休み。翌日は、ホテルの近くの食堂でウイグル・麺と饅頭、柘榴のジュースといった朝食。
その後、雑技団へ。現在の雑技団の演目を見せてもらう。中では、コントーション、ハイワイヤーなどは若いメンバー で公演。新しい世代が生まれている。女性でクラウンを演じている人がいて、その芸はまだまだだが、興味を引く。
シシカバブー(羊肉の串焼き)の昼食の後、皆との雑談の時間があったので(実は、西田センセによる演技批評という設定)いろいろ話しながら、その女の子に、クラウンが好きなのかと聞くと、頷く。いいな、と感じる。
クラウンとして成長してくれると、中国には、ほとんど女性クラウンがいないので、大いに楽しみである。
夜は、再び、宴会。ウイグル音楽、踊りつき。関口事務局は大いに楽しみ大いに飲んだのでありました。
翌27日。事務局長は、トルファンへ。なにしろ余りウイグルにいれないので、多少は観光してもらうことに。
小生は、この日は、芸術学院雑技科の生徒の公演を見る。そして来年の群馬公演のメンバーの仮決定へ。
一日仕事を目一杯こなしました。で、夜は再びドリンクタイム。さすがの関口氏もいささか飲み疲れ。
で、28日にはウルムチをでて北京にまいもどり。あっという間の3泊4日でした。
武漢の話は、次回に。

★10月21日

気がつけば、フール祭も終わっています。お客さんが思っているように来てもらえず、悪戦苦闘。
でも、これから100年続けますと、啖呵を切ってしまったので、今後、どのようにすれば、持続できるか ない知恵を絞らなくてはなならい状況です。でも、やってよかったのです。動員の問題を含めみ課題は山積みなのですが、一時間以上のショーを作り上げるために寝ずにがんばった人。
そのような試みを行う場としてフール祭が機能しえたことは、これは自画自賛してもいいことだと思っています。
さまざまなフェステイバルが行われています。しかしその多くは商業的だったり、あるいは発表会的なものだったり、国の文化政策的なものだったりと、果たして誰が真剣に取り組んでいるのか見えないものが多い状況です。そんな中、フール祭には大きな野望があります。それは、フール、クラウン、パントマイムなどの芸を見せてくれる、さまざまなアーティストに参加してもらい、この時代に肉迫し、時代に笑いの爆薬を仕掛け、明日を覗こうとしていることです。テレビ的娯楽世界を笑い飛ばしたいものです。
僕らの試みがさまざまなつながりを持って、人々が、さまざまな公演場所に出かける、、、。夜の7時から10時ごろまで、人びとが劇場や野外の公演場所に出かける。テレビの前で、ぼんやりと時間を過ごしているのではない状況を少しでも作りだしていきたいのです。
フール祭が終わり、サーカス学校は前橋県庁前と前橋中央公民館で公演をしました。
ぼくは25日から中国です。
まず、北京経由でウルムチに。新疆ウイグル自治区雑技団に会ってきます。
というのは、来年の夏、群馬県下一円をまわり、ウイグル雑技を子供たちに見せたいと考えているからです。
サーカス学校の生徒とのジョイントも考えています。勿論、技術的にはとても雑技のアーテイストに対抗できませんが、なんとか、一緒になってやれる方法を考えたいと思います。
で、武漢にいきます。武漢では、第5回目の武漢国際雑技大会に審査委員の一人として参加します。また今回は、日本から始めて魔術師の内田貴光氏が参加します。

★10月2日

昨夜は戦後最大級とかいう台風の到来。早めに自宅に帰り、見回り。なにしろ東村にいるほうが多くなっているこの頃、自宅はほったらかしなんであります。
まあ、無事というか、ウイスキーを飲みテレビを見ながら、外の風雨の音を聞いておりました。
9月29日の群馬県フラワーパークの公演。始めてたかしがディアボロで登場。ディアボロのテクニックは申し分ないのですが、ステージでの表情が硬く、そのあたりの問題があるのですが、なんとか無難にこなしました。二回目の公演の後は大きな拍手で、挨拶も2回行うなど、ショーとしての形になってきたようです。
この後の公演は、10月19日、群馬県庁前の収穫祭などがあります。
今はフール祭の準備に全力投球で、この2週間はほとんど東京にいます。みなさん、ぜひ、フール祭見に来てください。
詳しくは、ACCのホームページで。

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