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村長日誌(2003年10,11,12月)
★12月22日

晴天の東京。2日前のサーカス村は、とんでもない大雪。
サーカス学校発表会当日、昼過ぎから舞い始めた粉雪は、たちまち周囲を雪景色にしてしまい、鳴り始めた携帯電話からは、途中まできているが、このまま進むのは危なそうなので引きかえすという連絡。それでも会場には50人以上の人が集まってくれました。
今回は、体育館での公演とはいえ、できる限り暗くできるように暗幕の隙間を埋めたり、容量のない電気量を工夫して使い、わずかでしたが照明機器を点灯したり、某所から処分品の高級音響機材を調達したりして、ある程度の舞台らしい状況をつくりだしての発表会。
それだけに少しでも多くの人々に見てもらいたいとサーカス村の会員の方々にも積極的に声をかけたのでありました。但し時期が時期だけに皆さん忙しく、来てもらえないと思っていたのですが、何人かの会員、それに地元近郊で応援してくれる人々、サーカス学校に入りたい若者などが集まってくれました。うれしかった。それに生徒たちもかなり頑張り、稽古の時以上のできを見せてくれた者もいたので、一応の成果はでたかなと思っています。
とはいえ、もちろんこのレベルで満足というのではありません。事実、現在の生徒の力量では、世界のサーカスの舞台に立つことはできません。まだまだ、技術を向上させなければなりませんし、人間としての成長も欠かせません。特に、後者の問題は今後のサーカス学校の課題のひとつといえそうです。
さて、ショーが終わって、校庭に出てみると、あたり一面、雪野原。10センチほどの雪が積もっているばかりか、雪はまだどんどん降り続けているではありませんか。
ショーのあと6時から懇親会の予定。会場は、学校は4、5キロ離れた国民宿舎のサンレイク草木。そこえざっと30人のお客とサーカス学校の生徒を運ばなければならない。その手だてやいかん。すると、サーカス村の会員でもある国民宿舎がとりあえずバスを出してくれるという。それでまずは、お客できている人々を運んでもらう。
帰る人は、会員でもあるカメラマンの川島君に頼んで赤城駅まで送ってもらう。スタットレスタイヤを履いている車で来ている菅谷君も協力してくれるというので、少しずつだが、雪に閉じ込められた状況からの脱出に目途がたつ。
そして偶然というか、12月になって関口事務局長の努力でサーカス村に入手できた4Wのワゴン車が大活躍。事務局長が運転して、サーカス学校と国民宿舎をピストンして、サーカス学校の生徒を国民宿舎に送り届けようということになった。
そして6時20分。懇親会を始めることができたのであります。もう、その後のことはよく覚えていません。
思い返してもいると、ショーの最後に、僕の還暦祝いとか言って、赤い帽子と、フードのついた、これまた赤いチョッキのようなものをみ みんなが贈ってくれるというハプニングもありました(どうせなら、着れるサイズのものを買ってこい!)
また、お客のなかには、粉雪舞う露天風呂に入り、なにやらしみじみと幸せを実感した人もいたようです。
入学志望の若者が4名ほど来ていました。彼ら・彼女たちは、サーカス学校にどんな印象を持ったのだろう。それが一番気になるところだが、きって入学してくれるだろうと、僕は、持ち前の楽観的な感覚で、彼ら・彼女たちの返事を待っているのであります。
雪のためにUターンせざる得なかった学校希望の若者もいたので、彼ら・彼女たちと声を交わすことができなかったのは、心残りであり ますが、彼ら・彼女たちとは、またどこかでお会いできることでしょうし、ぜひ、春になったら尋ねてきてほしいと思います。

★12月18日

明後日の20日は、サーカス学校の発表会。今回は少しばかり力を入れて、舞台も少しばかり飾りこみ、個々人の演目にも少しだけ注文をつけたりと、全体がショーになるように心がけています。
といっても、一本のショーを作るというスタンスで取り組むには、今しばらく時間が要るかなと思っています。これまでも、芝居をやってきた頃から今日まで、いろいろな形のショーを作ってきていますが、今、作っているものには、あまり、自分の考えを入れてはいません。
どちらかと言うと、それぞれの個性をどうすれば伸ばせるか、そこに、ポイントを置いています。それで、いいショーができるか、そうでもないと思います。それぞれの個性を伸ばすことといいショーを作ることは、まずは一致しないでしょう。そのあたりの当たり前と言えば当たり前の矛盾のなかで、でも、なんとか個性を伸ばすことと少しでもいいショーを作ることを、すこしでもスムーズにやってみたいと考えているわけです。
という意味では、ぼくは、プロの仕事をどこかで否定しているというか、といってアマチュアの仕事をしているのでもなく、別ルートの仕事を模索しているのかもしれません。あるいは、もう少し何もかもが本物であっていいと思っているのかもしれません。そのあたりのことを明確にするには、僕自身の頭がもう少しクリアになる必要があるに違いないのですが、色々な常識を疑いつづけるしかないかもしれません。

★12月5日

ごぶさたの村長日記です。義母が亡くなり、なにかとバタバタしております。
11月29日に平成15年度の総会を開き、昨年度の事業報告、本年度の事業計画等を話し合いました。会員の方には、会報でお知らせしましたが、今年の夏に予定していたウイグル雑技団はサーズで中止になってしまったのですが、本年度再度試みてはどうかという意見がありました。
しかしながら、本年度実施するには、再びサーズ再発の恐れもありそのリスクを背負ってまで実施する体力が、いまのサーカス村にはないということで、本年度の事業計画には取り上げませんでした。皆さんのご意見もお聞きしたいところでですが、スポンサーのないところで、興行を行うというのは、かなりリスキーなことで、やる側は精神的にもかなりハードな状況に耐えないとならないものなのです。
本年度は、学校の充実を図ることに力点をおいた活動を行いたいと考えています。

★11月4日

静岡大道芸フェスティバル。文化の日を挟んだ3連休で、日本のあちこちではイベントの花盛り。そんな日々、サーカス学校の生徒たちは、一部は静岡へ。
そして残ったメンバーは、赤城村の野外ステージでの公演、さらには関東短期大学文化祭に参加と、大活躍でした。
特に関東短期大学では、公演場所が体育館だったこともあり、馬来君のシフォンの芸を始めてサーカス学校外で披露することができました。アイアイの足芸、スターに乗れるようになったひろみ、そして馬来のシフォンと続くショーはなかなかの見ものに仕上がり、サーカス学校の公演も、次第にサーカスショーらしきものになってきました。
個々人が、ひとつの演目の中味を充実させ、その演目の中にドラマを表現することができてこそ、サーカス芸といえるものだと、ぼくは考えていますが、どうやら、その姿が見え始めているということです。7分程度のステージ、それもおしゃべりなしに、観客を感動させることが出来てこそ、サーカスの演目です。
大道芸と大きく違うところはそこです。サーカス芸は笑わせると言うよりもやはり感動を与えるもの。それだけに芸は高度化せざるを得ないのです。う〜ん、だんだん面白くなってきたぞ。ボクの実感です。

★10月23日

10月11日(土)、群馬県多野郡新町の第一小学校で、久しぶりにサーカス学校の 公演を行いました。盛況で楽しい公演ができました。ただ芸を見せるだけでなく、次第にスタイルのようなものが生れてきています。
勿論、まだまだ進化してもらわなくてはならないのですが、それぞれの芸がステージで見れるものになってくるのはとても楽しみです。本格的なサーカスのステージが出来なくても、楽しいミニ・サーカスショーといったものがつくれるのではないか。演出したくなってきています。
もうひとつ考えているのは、これはかなり個人的なことなのですが、やはり、サーカスであれ演劇、ダンスであれ、その世界に全身で打ちこむ人びととの作品作りです。食えるか食えないか。大道芸は食えるというところからさらに自分のアートをいかに作るかというところへ行かねばと思います。サーカスも、他のアートのジャンルからは、あれは金のためのエンターテイメントだと言われます。でもそれだけではない。そこのところをこれから一歩も二歩も進められないかと思っています。

★10月16日

サーカス村は日一日と秋の気配が深まりつつあります。
資料館の庭の栗の実もほとんど落ち、サーカス学校の銀名が落ち始めています。銀杏の実は、メスの木のとても高いところになっています。木の低いところには全く見当たりません。銀杏の実が実際なっているのを見たのは初めてです。いつも低いところばかり見ていたのですね。
一昨日、フランスのブランコ乗りキャロリーヌニ−ルとベルギーのジャグラー・マーク、それにカザフスタンのサーカスプロデュサー・ハーリック氏がサーカス村を訪問してくれました。
キャロリーヌは練習用のブランコを持ってきてくれ、ブランコの取り付け方、初歩の練習方法を教えてくれました。マークのジャグリングの指導も素晴らしく、みんな、歓声を上げていました。
もともとはカザフスタン国立サーカス団の団長であるハーリックもハンド ツー ハンドを身体を使って指導してくれました。25年ぶりに身体を使った、とハーリックは言っていましたが、まだまだその体には力がみなぎっているようです。大したものだと感心させられました。
サーカス学校にも力の強い人がいるといいのだがと想わざるを得ませんでした。ただ考えさせられるのは、ナジェイジダ先生という素晴らしい先生の指導に全力でぶつかっていかない生徒が、他の指導者がくると、なにか特別なことを教えてもらえるのではないかとはしゃいでしまうことです。
なあに、一ヶ月もいれば、ぼくの言うことも聞かなくなるよ、とハーリックが言っていたとか。先生と生徒の関係は確かに難しいものだと思います。それをなんとかこなしながら、すこしでも進歩するような努力を続けなければならないのでしょうね。

★10月1日

今日は、都民の日。で、お恥ずかしくも、都庁の会議室で、文化功労賞をもらってしまいました。なんでかな、と皆様お思いでしょうが、受賞理由は、ヘブン・アーティストの審査員をやったことで、都民のための文化に貢献したということなのです。 審査員全員がもらいました。 僕の仕事からいえば、サーカス村、サーカス学校運営のほうがはるかに文化に貢献していると思うけど、そちらの仕事は都民文化に貢献しているわけではないので、この活動で表彰して、というわけにはいかないのです。残念。 それにしてももう少しサーカスに汗を流している人々が評価されたり、みんなに認められるといいなと思います。認められれば、それだけ活動しやすくなるし、また、いろいろなサーカスショーやサーカス的な活動が生れてくると思うのだけど。まあ、そうなるように活動してゆくのが、サーカス村の活動といえるけどね。 15日には、ベルギーに住んでいるフランス人のキャロリーヌが東村に来て、空中ブランコを取り付け、実演を見せてくれます。実は、この時、カザフスタンの友人ハリック(サーカス団の団長というかディレクター)もくるので、さて、どんな日々になるか、いささか恐ろしい気もしますが、楽しみです。

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