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村長日誌(2004年1,2,3月)
★3月31日

今、8月下旬にシアターXで公演予定の第6回のIDTF(インターナショナル ダンス シアター フェティバル)参加の四谷怪談を素材としたダンス劇の台本書きに四苦八苦しています。『へいせいいえもん』というタイトルにしようかなというところまでやっと漕ぎつけたところです。
この作品には、サーカス学校のメンバーにも何人か参加してもらいたいな、と。それに、パントマイマーというか、なにやら怪しげな芸の持ち主にも出てもらえないかなと思ったり。オーディションで参加希望の人などにどのような考えで参加してもらうか。頭の中はぐちゃぐちゃ。どのような練習、ワークショップをしていくかといった問題も、すべて、台本の中に書き込もうという無謀な計画。というのも、台本書きという作業そのものも見直していかにないことには、この世の中で作品を作ることにはならないという想いが、心のどこかで叫びを上げているからです。
芸能者として何ができるか。タレント、芸能人ではありません。芸能者とは、このさまざな問題にのたうちまわっている世の中とコンタクトし、表現活動をしている人々のことです。

★3月30日

六本木ヒルズの回転ドア事故が業務上過失事故として可能性がでてきたために、ヒルズでの自主イベントは当面、前面中止となり、その対応に追われ、東村に帰れずにいます。昨年はサーズによる新疆ウイグル雑技団公演の中止。さまざまな問題が噴出してきています。
多分、世界全体でさまざまな間違えが起こっており、それが、次々と事故を引き起こしてるのではないかと感じています。より豊かな生活を追い求め、そのために利潤を追求するというシステムそのものが歪んできているに違いありません。サーズと六本木ヒルズの事故は関係ないよと思われるかもしれませんが、ぼくには全く無関係とも思われません。
今、僕は、見えないサーカスというイメージを醸成中といいますか、そのイメージを育てようとしています。見えないサーカスというのは、米粒のような小さな世界でのサーカスです。もちろん、このままのイメージで、実際の公演ができるはずもないのですが、見えないもの、米粒のような小さなものの世界から、何かが見えてこないかなと思っているのです。

★3月28日

3月26日、六本木ヒルズの回転ドアの死亡事故で、イベント中止。僕の会社ACCが招聘しているグループの公演も中止となり、翌日お台場のビーナスフォルトに移動。
回転ドアという、今ではそれほど珍しくないものだけに、なにか重大なことを忘れていたのかもしれないと思う。大人であれば、あの回転ドアというもの、やってくるドアが気になって、無理に入ろうとするよりも、ドアが行き過ぎてから入ろうとするに違いない。そうした感覚が常識化して、回転ドアに対して子供がどんな感覚を持っているのか、そのあたりを見落としていたのかもしれない。
技術の進化には必ず落とし穴がある。僕らはそのことにもう一度、謙虚に向き合うことが必要なのかもしれない。

★3月26日

フール祭でBPズームを見ていただいたドイツ文学者の岩淵達治先生がBPに賛辞のレターを書いてくださり、BPは舞い上がったようです。この一行でBPを見なかった人は、きっとしまったと思われるかもしれませんが、BP来日のチャンスはかならずあるとおもいますので、またの機会をお待ちください。それにしても、実にうれしいことです。
実は風邪気味だとおっしゃるのを無理やりお誘いして、オキドク2を見ていただいた作家の小沢信男先生からも、絶賛のアンケートをいただきました。ディミトリーの紹介から始まったぼくらの仕事も、フール祭3回目を向かえて、あるいは新しい航海を始めているのかもしれません。
思い出してみれば、最初にディミトリー公演をおこなった時、日本でのクラウン公演は成功しないと、クラウンの専門家に脅かされたものです。それが実際にフタを開けてみると、お客さんが笑い、拍手をし、僕らの予想を裏切る反応を示し、ひょっとすると、招聘している僕らの意識よりも観客のほうがよい感性を持っているのではないかと、自分の至らなさを感じたものです。
あれから15年たちました。今回の吉本・グランド花月でのお客さんの反応は今ひとつですが、僕はこれは小さな壁だろうと思っています。きっと、近いうちに、本物のクラウン芸に対して、お客さんがすばらしい反応を示して、再び、もうひとつ受けないなと思っている僕らを、いい意味で裏切ってくれるのではないかと思っています。だからこそ、日本でクラウンを目指す人はさらに頑張らなくてはいけないのです。
海外の本物のクラウン公演が日本で頻繁におこなわれるようになれば、当然、日本のクラウンの芸は彼らと比較されます。その時、なんだといわれないように、僕らはもっともっと勉強し、努力しなければならないでしょう。

★3月25日

22日にサーカス学校の3年目後期の授業を再開。体験入学者3名が参加。さて、今期はどんな進歩が見られるか、今から楽しみです。
今期は、サーカス学校のショーとしての核を作りたいなと思っていますので、その意味でも、ショーを前提とした、個々人の演目の完成度を追求しなければなりません。
学校をオープンして、2時過ぎのわたらせ渓谷鉄道に乗って、東京にもどり、シアターXのIDEFのオーディションへ。8月下旬の公演予定の新作ダンス劇に参加希望の人々の姿勢、能力を見せてもらうためのオーディションです。
23日は昼過ぎの新幹線に飛び乗って、大阪に。
大阪なんばグランド花月では、今月28日まで、フランスの女性ジャグラー ロシェ フランソワーズが公演していますが、そこにフール祭参加のBPズームが3日間だけ、10分程度のショート番組で参加させてもらえるということで、そのリハーサル、初日に付き合うために、大阪に向かったのです。花月でのBPズームのショーは、いろいろな発見につながりました。ひとつは、世の中には、いろいろなお客さんがいるなということです。BPが可笑しく歌い、可笑しなロックミュージック演奏をしても、花月のお客さんは真面目に聞いてしまうのです。そこでの笑いをとるのがむずかしいということでもあるのですが、花月のお客さんがBPの笑いの世界を経験して、これおもろいぞとなってくれるといいなとも思いました。ちょっぴりハイブロウな笑いの世界。それがお客さんに受け入れられると、花月のレパートリーも広がるのではないか、とも感じていました。
ところで話は違いますが、伊豆シャボテン公園の園長堤秀世さんが上梓された『チンパンジーにありがとう』(フェレーベル館)は、実にすばらしい本です。ぜひ、みんなに読んでもらいたいと思います。動物調教を通して、チンパンジーの生態、能力を知ろうとする堤さんの姿勢には、学ぶべき多くのものがあります。動物好きの人に読んでもらいたいのは当然ですが、それ以上にクラウンを目指す人に読んでもらいたいのです。僕のなかでは、人間観察が欠かせないクラウンの勉強に、チンパンジーと付き合う堤さんの姿勢そのものが多くの暗示を与えてくれると思うのです。
いや、クラウン志望の人だけではなく、すべての人に読んでもらいたい。堤さんとチンパンジーの付き合い方には、人間同士の付き合い方に必要な多くのことが秘められているからです。
また、話は変わりますが、BPのベルニーに半自伝を書きませんかと提案しました。さて、その結果はどうなるか。これは長い仕事になると思います。

★3月16日

フール祭終了。今後のことなど、考えたいこと山済み。それにしても、相当な成果を挙げられたと思う。オキドク2の再来日公演をどのように計画すればいいか。BPズームは、吉本興業花月劇場でのショートバージョンの公演、この初の試みはどのような結果になるだろうか。
BPズームの出演は、3月、24,25,26日。ジャグリングのロシェ・フランソワーズも今出演しているので、この3日間は見応えありますよ。

★3月15日

昨夜、一週間続いたフール祭が終了。ほっとすると同時に、疲れた身体が残っています。今後のいろいろな課題を整理しなければなりませんが、フール祭3回目で、手ごたえのようなものも感じています。前夜祭にサーカス学校の生徒の一部も参加し、劇場での公演に、相当上がってしまったのも事実ですが、いい経験になったと思います。
作家の小沢信男さんからは、下記のようなオキドク評をいただきました。


オキドク2は堪能しました。とりわけ4枚の垣根?を使った一場は、有情と無情と、煩悩即菩薩と、すれすれの境地を感じた。4枚がすばやく動いて、内と外が入れ替わるようで変わらないオカシミ。あの動きが辿り直せない。ほとほと至芸。何語でもない声がみごとに表現になっているのも、さまざまなジャンルの表現者たちに課題をつきつける公演だと思った。ありがとう。

このような評をいただくと、招聘したぼくらも、幸福感に包まれるものです。オキドク2は、ぜひ、また招聘したいと思っています。

★3月12日

フール祭も中日を過ぎました。10,11日のベルギーのクラウン2人組、オキドク2の公演は最高のクラウン芸でした。10日に見た翌日、興奮してあちこちにメイルしたり、電話したり。リトルワールドの初日を控えて、犬山に詰めている大島君にも、トンボ帰りしなくてはならないけど、とにかく見に帰ってくるように説得したほどです。
なにがそんなによかったかといえば、ひとつひとつのエチュードのネタは古典的なクラウン芸のものなのですが、それをかれらなりに解釈して、丁寧にそのギャグを扱って、別の感性の世界に連れて行ってくれるのです。彼らのクラウニングを、僕は新古典派道化芸と名づけたのですが、このネーミングに、オキドク2のメンバーを、笑顔でうなずいてくれました。
今回のフール祭では、お客の反応など、いろいろと新しい手ごたえを感じていますし、なにかが動き始めているような気がします。

★3月11日

3月10日、昨夜のオキドクの『HAHAHA』は、最高のクラウンショーでした。ハラハラと笑い続け、フィナーレでは、目じりが熱くなっていました。こんな感動は数年ぶりです。ぜひ、この日記を見た方は、なにがんでも時間を調整して見に来てください。

★3月10日

フール祭は前夜祭と初日を終え、今日、3日目です。前夜祭は200名以上のお客様で、大盛況。到着していないBPズーム以外、すべての人々に出演していただき、観客の皆様にも大喜びしていただいたようです。特に司会をお願いした、だめじゃん小出さんのトークに会場は、たびたび爆笑の渦。そしてアコーディオンと美声で、シャンソンを披露してくれたチャイソンズが、前夜祭に相応しい気分をしょっぱなからかもし出してくれました。サーカス学校の生徒も4名ほど出演したのですが、かなり緊張していたので、その緊張感が客席に伝わってしまったようです。まあ、緊張するのは当然ですが、やはり、それをクリアしていかなければ、舞台に立つわけにはいきませんので、大きな課題を与えられたようです。
初日は、日本在住の、マジック・クラウンのスティーブ・マーシャル。自分の半世紀を語りながら、さまざまなマジック、ジャグリングなどを見せてくれました。もう少しお客さんが入ってくれて、気楽に楽しんでくれるといいのですが、そのあたりが制作者側としては反省しなければならないところです。この問題にいかに取り組むか。今回チラシ撒き、マスコミに取り上げられた件数など前回をはるかに上回っているので、今後の対策はかなり難しいなと思っています。ただし、前夜祭、初日しかまだたっていないのですが、今後のフール祭の見通しという点では、手ごたえのようなものを感じています。これは過去2回にはなかったことなので、小さな自信になっています。

★3月5日

8日からフール祭開始。今回で3回目だが、場所をシアターXから三百人劇場に変えての試み。さて、お客さんがきてくれるかどうか。ぜひ、盛況にしたいなと思っています。フール祭は、みんなの力を借りながら作り上げているもので、特に出演してくれるパフォーマーのみんなには新しいものを作ってくれなど、過酷なお願いをしています。
しかし、このフェステイバルは、自治体が行っているものでもなければ、スポンサーがついているわけでもありません。今回は芸術文化振興基金の助成を受けていますが、それでも、財政的には苦しいことには違いありません。しかしこのフール祭は、僕らの活動そのものを発展させるための活動であり、参加するパフォーマーのみんなには、新しいことにチャレンジしてもらいたいという思いがあります。
僕にとっては、サーカス学校という、いわば、訓練・学習の場、そしてフール祭という発表の場という認識があります。この二つの場は、僕にとってもまた参加する人々にとっても、商売の場ではなく、むしろ考える場ととらえてもらいたいと思っています。そこをみんなが考え、さらに先をみて、創造的な活動をしてもらいたいと思っています。
みなさん、ぜひ、見に来てください。そして批評を。

★2月29日

さて、前回の続きといいますか、キエフ・サーカス学校の校長とのミーティングですが、先方は、単純言えば、うちは、ナジェイジダ先生を派遣しているのだから、お前のところは、わがキエフのサーカス学校にもっと援助しろ、という、ある種の恫喝であります。校長の頭に中には、日本は豊かなのだから、もっと、我々に援助してしかるべきだという考えが染みついているようです。でまあ、その彼の話しているロシア語というのが、いかにも口の悪い表現らしく、通訳の梅林君がかなり怒っていました。梅林君は、稀に見るほど大人しく真面目な方ですので、彼が怒っているというのは、校長は相当口汚く物申したのでしょう。とはいえ、ぼくも怒っても仕方ないというか、以前から、彼の、そんな態度を知っていたので、ここで、下手に喧嘩して、ナジェイジダ先生のこと、留学している生徒に迷惑がかかってもいけないので、で、援助との話しですが、一体、何を、と聞き返したところ、彼は、日本の音響設備はとてもいいのでそれをよこせ、というのでありました。まあ、音響といってもまさしくピン・キリですから、どこでつかうのか、部屋を見せてくれといいました。すると、校長は、明日というので、その日は終わり、です。
この話しはどうなったかといえば、翌日出てきたのは、劇場並みの音響設備のリストです。あまりのバカバカしさに、これはどういう意味ですか、と問いかけたところ、校長自身も、そのリストはあまりに過剰な要求だと思っていたらしく、それを引っ込めました。そこにナジェイジダ先生がビデオカメラ一台ぐらいで、という話しをされ、まあ、そのあたりで手を打つことになりました。
こんな話しをすると、次はぼくもキエフのサーカス学校に留学したいと思っている人の気持ちを萎えさせてしまうかもしれませんが、こういう人が、サーカス学校を充実させているのも事実なのです。問題は、学ぶ人の気持ち次第。そんな校長の学校にいくものかというのもひとつの考えですし、そんな校長の学校でも、いい先生がいて、自分がそこで才能を伸ばせれば、行こうと考えるのも本人の問題です。これは一例です。他のことにしても、状況を見極めることと自分はどうしたいか、どうあるべきかを考えて、行動してもらいたいと思います。

★2月19日

去る17日、一週間のウクライナ旅行から帰国。雪のキエフでした。11日の深夜キエフに着き、というのも。成田発の時、既に3時間遅れでモスクワに着いた時には、予定の飛行機は既にキエフに向け、飛び立ち、さて、その日のうちにキエフに行けるのか分からなかったのですが、モスクワ空港のトランジットカウンターでわめいたところ、この日に最後の飛行機に乗っけてくれた次第です。
で、そのトランジットカウンターでずらりと並んでいる人に、お〜い、キエフ行く人おらんかと大声を出したのですが、誰も返事をせず、まあ、ちょっと恥ずかしい感じでありました。でも、キエフ行きで順番待ちしていたら、その日のうちには行けなくなるもんね。で、キエフの空港で、ナジェイジダ先生に3時間待ちというご迷惑をおかけしてしまったのであります。
キエフ滞在中は、ずっと、先生宅。旦那さんと息子のサーシャ、そして今は市内に住んで、サーカス学校の講師になっている娘のオーリャと、楽しい時間を過ごしました。
翌12日は、早速、サーカス学校の練習場。入ってびっくり。以前のときに比べ、はるかに多い人数の生徒が熱心に練習しています。その中に篤君の姿も。早速、ビデオを回して、彼の姿を納めました。本人は照れていましたが、練習する姿は、すっかり、みんなに溶け込んでいました。やがて堤君も、通訳を買って出てくれた梅林君を連れてきてくれました。
実は、この日、サーカス学校の校長に会う予定があり、彼との話しには、どうしても通訳が必要だったのです。梅林君には、以前、五人囃子ツアーの時にあっており、その時はキエフ大学にロシア語を勉強しにきていたのですが、現在は、キエフ大学の日本語の先生になっていました。
さて、今回の難問というか、校長とのミーティングですが、続きは、次回に。というのも、今すぐ、片付けなければならない問題が発生。

★2月8日

忙しいかった1月がすぎ、2月に入りました。4日「幻想万年サーカス団」を松竹演舞場で見て、6日にアートソフィアで、石川淳原作の「狂風記」を見ました。万年サーカス団には、サーカス学校の一人が、サーカス・エキストラの一人として出ていました。
戦争を経て、集まってきたサーカス団員が再興を決心するというフィナーレは、これは実際にそのように行動した、ある団長だった人に聞き書きをした僕にしてみれば、歴史的事実として確認したことなので、納得がいくことですが、でも、舞台の上で、それがきれいな絵柄で表現されているのは、なにか上っ面を撫ぜられたようで、白けてしまいました。
米軍からテントのぼろ布をもらってくる、どこからか丸太を運んでくる、こんな痩せた農耕馬しか手に入らなかったというような、戦後すぐの時代にいかにサーカス小屋を立て、公演を実現したかというところに重点を置いて、そこからフィードバックして、物語りを構成させていくといった作劇がよかったかなと、これは、僕の身勝手な印象です。タイトルは万年サーカス団だけれども、不義して生まれた子供が言葉も満足にしゃべれず30歳になって、サーカス団に預けられて、でもそこで言葉を覚え成長してゆく、戦争を潜り抜け、なお懸命に生きようする人々を描くために、サーカスという設定を用意したのでしょうから、サーカスそのものがけして主役ではないということかもしれません。
さて「狂風記」です。実はこちらもサーカスのリンクを見立てた舞台設定で、しかも原作にはないサーカス団が登場するということで、ドキドキしながら見にいったのですが、サーカスについては空振りというか、ガセネタでした。サーカスらしいシーンはありません。
原作が書かれたのは、1970年代で、80年に上下二冊の本として出版され、当時、センセイショナルな話題となりました。とにかくものすごい本がでたーという感じで、むさぼるように読んだものです。実は演出家の塩見哲氏も同様で、いつか、これを舞台に、と当時決心され、今日までその熱覚めやらず、ついに舞台化したのでした。原作では、軽業一座に変身した、もののけたちが俗物権力者のパーティで大暴れするシーンがありますが、それはサーカス団ではありません。それをなぜサーカス団として、あらたな設定にする必要があったのかがはっきりしませんでした。
なにしろ原作が石川淳という大作家です。ある人々、僕もそうですが、彼の作品に触れれば、火傷間違いなしという感覚を持っています。それを舞台化するというのですから、真っ黒焦げになる覚悟が必要です。僕は原作を読み直してから見に行ったので、シーンひとつひとつが分かったのですが、さて、原作も台本も読んでいないで見に来た人々に、舞台の転換がわかるのかなというのが見ながら感じたことです。それと、主役を務めている市原悦子さんはすばらしいのだけでも、他の役者さんが役不足というか、新劇的に演じちゃって、作品の中に溶け込んで、台詞を吐くいていない。大駱駝鑑のダンサーに拮抗して、舞台に立っていない印象をもってしまいました。それでも、ここには、大駱駝鑑のダンサーというものが存在していたのですが、「万年サーカス団」の芝居の流れの中には、サーカス・アーティストは登場していなかったのがなんとも残念でした。
「狂風記」は、残念ながら、失敗作だったかもれないという気がします。
鶴巻大吉という俗物権力者を、奇怪な姿をした人間として登場させたところで、作品がうすっぺらになっちゃった。グロテスクさを強調させるのであれば、怪獣のようなものを創作したほうがよかったかもしれない。荒唐無稽と批判されるかもしれないが、そもそも「狂風記」が荒唐無稽な作品ではないか、と思うのです。
いろいろ、ぼろくそ書いていますが、「万年サーカス団」も「狂風記」も、多くの人に見てもらいたいな。そしてぜひご感想を、談話室に書き込んでください。もちろん、僕に対する批判でもオーケーですから。
11日から一週間ほど、ウクライナに行ってきます。

★1月21日

寒中お見舞い申し上げます。
去る1月13日から、還暦ごっこ・旧交を暖めるツアーと称して、福岡、大阪、京都、名古屋と、一人旅を楽しんできました。全く仕事抜きかといえば、そうではなく、いろいろと仕事も抱えていたところが、ビンボーたらしいところでありますが、このご時世、ただただ楽しむほど余裕もなければ、暇もないということで、大目に見てもらうしかありません。
福岡では、来年の緑博の打合せの後、友人に会う。その友人は、13日に中国から帰国し、その足で、キャナル・シティの解体中のクリスマス・ツリーを僕がぼんやりと見上げているところに、やってきてくれました。現在、キャナル・シティの噴水はグレードアップの作業中で、4月中旬には、リニューアルのお披露目があるようです。
で、その後、これまた友人でライブハウスをオープンした友人のお店に。そこに、博多の友人に集まってもらい、心行くまで飲んだ次第です。その夜は、上海帰りの友人の家に。翌朝、前原の玄界灘を見て、海岸を彼の車で走り、福岡駅から新幹線で、大阪に。
大阪は花月劇場。ここに、キリギスタンのトリオ・オスマンという、ジャグリング、ローラーバランス、皿投げのグループをブッキングしているので、彼らの芸を覗いたのでした。
お客さんは大喜びの様子。安心して、夜の飲み会会場に。かって宝塚ファミリーランドで、作らせてもらったサーカスショーの関係者の方々、吉本興業の方々、関西テレビの友人に、友人の女性数名にお越し願って、はい、ここでも楽しく飲ませてもらいました。翌日は、上方資料館でぶらぶら。夕方には京都へ。京都では、40年来の友人で、京都の日吉郡で有機農業をやってる”贋作さん”と積もる話を。翌日は名古屋へ。仕事の話をこなした後、プレジャー企画の大棟さんと焼き鳥屋へ。そして、翌日はリトルワールドへ。
いや、こんなに楽しませてもらっていいのかな、と思いつつ。雪の舞う名古屋から南林間の自宅に帰りついたのは、17日の夜でした。

★1月1日

あけましておめでとうございます。みなさんはどんな新年を迎えているのでしょうか。
ぼくは、東村・サーカス村にいるのではなく、神奈川県大和市の自宅で新年を迎えました。今年というか、この年末年始、実にのんびりと過ごしています。考えることはいろいろあります。沢入小学校を借りて、約三年が経とうとしています。色々なところが痛み始めていますし、みんなの技術が進歩し、空中へ進み始めている人もいるので、安全性の面からも不安な部分も出てきています。指導してくれる先生の充実も図りたいと思いますし、それらをひとつひとつ解決していかなければなりません。
生徒たちは、それぞれ、自分達の進みたい方向で伸びていけばいいのですが、僕らの側は、彼らが伸びるように、状況を整えていかなければなります。しかし、なにひとつとっても、簡単なことはないので、相当苦労するだろうな、と思われます。サーカス学校の第二ステップは、地固めと言うか、今後を考えて、確実な部分を作り出してゆかねばならないということです。
それにしても、サーカスが文化だということを、それも日本においては、かなり疲弊しているというか、生命力が弱まっている文化だと感じています。というのは、生徒たちを育てたいにもかかわらず、その生徒たちを育てるだけの準備が、思うようにできないからです。サーカスならサーカスという分野で、そこで若い人々を育てることができない、その指導者を集められないことが、日本におけるサーカス文化の衰弱を物語っているのです。いわゆる文化論ではなく、現実に則してみてゆかねばならないのです。これは、他の分野のことでもいえるえしょう。そして、この当たり前のことが見えるようになったのは、サーカス学校を始めたからです。まあ、こうした実践を経験をしなければ、事実を把握できないのは、ぼくの脳みそが悪いせいかもしれませんが。ともかく、また一歩一歩、確実に前に進んでいかなければならないでしょう。

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