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村長日誌(2005年10,11,12月)
★12月26日

26日(月) すでにACCは冬休み。サーカス学校の冬休みは3月14日までと超長期だが、実はACCの会社としては非常識に(?)に長く、12月23日から1月9日まで。まあ、1年間を通して、皆なよく働いているので、冬休みぐらいはなが〜くというココロなのだ。今日はでも大野洋子さんと僕はなぜか出社している。
24(土),25日(日) 飲みすぎを反省しつつ、『中国芸能史』のメモ作り。完了。
23日(金) 自宅に戻り、バタン。
22日(木) ACCの忘年会。マア、例によって飲みすぎで、いつ皆と別れたか不明。

★12月20日

12月20日(火) 長いあいだ、この日記も記録なしになってしまった。というのもサーカス村移動にはパソコンを持ちこんでいるのだが、これがなぜか画面に青っぽい色が出るだけで、どこのキーを叩こうが何も反応せずという事態になって、書き込みが出来なくなってしまったのだ。18日にサーカス村から東京に戻り、その足で、ヨドバシカメラの修理コーナーに持ち込んでみると、これが正常に動くではないか。ちょっぴり恥ずかしい思いをして、その夜は自宅に帰る。ということで、この間のことを、ズルズルと書いておこう。

13日(火)昼過ぎ、ACC出て、サーカス村に。なんとパソコンが起動しないではないか。

14日(水)午前中、今回に始めて披露したいという、七奈、トミーのそれぞれのクラウン芸と見る。いろいろ言いたい部分があるが、それはじっとこらえて、そこを直せば、その部分はよくなるという部分を指摘するにとめる。午後、一つずつの演目を見ながら、芸番を決める。富士見中学の公演を下敷きにして、新しいものをあいだにはめ込んでいく。これでいいかなと迷ったりする部分もあるが、一つ動かすとなると、次もまた考え直さなければならない。自分にこれでいいんだと言い聞かせながら進める。道具の出し入れなど、そこをしっかりフォローしないとショーにならない。小道具の見栄えなどを注意する。フクちゃんがさやかと、フクちゃんの持ちネタのコーヒーショップをやりたいという。練習時間が余りないが、このコーヒーショップは相手が居なくて、フクちゃんが封印していた芸なので、それが出来れば面白いので、やるように進める。

15日(木)10時30分からリハーサル。「おい、そこで失敗するな」と言う部分があったり、長すぎたりする部分があり、一部、カットするように注文をだしたりする。フクちゃんとさやかの芸も一部カットするように。これはナージャ先生からも出た注文だ。午後にもリハ。その後、大間々に。一つは夜8時11分に赤城につく、哉ちゃん(ACCの大須賀さん)の出迎え。それに食料の買い込み。
さらにはサーカス学校の生徒と終了証書を印刷しなければならないので、それを印刷するために、表彰状の形態をもっている紙の購入などなどで、6時過ぎ、大間々に下りる。哉ちゃんをピックアップして、資料館を通り過ぎて、まっすぐ、サンレイクに。とにかくお風呂に入ってもらう。僕自身もそうだか、とにかく、露天浸ってからでないと、資料館にいるのはつらい。薪ストーブに火を入れて、暖まるまでの時間がつらいのである。

16日(金)10時30分からリハーサル。みんなちょっと緊張しているが、今日は公開ゲネリハのようなつもりでいこうといってあるので、大丈夫だろう。4時開演。なんとお客さんは3名。これは寂しいと思いつつ、明日があると、それほどショックもなし。とにかく、うまくやってくれさえすればいいと。それが、どうだ、これは間違いなくいいショーができたのだ。リハーサルをやっている時から手ごたえがあったのだが、とにかく纏まったショーになっている。芸番作りにはそこそこ苦労したが、富士見中学の公演をベースにすることができているので、それもクリアできた。すでに大道芸でバリバリ活動している生徒も、演技時間を絞ってくれているのが助かっているし、ハンドアクロバットの直之・晶子のコンビが、まさしくサーカス・アクトらしいアクトを見せてくれているし、その外、智春のリング、元の椅子倒立などもサーカスらしい技になっている。ショーが終わった後、先生とも話をする。先生もいいショーが出来たと感動、納得している。技の難易度からいえば、まだまだ頑張ってもらいたいが、サーカス技のスタートラインに立てたぞという生徒がこれだけ生れてきたのはなんとも嬉しい。先生、英祐、哉ちゃん、僕の4人で、皆とは一足先に、サンレイクの風呂に。露天風呂に浸かりながら、ぼーと。芸番などは広報室に掲載。

17日(土)今日は2時から発表会。10時30分にサーカス学校に。途中、草木ドライブインのコンビニで上毛新聞を買う。昨日、上毛新聞の記者の方がひょっとすると記事を書いてくれていたのではないかと思い、紙面を開くと、ありました。フクちゃんとさやかのクラウン芸の写真が載っている。学校につく。昨日の出来が良かったので、みんな機嫌がいい。ディズニーシーで働いている森田君も来てくれている。今日は、出来ることなら、昨日失敗した生徒がより良い演技をしてくれればいいのだがと思う。1時30分会場で、次々にお客さんが、70名ほどか。毎回来てくれる菅谷さん、上島ご夫妻、長沼・大竹両先生は遅刻してみえる。演技は昨日と同じ失敗はしないものの、他で失敗したりと、なかなかパーフェクトにはいかない。そこが僕としては無念でならない。だが全体としてはうまく流れている。お客さんの反応もいい。ショーが終わり、2回生として卒業する、西山馬来、斉藤英祐、高村篤君に、記念品としてのドンキホーテの鉛の像をプレゼントする。 6時30分から、国民宿舎サンレイクのグリリンという焼肉コーナーで、懇親会。西山馬来君のお父さんに乾杯の挨拶をお願いし、生徒たちが猛烈にバーベキューに箸を動かし、一段落したところで、卒業生のスピーチ、先輩卒業生の一言、後輩からの一言。この懇親会まで出席してくれた西山君のお母さん、上島ご夫妻、長沼・大竹両先生らに印象を語ってもらう。9時過ぎ解散。その後、サンレイクの金子支配人、登坂さんらが準備してくれた山小屋ロッジで、生徒を除いた懇親会。僕はすっかり出来上がってしまった。これまでの4年半、その中で、今回のショーが一番出来がよかったこと、それがなにより嬉しかったからだろう。今後、サーカス学校の活動を続けていくためには、やらなければならないことが山積みではあるにしろ、今日は、うまくいった発表会を僕自身トコトン楽しもうという気になっていたのだ。ナージャ先生もショーの出来に満足していたことも、僕の酒量を上げていた。
金子支配人が、これはこれまであまり人には話したことがないと前置きして、高校時代不良になったこと、でも、今回のサーカス学校のショーを見て、そんな自分と生徒たちがダブり、彼らが自分の好きな道を進んでいる姿に感動したと話してくれたのは嬉しかった。

18日(日)国民宿舎で目覚め、外を見ると、雪景色ではにか。午後から雪と予測していたのだが、どうやら気象予報のほうが正しかったらしい。起きて、風呂に。露天風呂に入る。雪はやんでいるが、冷たい風が心地いい。8時に朝食をとり、9時30分、宿舎を出る。関口さんは、隣の家の小屋が倒れたのを起す手伝いをしてくれと、携帯に電話が入り、食事もとらず、宿舎を出る。菅谷さんはスタットレスをはいているが、長沼先生の車はノーマル。まあ、なんとか走れるだろうと、雪道をそろりそろり、と。雪はわずかだがなにしろ寒波到来で道路が部分部分凍っている。国道122号線に出たところで、長沼先生の車が滑って、道路わきのガードレールに前のバンバーをこすってしまう。それでも何とか、沢入の村有住宅の駐車場まで。そこで待機してもらい、僕と哉ちゃんはナージャ先生を乗せて、先生の家に。先生がキエフに帰るので、その間、ガス栓や水道の元栓を泊めておかなければならない。家の外においてある洗濯機のホースは凍結。そのホースを水道の蛇口から外し、蛇口のお湯をかけ、水が出るようにしてから、水道の元栓をしめ、家の内外の水道の栓をすべて開ける。
キエフに帰る先生の荷物をのせ、再び村有住宅の駐車場に。一緒に東京に帰るという、練習に来ていた吉田亜希子君を乗せる。長沼先生と、なんとか国道を少し走って、ガソリンスタンドのあるところまでいこうと話し合い、ふたたびそろりそろりと下っていった。なんとかガソリンスタンドまで到着し、そこでしばし長沼先生の車を預かってもらい、菅谷さんの車と僕の運転しているワゴン車に、長沼、大竹両先生と上島ご夫妻が分乗、サーカス資料館に。なにしろサーカス資料館直前の急な坂道と資料館前の道路は、東村のなかでも特別な場所で、いつも 氷が解けるのが最も遅いのである。ノーマルではまず無理。というのも、僕は何度も車を滑らせた経験がある。
  資料館に、上島ご夫妻、長沼、大竹両先生らはとても喜んでくれ、ぜひまた訪ねたいと印象を語ってくれた。20分ほど資料館に居る間に、再び、粉雪が舞い始めたので、菅谷さんの車で、長沼・大竹両先生は、ガソリンスタンドに。一刻も早く、大間々にでたほうがいいので。 ワゴン車には、上島ご夫妻、ナージャ先生、亜希子君、哉ちゃんと僕。粉雪舞う林道を抜け、東村の小中に出る。民宿の山景により、おかみにご挨拶。ここで、西山馬来君がアルバイトをさせてもらっていたのだ。彼のご両親も今回、ここに2泊した。お茶を頂き、東京に向かう。国道17号線から首都高に入り、飯田橋で降り、ここで上島ご夫妻、亜希子君を別れて、浅草へ。先生の今晩の宿泊がACCの大野さんの家なので。先生を下ろし、哉ちゃんの車を運転してもらい、僕は浅草橋で下ろしてもらい、僕はシアターXに。5時からケイタケイさ   ん、上田さんとエム・ザブロー先生のビデオを見ることになっている。「平家女護島」の清盛を踊っていただけたらということで、その前にビデオを見せてもらおうということになったのだ。僕はザブロー先生を存じ上げていないのだが、恰幅もよく、かなりのお年と伺ったが、身体を見事に動くので、もしもご本人が引き受けてくださるのであればお願いしようと、意見が纏まる。7時前にシアターXを出て、新宿のヨドバシカメラに向かう。

19日(月)9時30分ACCに出社。関口さんが作ってくれたサーカス村の年賀状で宛名張り、宛名書き。雑用処理。夜、新宿の吾郎ちゃんの店で、先生、哉ちゃんと軽く飲み、食べる。11時帰宅。コロンと寝る。

★12月12日

12日(月)朝9時30分のANAに乗って札幌に。札幌メディアパーク・スピカで公演の「グリム」を見るためだ。札幌で、コンカリーニョというNPO法人を立ち上げ、札幌・琴似の劇場を作ろうとしている斎藤ちずさんに連絡を取り、「グリム」を招聘した財団法人札幌市芸術文化財団、北海道新聞の方などにお会いできるよう、アポを取ってもらった。彼女が琴似駅まで車で迎えに来てくれる。すぐに、スピカに行き、ここにあるレストランで、財団の方、北海道新聞の事業部の方にお会いする。
「グリム」の演出家ギュルコさんも同席したので、話が彼のこれからのプランや、実は10年以上前になるだろうか、モントリオールのサーカス学校に、僕がギー・カロンを尋ねたときに、そこで先生をしていたとかで、彼は僕の名前を知っており、話しがそんなところに言ってしまい、実は、「グリム」を見るほかに、今後も札幌がヌーヴォー・シルク系のパフォーマンスを呼ぶのであれば、それを東京・関東に持っていくお手伝いをしたいという話は中途半端に終わってしまった。それはそれとして、北海道新聞の事業部の方がヌーヴォー・シルクをとてもよく見ていらっしゃるので、嬉しくなってしまった。今年はスウェーデンのシルクールをひょんなきっかけで、川崎のクラブチッタで公演できたが、いろいろ呼びたいものがあっても思うように行かない。札幌で呼んでもらえれば、それを東京にというのは、あながち無理というわけではないだろう。お手伝いしたいところである。
公演まで時間があったので、斎藤さんの案内で、イサム・ノグチがマスタープランを描いた、モエレ沼公園へ行く。月曜日で休館だったが、雪を被った広大な敷地、「全体がひとつの彫刻」という、その姿は掴みきれなかったが、なんとも雄大で、自然と芸術が溶け合っているようでもあり、これはまさしく北海道ならではの世界だと思った。建物がしまっていることもあり、つい野良犬のマネをしたくなって、失礼しておいた。
ところで「グリム」だが、これはヌーヴォー・シルクというよりも、ヌーヴォー・テアトロというかヌーヴォー・ロマンというのが僕の印象であった。ヌーヴォー・ロマンといって、なにもロブ・グリエの小説のようだというのではないが、どうも分かりにくいのだ。サーカス・アクトも、主に吊りロープ系のアクトなのだが、サーカス・パフォーマンスとして見せているのではないので、その意味での感動が起こってこない。それが相当な技なのは分かるし、それで拍手が起こったりもしたが、その拍手がどことなく不自然に感じられるパフォーマーたちの動きなのである。「グリムの世界」の恐怖感を描くのであれば、もっと違った方法があるのでないかと、ぼくは今ひとつ乗り切れなかった。斎藤さんも、もっと、ワーッという感じで驚かしてくれればいいのにといっていたが、彼女の知り合いの若い照明をやっている女性たちは、「もう一度見たい」と感動していたので、こちらがかなり感度が悪いのかもと思ってみたりしてしまった。しかし、札幌には、この試みを継続してもらいたいし、来年の演目が決まったのであれば、ぜひ、それを教えてもらいたいものである。いくらかでもお手伝いが出来ればと思う。
「グリム」を見た後、やはり斎藤さんの紹介で、札幌で大道芸フェスティバル”だいどんでん”を仕込んでいるレッツ中央の穴澤義晴さんにお会し、飲む。ニート対策ではないが、若者がどうすれば、積極的に活動するかなど話し合う。サーカス学校をぜひ見て欲しいと話す。ニートではなく明確に目的を持ってサーカス学校に来ている若者も、さて、たとえば親の反対で、サーカス学校にこれなければ、ニート化しないとも限らない印象の生徒もいるからである。

13日(火)朝7時50分のANAに乗るため、6時にホテルを出て、凍てつく札幌の町を歩いて、札幌駅に向かう。札幌は久しぶりである。東芝の仕事をしている時にちょくちょく北海道に来ていたのだが、思いだすのは、1962年、札幌で1年間、予備校に通っていたことだ。そんな話をすると、斎藤さんが”私はまだ生れていなかった”と。そうだよ、僕はもうジジイなのだ。今日は東京に戻り、ちらりとACCに顔を出し、サーカス村に入らなければならない。発表会の演出をしなければならないのだ。

★12月9日

8日(木) 群馬県富士見村立富士見中学校でサーカス学校の公演。ディズニーシーで既に働いている森田君、家の事情で休学中のさやかを除いて、16名が参加しての久しぶりのサーカス学校らしい公演ができる。この中学は生徒数が約670名という、かなり大きな中学。体育館も立派で、ジャグリングとひろみの脚の長い一輪車の芸以外は、ステージで可能だった。馬来君のシフォンはステージではなく、体育館の天井(約10メートル)から吊るして行いたかったが、天井へ行くには体育館の屋根からしか行けず、交渉はしたもののやはり建築業者さんから”遠慮してほしい”とのことで、あきらめざるを得なかった。公演前、女子生徒の一人に”ランディきますか”と問いかけられた。象のランディは連れてこれないが、サーカス学校の公演を見て、生徒たちが元気になる、夢を持つ、きっかけになればいいなとその時思った。
終演後、サーカス村に戻り、みんなと別れて、車で東京に。夜11時自宅に。9日(金)、朝6時15分、車でACC事務所に向かう。

★12月5日

夕方サーカス村に。9時過ぎ到着。寒い。日本海側は大雪。天気予報では、ここサーカス村にも雪が降りそうな気配。降らないで、と祈る気持ち。8日には、富士見村中学での公演が待っているし、明日は、そのリハーサル。雪が降ると、足が奪われる。となると、何もかも出来なくなってしまう。

★12月2日

今日は朝6時から資料館で、メモ整理。途中、庭で落ち葉を燃やしたり。といっても、風を気にしながら燃やさなければならないので、ボチボチ燃やす。本日は3メートル四方の落ち葉を燃やす。明日の朝も燃やせるかどうか。午後は、サーカス学校でリハーサル。皆頑張っているが、誤解と言うか、コロコロ演技が変わる生徒がいて、つい、声を荒げてしまう。サーカスの技の習得は、千回、五千回練習して身につけるもの。それが、コロコロ替わるのは、一体、なんだということだ。まるでアドリブのつもりなのかと思う。サーカスの勉強しているつもりではないのかもしれない。まあ、サーカスの技が簡単に出来ると思っているのは、マスコミと同じだといえないこともないけど。

★11月30日

29日(火)は、午前中一度サーカス学校に顔を出し、皆と話をし、午後は、明日早朝、キエフに帰るため成田に行くオーリャの高速バスチケットを買いに桐生に。ところがチケットを販売している桐生の文化会館がお休み。高速バスの事務所に電話すると、まだいっぱいになっていないのでバスに乗る直前でも大丈夫ということなので、安心して、大間々のさくらモールに。オーリャお別れパーティ用の食材購入のため。7時30分、オーリャ、ナージャ先生、フクちゃん、篤、英祐君らが資料館に。生徒全員を呼ぶのは大変なので、オーリャが演出している英祐君、キエフで世話になっていた篤君、それに、サーカス村でいろいろとオーリャの面倒見てくれたフクちゃんに限っての送別会。10時過ぎ、直之君らがみんなの添え書きを持ってくる。オーリャ感動して、涙ぐむ寸前。
今朝は4時起き。フクちゃんが迎えに来てくれて、4時30分、先生、オーリャを乗せて、桐生に。ぼくは再度ベッドにもぐりこむ。8時に起きて9時前資料館を出て、大間々警察横の交通安全協会に出かけて、免許更新の手続き。1時から、8日の富士見村中学公演に向けて、みんなの演技をひとつひとつ見る。サーカス学校一年生が増えてきたので、いわゆるサーカスのアクトだけでは見せられない演目がどうしても多くなる。芸番(日本のサーカスでは演目の順番を、芸番といいます)作りにちょっと苦労する。なんとか順番を決めて、明日の午後、一度”通し”をすることになる。身体が冷え切ってしまったので、5時前に上がって、国民宿舎サンレイクの露天風呂に走る。資料館は火を絶やしていると、すぐに冷え切ってしまうので、冬場は、学校が終わってら、露天風呂に浸かって、資料館に戻る日が多くなる。

★11月28日

先日の虚脱感からどうやらぬけでることができたような、、、。25,26日は自宅でひたすら英語のサーカス事典にむかい、後はカードの整理をして過ごす。酒を控えて、自分の感情の起伏を相手に、そのアップダウンに逆らわずに、感情の原野あるいは廃墟のなかに道を見つけていかなければならないと考えたりする。
3時事務所を出て、途中、明大前で本を詰めたダンボール箱9個を積み、サーカス村に。明大前の本をすべて、サーカス村に運び、サーカス村の資料室の整理を行わなければならない。不要な本も沢山あるのだが、それがなかなか捨てられない。とにかく整理して、そこから処分するかどうかだ。カードも整理しなけばと思う。とにかく、ボチボチやろう。

★11月22日

さる20日(日)、シアターXで、『現代浄瑠璃 平家女護が島』。第一回顔合わせ。実は主役の俊寛、清盛のキャスティングが決まらないままの顔合わせであったが、参加した人々がみなやる気を感じさせてくれたので、いいミーティングだった。実は、演出プランについて、今ひとつ、僕自身がはっきりさせることが出来なかったのだが、今朝がた、目覚める前に、ふと、思いついた。
「そうだ、シーンごとに、そこではだれがメインで踊るかを決め、そのシーンをメインで踊る人がどのように解釈するかをベースにして、演出していけばいいんだ!」と。その解釈に僕の解釈、さらにはそれが現代社会ではどういう意味になるかを模索し、ひとつずつを創り上げてゆく。ということに思い当たって、ちょっと、ほっとする。シーンごとにどのような解釈が出てくるか、またシーンごとの解釈になれば、さて、全体を統一する柱がうまく骨太に削り出すことができるかという問題が出てくるが、それこそ、その部分こそ、僕にとっては、やりがいのある創作演出ということになるではないか。このチャレンジ、燃えてくるなあ。

★11月21日

19日にゴールデン街の唯尼庵のママきよが亡くなったという電話が飛び込んできた。ショック!!。なんでも朝には冷たくなっていたという。彼女には14日の夜、店にいっていただけに。言葉が出てこない。
夕方、国書刊行会の島田さんが見える。今、企画中のものについて、しばしペンディングにして、企画を練り直そうということになる。夜、田中氏、小野沢氏に会う。きよのことが頭から離れない。

★11月17日

今日は、群馬県下の富士見村の富士見中学へ、12月8日のサーカス学校公演のために下見に。実は14日の夜、姫路で公演していたウクライナのチームの東京での打上げの後、僕の頭はプッツンしてしまい、翌日、新宿駅での待ち合わせをすっぽかすわ、一日、布団のなかから出れずというだらしなさで、15日は早朝に事務所にでて、車でサーカス村に移動したもの、頭の中のねじが3本ぐらい行方不明になったままで、まだ正常に戻っていない状態。いろいろあって、どこか怪しくなっていたのは事実だが、まさかプッツンしてしまうとは、なんとももはやだが、このまま、しばし、プッツンのままで、さて、どんな思考回路ができるか、そちらに傾いていこうかなという気持ちになっている。なにがどうかわるかわからないが、これも一つの方向かもしれない。流行の選択肢というわけではないというか、選択肢という問題の立て方を、僕はいんちき臭いと思っている。

★11月10日

10日(木) 朝10時30分、ACCの大野さんと上野駅公園口改札口で待ち合わせをして、招待状の来ていた、日本人女性が一人参加している、フランスはジャック・ルコックの国際演劇学校で学んだグループ6人組の『レ・ザユリ』の公演を見に行く。会場は東京都美術館の講堂。ルコックの学校で学んだというので、かなり期待していったが、残念ながら期待はずれ。
いくつかのエチュードを展開する作り方だが、そのひとつひとつは、学生の試験課題で作ったような出来。もちろん、そうしたものに目を見張るようなものがないわけではないが、僕が先生だったら、まあ、合格させますかと言うぐらいの出来で、一般のお客さんに見せるには、いささか抵抗がある。といっても、僕が関係しているグループではないので、これは余計な口出しだけど。上野公園内の野外の無料休憩所で、女房の作ってくれた弁当を開く。大野さんは、レストランで大海老カレーを注文。いや〜、実にのんびりした空間で、時が知らない間に流れてゆく。ACCの戻り、明日、打合せのシアターXに間にあわせなければならない、台本の稽古スケジュールを組み立てる。サーカス村会報の準備。
9日(水) という昨日の予定(!?)通り、這うところまではいかなかったが、かなり苦しい感じで出社。ACC打合せ、来年のフール祭について。午後は、ある企画書作り。このプランうまくいくといいのだけど。何しろ、ただパフォーマーを並べただけのプランではなく、ショー全体の構成に僕自身がかなりコミットできる企画書だからだ。しかも一部ツアー計画も。もちろん、このままスポンサーがOKしてくれるとも思わないけど。夜、小野沢氏と会う。足立さんの映画のロケのできる入れ物について、相談を受ける。ちらっと飲んで引き上げる。

★11月8日

11月8日(火) 一日ACCで雑用をこなす。忙しかった一週間が過ぎ、なんとなくのんびりした気分だ。こののんびりした気分を大切にすると、身体から力と疲れが抜けてゆき、元気になれるというか、まあ、1, 2日で回復できるようだ。これ意外と僕の特技かもしれない。それともうひとつ、一人でぷらーとなじみの店に飲みにいく。で、飲みながらだぼらをふく。これも疲労回復剤だ。但し、概ね飲みすぎて、翌日這うように出社するという仕掛け。

★11月7日

2日(水) 朝6時45分の新幹線で、東京に戻る。ACCの事務所の出て仕事。午後、サーカス村に移動。明日の公演行きの準備ができているのを確認して、サーカス資料館に。
3日(木) 朝6時出発で、隣の県栃木の那須烏山市へ。ここもご多分に漏れず、市町村合併して出来た村。400年ほど前からの野外劇があるという伝統の町。その野外劇の名前の付いた山がけ会館の横手の広場で公演。午前中10時30分と2時の二回。 この祭りに来ている人々はとても温和な感じがした。公演への拍手がとても暖かい。野菜を買って、ナージャ先生と分ける。
4日(金) 朝7時におきて、久しぶりに資料館の雑草取り。長い間、ほったらかしで、部屋の中はいささかカビ臭い。窓を開け放って、洗濯してと、家事に追われる。ここにいる時は、でも、この家事が楽しいのだ。でもあまり時間がなく、やりたいことの十分の一もできない。2時から、明日の公演のリハーサル。
5日(土) 朝7時出発。赤城村へ。赤城村には、今年で連続3回呼ばれているが、しかも今年は体育館の中でもやらせてもらえるというので、馬来のシフォンを見せてあげることが出来る。但し、体育館のキャッツウォークは、T字鉄鋼が上手下手に流れているだけで、安心して歩ける形にはなっていないので、比較的安全にセットできるところにシフォンをセットする。新入生たちの演目は失敗の 連続で、見ているほうが苦しかったがこれも勉強と自分に言い聞かせる。午前中10時30分と2時の二回。 
6日(日) 朝5時前起き。5時45分に学校に。6時出発で、大間々町役場横で行われている朝市に。サーカス学校の大道芸披露。30分ほどやって、その後、粕川村の文化祭へ。会場は粕川小学校校庭。なんと、校庭に屋根つきの大きなコンクリートのステージあり。
8時過ぎの到着して、公演の準備は関口さんにお願いして、僕は前橋に。前橋では第3回アートNPOフォーラムが昨日から開催されていて、その分科会のひとつ「都市の魅力は劇場が育む!?」のパネリストの一人として参加。僕の話は、劇場が都市の魅力をg育むかどうかよりも、ぼくら一人一人がどのような文化を都市に限らず、それぞれの場で育み作ろうとしているか。
僕の場合は、東京という大都市を捨てて、群馬の山奥でサーカスという文化に取り組んでいますと言う話をした。
10時から12時まで。12時30分、会場を後にして、東京へ。とりあえず事務所によって、車の中の私物を下ろし、六本木へ。今日は六本木ヒルズ、モンゴル・サーカスイベントの楽日。雨が降りだしていたので心配だったが、会場を建物の中の吹き抜け部分に移動していたので、公演可能。客の反応もすごくよく、安心する。後片付けをして、6時30分からに打上げに2時間ほど付き合って、帰宅。明日は、電車でサーカス村入り。くたくただあ。
7日(月) 朝8時50分の特急りょうもう号で、赤城に。赤城駅にフクちゃんに迎えに来てもらう。関口さんは会議で笠懸村に出かけているので、そのままサーカス学校へ。途中、角屋によって、地元で作っているナマうどん一束と油アゲを購入。昼飯用だ。学校について、今日のテレビ取材”晴れたらいいねッ!!”の段取りを話して、フクちゃんとともの住居である用務員室で、昼飯のうどんの用意。横でフクちゃんが何日も片付けずにたまっている食器を一所懸命洗っている。きつねうどんを作って、校庭に出て、うどんをすする。校庭にある、大きなイチョウの木。その下で、一人の老婆が銀杏を拾っている。青空、白雲が北東から稜線を越えて流れ、向いの山向こうへと消えてゆく。暖かな一日。まるで10月初旬のような気候だ。1時から取材開始。3時過ぎに終わる。学校の皆に”今週は東京で仕事”と伝えて、役場に。関口さんにあって、昨日の粕川村での公演の出来を聞いて、4時20分の渡良瀬渓谷鉄道で、帰路。帰りの電車の中はうたたね状態。北千住から千代田線で中央林間へ、小田急に乗り換えて南林間。9時に自宅に。

★11月2日

2日(水) 朝6時45分の新幹線で東京に。今日は2時からIDTF会議。イヨネスコの『授業』を見る予定だったが、主役が倒れて公演中止。替わりに会議が入ってしまった。
1日(火) 京都10時40分着。伊藤さんとあって、丸山公演内の野外音楽堂の舞台を見る。空中モノができるかどうか、そのチェック。1時、大阪のパフォーマー・チクリーノさんに会って、来年のフール祭の打ち合わせ。2時36分の新幹線で、静岡に。ホテルで、ナージャ先生、オーリャ、フクちゃん、ひろみ、あつしと落ちあう。駿府公園内のサーカステントに。7時からビンゴサーカスを見る。なかなかの迫力。三雲いおりさんがクラウンとして参加。メンバーと一緒になって、身体を動かしていた。三雲さん、先生らと食事しているところに、ダメじゃん・小出さんらパフォーマーも参加。辻、大島両君も来る。余り遅くなるわけにも行かず、11時20分、先生と引き上げる。
10月30日(月) 久しぶりに一日ACCに事務所で仕事。

★10月28日

27日(日) IDTFの『平家女護が島』のため、高瀬清一郎の『近松からの出発』を読み続ける。読めば読むほど、演出が難しくなるというか、とんでもないことを引き受けてしまったと頭が痛くなる。
26日(土) 3時にウクライナのバイカーズを六本木ヒルズで見る。トラクターのような大きなタイヤのチューブを加工した道具を使って飛んだり跳ねたり、あるいはそのままトンボを切ったりの演技。新しい道具を生みだして、新しい演技を披露、なかなか魅力的である。ACCの事務所にちょこと寄って、帰宅。

★10月27日

13時からIDTF会議。今日は、「5人の妖精」プロジェクトの会議。5人の妖精というのは、折田克子、アキコ・カンダ、石黒節子、ケイ・タケイ、竹屋啓子という、日本のコンテンポラリーダンスの大先輩たちに、それぞれ踊っていただこうという企画。会議の隅っこで、ぼくは小さくなっていました。16時、東銀座で、日本舞踊の尾上菊之丞先生にお会いし、『平家女護が島』びついてご相談させていただく。18時過ぎ、ACCを出て、寄り道せずに帰宅。いろいろのことがあって、頭の中が錯綜している。

★10月26日

25日(火) 午後から車でサーカス村入りの予定だったが、ACCの仕事で時間をとられ、16時40分のりょうもう号で行くことにする。車で行く必要がなくなったのは、サーカス村へ行く途中、検査入院している関口さんの病院に寄るつもりだったのだが、関口さんが一度退院するということになってので、直接、サーカス村に入れることになったこともある。18時40分、フクちゃんに赤城の駅まで迎えに来てもらって、とりあえず、関口宅へ。関口さん、元気そうなので、少し安心。ご馳走になる。10時近く、資料館に。ところが鍵を忘れてしまった。で、今、休んでいる生徒のところに行って、ベッドにもぐりこむ。
26日(水) ひろみに朝食をご馳走になり、サーカス学校で午前中は資料整理。午後から、3、5、6日のサーカス学校公演のリハーサル。その他、オーリャがエイスケのディアボロを演出したのを見せてもらう。これがなかなかいい。その後、関口さんに送ってもらい赤城駅に。4時58分のりょうもう号で、東京に戻る。

★10月24日

24日(月) 9時出社。バタバタ雑用処理。ウクライナのバイカーズ成田着。シアター上田さんより日舞の尾上菊之丞先生とお会いするスケジュール調整。明治村より電話あり。今日は歯医者さん、眼科、高脂血症の診察あり、病院の一日。
23日(日) 赤城山麓にある国立赤城青年の家の”赤城芸術フェスティバル”に、サーカス学校公演をもっていく。6時50分、サーカス村出発。フクちゃん、篤、エイスケ、友美、真志、 一馬、それに先生、オーリャ、ぼくをいれて総勢9名。公演は一回11時より。公演終了後、サーカス村に一度もどり、帰京。11時、自宅に帰る。
22日(土) 朝5時49分南林間発に乗って、ACCに。サーカス村に車で走る。ところが関越で事故渋滞。サーカス村に着いたのは11時。午後1時から、明日の赤城公演のリハーサル。フジTV”晴れたらイイねッ!”ロケハンに見える。6時、資料館に戻り、資料整理。小沢昭一先生が送ってくださった『俳句武者修行』読了。ぼくはまだまだ俳句を作る余裕がない。俳句を詠むのは、余裕の問題ではないと思いつつも。
21日(金) 午前中自宅。生協が持ってきたものを3軒分に分けてから出社。増子義久著『東京湾が死んだ日』を読了。昭和30年代から40年代、ぼくらが浮かれている時代、東京湾は京葉コンビナート開発のために破壊されていたのだ。それは現在のディズニーランド、東京アクアラインにつながっている、日本の高度資本主義がもたらした自然・人間破壊のプロセスであった。増子さんは元朝日新聞社の記者。かつて三井三池の炭塵爆破裁判闘争でご一緒した先輩。今はふるさと花巻に帰っている。
夜、品川に、村上龍プロデュースの”バンブレーオ”聴きに行く。クラブチッタの丸山さんをお誘いする。チッタでもこのバンブレーオの公演があるとのこと。強烈なサウンド、タニア・バントーハという女性歌手。これがまた胸をブルンブルンと振って、観客を挑発。さすがキューバ、キューバの情熱がほとばしる。
20日(木) 10時からシアターXで、IDTFの会議。来年のIDTF、僕がやらなければならない作品『平家女護島』(『俊寛』を元に戻して、『平家女護島』でやることになった)のキャスティングおよび「5人の妖精」という、日本の5名の女性ダンサーに踊ってもらう、そのコンセプトを上田さんが提出。4時ACCに戻る。9時帰宅。沖縄の大城さんから電話あり。

★10月18日

17日(月) 夕方、サーカス学校到着。フクちゃんに先生、オーリャ、ボーリャをサンレイク草木の温泉に連れて行ってもらい、その間にサーカス資料館の戻り、夕食の準備。ボーリャが菜食主義というか肉、魚が食べれない体質なので、野菜のてんぷら中心の献立。この夜はボーリャは資料館に泊まる。
18日(火) 8時半に役場に。今日から関口さんが入院するという。何でも赤血球が減っていて検査入院しなければならないという。様子が分からないとどうしようもないが、ここで関口さんに倒れられては、サーカス学校がにっちもさっちも行かなくなる。10時、ボーリャを学校に。午前中は、ボーリャのマイム教室。ぼくは借家の家賃を払いになど、雑用処理。1時にサーカス村を出て、東京に。明日から女房が韓国なので、ぼくの今週は主夫業だ。
19日(水) 10時出社。とりあえず、机の上の事務処理。今日は高須賀さんの個展をみたら、帰宅予定。

★10月17日

14日(金) 10時30分よりシアターX・IDTF会議。舞踊劇『俊寛怪談』を、現代浄瑠璃『平家女護島』として行うことが決まる。出演者についての話合い。夕方、某有名役者のお会いして、この作品に出演していただけるか打診。”今は芝居に出演する気持ちにはなれない”と、丁寧にお断りされてしまった。
夜9時少し前の新幹線で名古屋に。犬山・セントラルホテルに入る。
15日(土) 8時45分のバスで、リトルワールドに。今日から土・日、ムンドノーボ・ポコ舞踊団に木村元さんが公演するので、初日と言うこともあり、手伝う。雨で十分な回遊が出来ず残念だが、客受けはよく、心配なし。野外ステージ”エアリアルサーカス”も順調。2時30分から、春の企画について打ち合わせ。来年以降の全体のテーマについても相談を受ける。
考えなくては。春のサーカスについては、ACCの提案を受け入れてもらえそう。3時30分リトルを出て、帰路。8時、自宅へ。
16日(日) 一日、家で仕事。
17日(月) 今日は、ウクライナから来ている、マイムのボーリャをつれて、サーカス村に。

★10月13日

10月13日(木) 『俊寛』の意図について、簡単な文章を作って、シアターXに送信。六本木ヒルズにウクライナのトランポリンチーム”アクロトランプ”を見に行く。夜、テームの高瀬さんからお誘いを受けた小林旭のコンサートを、NHKホールに聞きに行く。いいな、僕らの年齢の者には青春を思いださてくれるよね。
6時からウラジオストク青年ドラマ劇場を招聘したいという田代さんという女性がACCに来る予定だったが、彼女にNHKホールに来てもらって、旭の歌を聴いてから打合せ。

★10月11日

11日(火) 『俊寛』校了にする。といっても、これでIDTFの委員の方々の了解だ取れたわけではない。それは今後のこと。しかし個人的にはほっとする。今日はもう何もしたくないところだが、サーカス村会報発送の準備をする。うまくいけば、明日のでも投函できるだろう。
10日(月) 今日も一日、『俊寛』の台本に取り組むことになるだろう。今は朝の6時半。目がさめてしまったが、まだすっきりしていないので、今のうちに日記でもつけておこうと言う気分なのだ。目が覚める前に夢というか、とりとめもない物語が浮かんでいた。それは、道路から建物の地下の入り口へ降りていく階段の下のところで、階段の上を見上げている男と、階段の上の道路を取りかかった少女のような女性との話で、その女性は黄色いワンピースを着ていて、その色が道路のむこうがわのくすんだ建物にとてもよく映えて見えているというところから始まって、なぜかその女性の父親は、これ以上は狭くて無理だろうと思われるカウンター席しかないカレー屋を、崩れかかった建物の二階でやっているというものであった。男の家族と女性の家族との共同生活が始まるのだが、その生活がふわふわとして、取り止めがない。 先日、キューバへ行ったときに案内役を買ってくれたジーノ・ファルファンは、伊豆の堤秀世さんの先生である、オラウータンの調教師として世界的に有名なベルシーニの親戚なのだが、そのベルシーニというのは、実はベルセックというのが本名で、ベルセックというのはチェコの名門中の名門のサーカス・ファミリー。ジーノの母親、というかジーノにとっては祖父に当たる人が、実はチェコがソ連によって侵略されて、チェコが社会主義国になっているとき、亡命したという話である。ジーノ、そしてお母さんからもっといろいろ話を聞いてみたいと思うのだが、いつ聞くことができるやら。ジーノのお母さんは今、フラミンゴの調教をアメリカで行っている。
夕方6時、何とか舞踊劇『俊寛怪談』を書き終える。これでいいか、今一度、推敲しなければならないが、3日間、ずつと向きあっていたので、頭の中はボロボロだ。
9日(日) 『平家女護が島』の整理を終える。ここまでは順調といえば順調だが、いよいよ、台本にしなければならないので、これからが勝負だ。
8日(土) 今日からの3連休の間になんとしてでも、『俊寛』の台本を仕上げなければならない。初稿は、IDTFの実行委員会でボツにされてしまったというか、ぼくのイメージしている世界と、この台本で踊りたい人のイメージが違っているのがひとつ。もう一つは、ひょっとして某大物役者が参加するかもしれないというのがあって、それでは今僕が提出している台本の根底が違うと言うこともある。僕の台本は、あくまでも参加者が台本を素材に一緒に考え、参加者が持っている才能を引きだしながら、創り上げていくというものであるから、もともと完成した台本ではない。とはいえ今まで書いたものの中では最も台本に近いものだったが。シアターXでの創作活動は、僕としては”出来上がってなんぼのもの”ではなく、創り上げていく過程で、参加者が何に気付いて、自分の中の何をそれぞれが共同作業の中で創り上げてゆくか、そのプロセスを大事にしているのだが、これがなかなかうまくいかない。うまくいかない上にそうした試みに不安を覚える参加者も多く、指導してくれることを望む参加者も多い。だが、指導と言うのはとても危険なことで、それは指導する側の権力化と指導される側の奴隷化の問題があり、そのあたりをお互いどこまで自覚しているかが問われずに、作品を作ってしまうと言うのは、実は恐ろしいことなのだ。僕には、そのあたりに余りにも無自覚な人々が多いことにむしろ慄いているのだ。
この自分の創作活動は今後も続けるつもりだが、今回はとにかく上演する作品としての完成度も追求しなければということになれば、台本段階での完成度もそれなりにしっかりしたものにしなければ演出できないと言うことでもある。そのあたりが相当難しいと言うことになる。しかも、ダンス作品ではなく、舞踊劇である。実は舞踊劇と言うことばはあるが、このジャンルは確定しているわけではない。第一、台詞をいれるか、あるいはミュージカルやオペラのように歌わせるかということもある。もしも歌わせるなら、当然、作詞・作曲の問題も出てくる。ダンスが中心とすれば、台詞の問題はこれまたとても難しい。ダンサーが台詞を容認するかということもある。ダンサーの中には声は身体のもつ能力として受け入れている人も多いが、それは声であってことばではない。声を発するのとことばを発するのとは根底的に違うので当然といえば当然なのだが、このあたりを作品としてクリアしてゆくのはかなり難しいのだ。
ともかく、何とかしなければならないので、『平家女護が島』をバラバラにして、舞踊劇『俊寛』にするために、全体のストーリーが分かる範囲で簡略化することからはじめる。

★10月6日

4日(火) ACCで仕事。サーカス村月例会でキューバ報告。車で大和市の自宅へ。
5日(水) 朝6時に家を出て、サーカス村に向かう。11時、役場で関口事務局長に会って、打合せ。昼過ぎ、サーカス学校へ。小林君、さやか、七奈が来ていた。それに先生の娘オーリャも。午後は、みんなの稽古の様子を見る。フクちゃんには、モンゴルサーカス(六本木ヒルズ)が使う、敷板のペイントをお願いする。
6日(木) 6時起床。物置のコンテナ、薪置き場の屋根に落ちている栗を拾い、掃除。9時半、サーカス学校へ。9日の東村体育祭で行うサーカス学校のショーの稽古。構成は香山啓。
11時過ぎ学校を出て、資料館の戻る。1時に役場に。再度、関口事務局長と打合せ。その後、前橋に向かう。上州名物・焼きまんじょうの原嶋屋屋総本家の専務原嶋雄蔵氏に初めてお目にかかる。しゃぼん玉座の津島滋人さんの紹介。話は、サーカス拠点劇場の件。どこかいい建物があれば、紹介して欲しいとお願いする。6時過ぎ東京着。新宿の吾郎ちゃんの店に、栗と大葉を届ける。

★10月4日

29日(木) 11時過ぎサーカス村を出て、東京に戻る。夕方、プランBに。Fool Bの6回目を見に行く。今回は、加納真美、安西はぢめ、山本光洋、それにゲストで元気いいぞうというメンバー。今回は全般的に質がよかった感じだ。光洋、加納君と一緒に出演したこうじ君と、さあ、今夜は飲むかと、原宿の姜さんがカウンターにはいっている店に。なんがかんだ、おしゃベリしている内に、世も更けて。こうじ君とタクシーに乗って明大前へ。明大前で飲んでいる内に、すっかり酔っぱらって、最後は記憶なし。 
30日(金) シアターXで、再演の花田清輝作 白石征演出の『泥棒論語』を見る。初演の時よりテンポもよく楽しく見れた。「戦争か」「平和か」「泥棒か」「乞食か」という永遠のテーマというか、実はこの二者択一の世界のはまらずに、いかに生きる道があるかということなのだが、簡単に解決できない問いがテーマ。この芝居を見ながら、僕はキューバの旅を思いだしていた。キューバでは、ソ連邦解体で、1991年以降、一切の援助がストップする。そんな状況で最も深刻な問題として直面するのが食料問題で、その時、キューバはそれまでの化学肥料に頼っていた農業を一気に有機農業へと転換させ、援助がストップした後の数年間は穀物、野菜の生産量がモノによっては50%ほどに低下するが、その後徐々に有機農業の成果が上がり、今では、援助が途絶える以前の生産力を確保するまでになっている。有機農業でということは、土地を疲弊させることもなくということでもある。
援助がストップした後、一人も餓死者をださなかったそうで、それが誇りにもなっているようだが、いわば「泥棒」にもならず、「乞食」にもならず、現在のキューバがあるということではないか。たしかにキューバは資本主義の世界から見れば、豊かではない。だが餓死者もいなかれば、ハリケーンでも死者が出ていないキューバとはいかなる国であろうか。
もしもこの困難な時代、キューバが下手に海外から援助を求め、化学肥料などを利用していたら、今のキューバはその援助の見返りを求められ、つまりは搾取される世界経済の波にのまれたことであろう。グローバリズムの虚偽性も、このキューバの農業改革から透けて見えるような気がする。『泥棒論語』には、先の回答はない。暴力と暴力(権力を求めるもの者同士)の戦い、その後1,000年か2,000年か、その先に、果たして、今、虐げられている者たちの平和な暮らしが訪れるだろうかと、時代に翻弄されるのではなく、はるか彼方の時代にまなざしを向けた、明るいニヒリズムのような問いかけで終わっている。
1日(土) 新聞整理。
2日(日) 9月19日に死んでしまった愛犬クルーンのために作っていた玄関の階段、裏口のスロープなどを解体する。
3日(月) 朝ACCの事務所に出て、すぐに浅草へ向かう。東武鉄道で館林に。11時過ぎ到着。関東短期大学で、40名ほどの学生にクラウンについてのレクチャー。同大学に早稲田の大学の同級生・吉川由香子さんが講師として働いていて、彼女がディミトリーの『ぼくのユモファント』を教材に使ってくれていて、それを素材に学生たちが発表を行うために、なにか話をしてくれというのが、僕に与えられたテーマ。教室に入る前は、クラウン、ディミトリーの話を中心にレクチャーするつもりだったが、教室が普通の教室ではなく、小さい可動式のステージがあり、椅子も自由に並べられるところだったので、急遽、話中心ではなく、実際に学生たちに動いてもらう授業に変更。クラウンの赤い鼻をつけて、お互いに笑いあうとか、恋人と他人とのすれ違い、ピアノと椅子などのテーマをだして、学生に動いてもらう。みんな素直に楽しくやってくれる。最後に妖怪の話しをしながら、グループごとに代表者に妖怪のキャラクターを演じてもらったが、妖怪はほとんどが鬼太郎に出てくる、キャラクターであった。次は、それぞれのグループに新しい妖怪を作りださいてもらいたいとおもいつつ、授業を終える。
夜、吉川先生に早稲田の後輩で、同大学で日本文学を教えている長沼先生と一緒に痛飲。長沼先生からは現代の若者たちの社会・歴史認識にたいして、ぼくら自身がどのように語らなければならないかといった話もでる。館林ニューミヤコホテル泊。

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