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村長日誌(2005年4,5,6月)
★6月30日

28日、体験入学のTommyが同乗、サーカス村へ。学校について、みんなに紹介。この日は練習に参加せず。
29日、Tommyは練習。午前中、関口さんがきて、彼が友人から貰い受けた印刷機で、卒業公演のちらしを刷る。あっという間に、1,500枚刷れてしまう。その後、庭の草むしり少し。暑くて汗びっしょりになる。シャワーを浴びて、国民宿舎に。支配人の金子さんと、15日の”童謡で遊びましょう”、17日のプール開きのイベント打合せ。昼食ご馳走になる。その後資料館に戻って、雑用整理。4時30分、学校に。Tommyは、結構、体を動かしていたのか、それほど痛がらずにいる。国民宿舎の露天風呂に案内。その間に少し「平家女護島」を読もうと思ったが、つい、うとうと。資料館に戻り、夕食の準備。
30日、朝、Tommyを学校に送り、役場で関口さんに会い、その後、前橋の清心幼稚園に。9月10日のイベント打合せ。3時過ぎ、東京に戻る。7時30分、新宿の”こう路”へ。赤木会という、異業種交換会にコメンテイターとして出席。飲み会なので、わいわいがやがや、あまり話もできなかった。

★6月28日

24日、昼前に東京に向かう。山田さんはサーカス学校の訓練が気に入り、特にナジェィジダ先生の指導に感心し、魔女ナジェイジダとあだ名をつける。先生の補助の仕方が、まるで魔法のようであり、自分では出来ないと思う動きを見事に補助して、できるようにしてくださるというわけだ。先生の指導の素晴らしさが分かるというのも、山田さん自身、ダンサーとしての様々な訓練をつんでいるからであり、その山田さんの声を生徒たちも理解してくれるといいのだが。。
255日、六本木ヒルズへ。再度、空中ブランコのセッテイングの相談。ヒルズから事務所に向かい、ちょこっと仕事をして、家に。事務所では、小学館の近松門左衛門3巻に、平家女護島が収録されているかをチェック。載っていた!。これは俊寛の話。俊寛と景清を比較して、シアターXの”幽色霊気”の台本を作ろうと。さて、できるのかな。
26日、一日家に。新聞の整理。
27日、東京の事務所で、モスクワから帰ってきている新井滋さんに会う。
28日、これから体験入学をする工藤友美さんを連れて、サーカス村に。

★6月23日

21日、昨夜、東京に着いたダンサーの山田いづみさんと、車でサーカス村に。今回の山田さんの来村は、夏のサーカス学校発表会に参加してもらうために、とりあえず、下見を兼ねて、サーカス学校の生徒たちを知り合ってもらうことにある。21日は、皆と顔見世だけ。今日は、夕方より社会体育館で、村のバレーボール大会。一回戦、男子は突破したが、女子は敗退。9人制のバレー、男子はサーカス学校の生徒だけで一組できる。
22日、山田さん、学校の練習を見る。見ていたが、やりたくなって、マット運動、柔軟体操を始める。明日予定だった、日本テレビ『遠くに行きたい』のロケが急に今日になる。朝から大騒ぎで、ロケに付き合わされる。監督は、田園工房の吉田さんという方で、映画出身の方。阿久根巌さんとお仕事をされたあるとか。
山田さん、真剣に練習に取り組む。

★6月20日

梅雨の中休みとか、天気予報では言いっているが、ひょっとして関東地方は、今年カラ梅雨? まだ決めつけるのは早いが。
俊寛、悪七兵衛景清の実像というか、その姿を掴もうと『平家物語』を読んでみた。俊寛はほぼ想像していた通りだったが、、景清のほうは、近松の描いた『出世景清』とはちがい、あちこちの戦にちょろちょろでてくるが、頼朝を暗殺しようとして計34回も試みたが失敗したなどという話はでてこない。ということは、近松の『出世景清』というのは、完全な創作ものなのだろうか。
う〜ん、とすると、近松の作品をどのように読めばいいのか。とりあえずもう一度、廣末保の『悪七兵衛景清』を読み直して、なぜ、近松の作品上の登場人物になったかを探らねば。『平家物語』を読んで、興味を引いた人物は、木曽義仲。後白川上皇にたて突き、皇室を皇室とも思わず振舞う、その姿。義仲を勉強しよう。で、いささか『平家物語』に疲れたので、寄り道に山田詠美の『風味絶桂』を開く。
18日、サーカス村より東京に。関越が混んで、所要時間4時間半、疲れる。
19日、シアターXのIDTF会議に出席。来年の第七回IDTF(シアターX国際舞台芸術祭)のテーマは”幽色霊気”(Phontom Love Spirit Energy)。この言葉からなにをイメージして、どのような作品を作るのかなのだが。で、俊寛やら景清をイメージしているのだが、もうひとつ、自分なりに納得できるイメージを作りだすことができないでいる。

★6月17日

14日、ACC社内打合せ。来年のフール祭の情報提供を今からしようと話す。今日からサーカス村に入ろうかと思っていたが、シアターXのIDTFでご一緒させてもらっているケイ・タケイさんが主宰しているハンディを持っている人たちの公演があるので、それを見に行く。彼ら彼女らの踊りを見ていると心が洗われる気がする。人それぞれ、それぞれに命があり、生きている、楽しんでいる、苦しんでいる。生きている、生きている。
15日、午前中ヒルズ打ち合せ。夜、やはりケイさんのところでダンスを学んでいる4人の人たちの公演。彼らは、昨年のシアターXで創作した「へいせいのIEMON」で踊ってくれた人たちの公演なので、見にいかないわけにはいかない。
最初の踊りは、大塚由紀さんの「おかえり」。実は彼女の踊りだけではなく4人とも、タイトルと踊りがどのように結びついているのか僕にはよく分からなかったが、タルキで作った1メートル四方の枠だけの立方体を使って踊る大塚さんの動きはそれなりに楽しく見ることができた。モノを使うと、その動きの面白さに目が行くので、得するというか損するというか。閉じこもること、そこから外にでること。その行ったり来たりで、さて、何を伝えるか。タイトルは「逃亡」西巻直人君の踊りは、ボールを投げる、受け取るという動きから入った。これはマイムなのかどうか。そうした動きはどうしてもマイムとして見られる。そのことを本人が自覚していたかどうか。
木室陽一君。舞台も客席のフルライトで踊るのだが、それで何を見せたいのかが分からなかった。お客にできるだけしらけた感じでみてもらいたいのかどうか。タイトルは「たまにのる」
石田知世さんは体も動くし踊れる人なのだが、どんな踊りを踊ろうとしているのか。身につけたテクニックを生かしていいのではないかと思うのだが。多分、自分の動きを、自分の身体の中から湧き上がってくるものを待ち、それを現そうとしているのだろうが、まだそれが十分に伝わってこない。
かなり厳しい感想になってしまったが、、、。
16日、朝、もう一度、ヒルズへ。昼前に事務所を出て、サーカス村に。
17日、一日、サーカス学校で過ごす。卒業公演用ステージを作る。

 
★6月13日

7日、朝日会館ホールで、ドイツ映画『盗人の王様』を見る。(詳しくは資料メモに)、その後サーカス村入り。
8日は午後大間々のながめ余興場で行う、大間々の保育園児支援団体”ととろの家”の公演のリハーサル。
9日は、日本テレビ「遠くに行きたい」ロケハンあり。
10日、朝7時40分に学校をで、大間々・ながめ余興場に向かう。直、信を除き、6月から来はじめた高橋七奈をいれて、総勢17名。公演は無事終了したが、なにか満足できない。その理由がなかなか分からなかったが、数日して思いつく。演目が同じようなテンポで進み、メリハリがついていないというか、遊びがなくなっていたのだ。これはやはり演出ミスということになるだろう。今後考えなくてはいけない課題である。
みんなで、中華で中食をとり、学校に戻る。生徒を下ろして、馬来に手伝ってもらい、コンテナからは運んでおいたダンボール箱の本を西校舎の2階に運びあげる。後は明大前の部屋においてある書籍を運びこめば、一段落なのだが。これがまた大作業だ。役場で関口さんに会い、夏の公演などについていろいろ話をして、東京に戻る。
11日、青山の円形劇場で、玉川大学演劇部の舞踊公演を見る。これがなかなか見事。見終わった後、演劇部の太宰先生にうかがうと、米国公演も行っているとか。夜は、シアターXで、白石征さん演出の『誰がために鐘は鳴る』を見る(詳しくは資料メモに)
12日、京都・大阪へ。京都では伊藤さんに会い、京都市役所前で、馬来のシフォンが出来ないか現場を見る。市役所前はコンクリートなのでアンカーは打てない。これでトラスを組むとなると、相当な経費がかかる。残された方法は、クレーン車だが。伊藤さんが知り合いに当たるということになる。近鉄で大阪北浜にでて、ぶらぶら、途中コーヒーを飲んだりしながら歩いて、長堀橋の小さな小屋、ウイングフィールドへ。シアターXのインターナショナルダンス・シアターフェスティバルに参加した山田いづみさんのダンス公演(資料メモ)を見る。楽日なので、その後痛飲、澤野井さんとも。
13日、山田さんが講師を行っている大阪スクールオブミュージックを見せてもらう。その規模に驚かされる。山田さんともいろいろ話す。山田さんと、彼女のステージを一緒になって作っているボーカルの梅木さんとも一緒に、何か出来ないかと話す。昼過ぎの新幹線で東京に戻る。
14日から沖縄に行こうかと思っていたが、雑用多しで、またまた延期せざるを得ない。

★6月6日

3、4、5日と会議続き。4日、六本木ヒルズで、フランスから来ているカラー・メカニックを見る。圧縮空気をいれたホッピングのようなスティルツをはいて、飛び回るチーム。みんないろいろな道具を開発するものだと感心してしまう。

★6月2日

5月31日、久しぶりに電車でサーカス村に。今週はこのまま5日までサーカス村に入れる予定だったが、3,4,5日と外せないミーティングが入り、今日2日急遽、東京戻り。6月1日、10日に大間々のながめ余興場で公演する内容を決定。今週中に固めるつもりだったが、来週に時間が出来たので、来週にリハは移すことに。
コンテナの蟻駆除を済ませる。しかし一度、コンテナをカラにしないといけないので、荷物の整理を。なにしろ、コンテナには、マーシャ・ディミトリーの綱渡り設置道具やら五人囃子の道具など、あれこれ山積みになっているので、簡単にはいかない。学校に移動できるものは移動しながら、少しずつやるべし、といった感じだ。

★5月30日

24日から27日午前中まで、サーカス村に。資料館横のコンテナの中の整理。本を詰めたダンボール箱に蟻が巣をつくり、その処理に追われる。まだ終わらない。
28日、犬山に。リトルを覗き、夜は明治村の黒野所長他2名の方々と痛飲。明治村ある呉服座(くれは座)を、常打ち小屋にしたいと切望されている手妻の藤山新太郎師匠の希望実現のために、所長にお会いした。しかし今すぐに師匠の望みを実現するのは、予算そのほかの面からも難しいので、呉服座の常時活用方法について話し合った。その常時活用の中に師匠の公演をいかに組み込んでゆくかということだが、それとてそう簡単にできることではない。
29日、リトルでのドイツサーカス最終日。この日は前年比130%以上の入りで、サーカスを行っている野外ステージも超満員で、みんな楽しく気持ちよく楽日を迎えられた。前日黒野所長と痛飲したこともあって、打上げの宴会では大人しくしていた。
廣末保著作集、4巻を飛び越して5巻を読む。というのもこの中に氏の脚本『悪七衛景清』(近松門左衛門作『出世景清』よりが収録されているので、それを早く読みたくなって、4巻を飛び越えた。この脚本は、氏が景清をどのようにとらえているか、「景清の力は、永久に解放されることのない力として、はじめからあった」というテーゼのもとに創作されているので、それがどのような作品に仕上がっているのかを知りたかったのである。

★5月23日

22日昼、サーカス村の会報を作り、夜、今、宮古島で悠々自適の生活を楽しんでいる辻佑二さんに横浜でお会いして、酒を飲みながら歓談。先輩が宮古に居を移して丸2年。遊びにこいといわれているのだが、なかなか時間が取れない。31日に宮古に帰るというので、ヨシ、行くぞとその気になつていると、携帯が鳴って、今外せない打合せが6月3日に入る。これで他のことを考えると、6月は無理、7月もサーカス学校の公演準備やらで見通り暗し。なんとも残念だ。先輩は、今、刺繍糸できれいな紐を作り、それに宮古の海岸に打ち上げられる貝、宮古で有名なのは宝貝だが、それらを付けた携帯ストラップや腕、首などに巻くリングを手づくりで作成。それらを露天で販売するという商売というか楽しみを作り出している。
宮古で、ほとんどすべてを手づくりで喫茶店をやっている人や馴染みになった寿司屋さんの人柄を聞くにつけ、遊びに行かなければと思うのだが。

★5月20日

14日、これまで何回かサーカス学校に練習に来ている高校生のアキコ君に会う。
彼女は早くサーカス学校に入りたいという希望を持っている。しかし今高校2年生なので、卒業してからでも遅くないと話をする。高校に通い、ダンスや水泳で体を鍛えることができるので、そうした部活で心身をきたえるように、と。
17日は、サーカス文化の会としては最後の月例会。といっても月例会はサーカス村協会で引き継ぐつもりなので、サーカス文化の会に解散について話し合うことなく、この日のテーマである、”ジンガロを見て”について意見交換をする。ジンガロに通訳として参加、全日、ショーを見ていたという山田ひろみさんが着てくれたので、いろいろと面白い裏話を聞くことができた。
この日は、明大前に泊まり、18日朝、サーカス村に。昼前に到着。1時半、群馬ボランティア協会のインタビューを受け、3時から車に積んできた書籍を下ろす。明大前に山積みになっている、烏書房出版の本、その中には芝居をやっている頃、仲間と出版した本もある。それらを学校に下ろして、続いて資料館のコンテナの整理を。そのコンテナ、奥のほうにはいってビックリ。本の入っているダンボール箱に蟻の巣が出来ている。ギャーという感じ。この日、蟻との対決を避ける。来週やらねば。で、翌19日に東京戻り。3時からシアターXで、来年の第6回目になる、IDTF(インターナショナルダンスシアターフェステイバル)実行委員会の打合せ。その後、シアターXの間宮さん、家入さんと吾郎ちゃんの店に。
20日、サーカス文化の会として最後の会報と国際サーカス村協会の会報作り。今日はもう疲れた。
それにしてもIDTFの作品作り、頭が痛い。まだ、なにをどのように作ればいいか、道が見えてこない。といいながらもやはりオーディションをして、参加希望の若いダンサーたちとなにかを作りたい気持ちはある。アイディアというよりも論理的にIDTFでやる意味を探りたい。
来週は火曜日に同じくシアターXで、今度はブレヒトのミーティングがある。できれば火曜日中にサーカス村に。コンテナの蟻さんをやっつけねば。なんとか夏までに明大前の部屋の書籍、そのほか友人から預かっている食器類を資料館のコンテナに移動したい。予算がないので無理だが、明大前を来日アーティストのゲストハウスに出来るといいのだが。以前からそう考えているのだが予算が組めないのでほったらかし。それではいつまでたっても埒があかないので、とにかくそこに山積みになっているものを片付けようという心積もり。

★5月13日

11,12日、サーカス村在。みんなの練習を見るかたわら、サーカス文化の会のサーカス新聞『曲馬と曲芸』などの整理。資料館の横においてあるコンテナの整理も始める。いろいろなものがたまっているので、整理といっても簡単にはいかない。そして資料館の庭の草むしり。これまたむしってもむしってもという、シジフォス的世界。除草薬をまいたらという意見に耳を貸していないので、誰にも文句は言えない。草むしりというのは、なんでも10年ぐらい続けないとダメらしい。草をむしると、あたりの土がひっくり返って、それまで地下にあった雑草の種が地表に現れる。日があたる。芽吹くという仕組みとか。ベランダのクレオソール液塗りはあと少し。
5日に、国民宿舎サンレイク草木で行った、英祐リーダーでおこなった新入生の大道芸ショーのビデオを見る。うまくまとめていた。こうして少しずつお客になれてゆくというのも大切な練習のひとつだ。
タラの芽のてんぷら、山椒の葉をちらした冷奴、赤カブなど、食事は健康食ですます。といいつつも、12日夜に車で東京に戻り、吾郎ちゃんの店で、ちゅうハイ2杯。

★5月10日

4日、大須賀さんのメールで沖縄・石垣市での空中ブランコでの事故死を知る。その後、沖縄の大城氏に連絡。情報収集するが、詳しいことは分からず。そんな折、9日、この事件のどちら側の弁護士か分からないが、空中ブランコの安全性について業界の基準のようなものはないのかと質問の電話あり。そのようなものはないと答えたが、この事故はぼくらに大きな教訓を与えている。空中ブランコに限らずサーカスの技には危険がつき物である。それ故、常々、できる限りの注意を払った上での訓練が必要であり、十分に訓練を積んだ上で、人前に立つようにしなければならない。今回の事故の詳細はまだ不明だが、”ブランコで逆上がりをしようとして手を滑らせた”とあるが、逆上がりをしようとしていたならば、バーを握っていたはずであり、それで手を滑らせたというのは表現として不適当な気もする。逆上がりをしようとして、自分の身体を支えられず、バーから手が離れてしまったのではないか。それも停止している状態ならば、自分の重さを支えられないということはないだろうから、ブランコを振っている状態で逆上がりをしようとしたのではないか。ブランコを振っているためにかかる遠心力、それによって体重に相当な重さがかかる。そのためにバーを握っている手の握力ではその体重プラスアルファの重さに耐えられず、バーを離してしまったのはないか。とすれば、それだけの力をつけずに命綱をつけずに人前で演技していたことになる。このような状態で事故がおきたとすれば、これはあくまで推測に過ぎないが、やはり空中ブランコの危険性を十分に認識していたとはいえないことになるかもしれない。大城弘明氏の情報は村長メモで紹介。
今日10日は、これからサーカス村に入る。

★5月9日

4日は終日関越自動車道が混んでいるようなので、サーカス村を後にするのを諦め る。5日5時半にでて東京に。事務所に車を置いて、小田急で箱根に。星の王子さまミュージアムへ。ミュージアムとフクちゃんのパフォーマンスを見る。ミュージアムはなかなかシックで、デートコースにいいなという感じ。ご馳走になったレストランの食事も美味しかった。前菜の野菜のムース(冷えたかぼちゃのスープにクリームがかかっている)が気に入ったなあ。女性とワインを飲みながらというのがぴったりだが、とりあえずは仕事なので、ビールも飲まず、我慢我慢。
フクちゃんもなかなか受けていたし、今後、どんなぱフォーマンスを行えばいいか、いろいろイメージが浮かぶ。
6日、夜、ジンガロのメンバー2名に、通訳の山田さんの紹介で会う。男性のほうはシャロンの学校の一期生で、あのシルク・イシのジョアンと一緒に住んでいたとか。当時の話で盛り上がる。いろいろな情報あり。
7,8日は久しぶりの自宅で休養。といっても我が家には介護をしなければならない老犬がいて、久しぶりに家にいる時は、その世話を手伝わなければならない仕組み。

 
★5月4日

3日、2時過ぎ、関口さんの車で水上温泉・ホテルじゅらくへ。香山君は軽自動車で、後に続く。3,4日と香山君のじゅらくでの公演。夏休み期間も公演できるかもしれないので、会場視察を兼ねて水上温泉に。野毛大道芸(4月25日)の帰路、関越自動車・高崎で、香山君の車はエンジンが壊れてしまい、そのまま廃車処分せざるを得なくなり、地元の東毛自動車から借用。4月29日、星の王子様ミュージアムも台車利用で。その星の王子さまミュージアムには、5月3日からフクちゃんがパフォーマンス。5月8日まで。
4日、9時にジュラクをでてサーカス村に。東京に戻りたいが交通情報では、関越は30km渋滞。それではと、資料館のベランダにクレオソール油を塗る。5時までになんとか半分塗り終える。なにしろベランダは杉花粉を浴びているので、一度、雑巾掛けをしなくてはならない。一畳分ほど拭くと、バケツ一杯の水が黒黄に。まあ、ベランダが白くなるほどの花粉なので、当然といえば当然かもしれない。
それにしても今日中に東京に戻りたい。星の王子さまミュージアムも視察にいきたいので。

★5月3日

1日、木彫をやっている古館さん、訪村。一泊されて、2日、大間々のさくらもーるで公演の木村元・洋子さんのポコ舞踊団を見て、帰られた。7月再度訪村予定。
サーカス学校の生徒の練習をスケッチしたいとのこと。
ポコ舞踊団はさくらもーるで2回公演、その後、童謡ふるさと館にもどり、ミニコンサート。彼らの公演を見ていると、心が空っぽになるというか、澄んだ青空のようになる。これはぼくだけなのだろうか。
夜はウクライナに帰るオーリャの送別会。サーカス学校の生徒、木村ご夫妻、先生に関口さんと総勢14名。
オーリャは肉も生野菜も食べないので、マグロのずけといくら、トビウオの卵を酢飯に。そのほか海老のチリソース、レバーと野菜の炒め物などを作る。
3日、朝5時、先生、オーリャ、天野君を乗せ、関口さんに桐生駅の成田行のバス停まで送ってもらう。

★5月1日

30日モスクワから帰国。何しに行ったかは現状報告できず。機会がくればご報告ということで。オープンな日記ともなればやはり書けないこともでてくる。
で、今日5月1日はサーカス村に移動。明日、ポコ舞踊団の木村ご夫妻がきて、大間々のさくらもーるで公演。その後、童謡ふるさと館で夕方、ミニコンサートを行ってくれるので、その準備。
といって今日は特に準備することもないので、資料館の草むしりでもするかといったところだ。夕方にはサーカス村にも雨がやってきそうだ。

★4月25日

日記、10日間のご無沙汰。
14日、童謡ふるさと館でポコ舞踊団の仕込みを終え、15日に東京にもどる。18日には南林間の自宅から直接リトルワールドへ。11時30分のドイツサーカスの一回目の公演を見る。2回目も見て、そのあと、リトルの方に手伝ってもらい買出しに。この日、17日が誕生日だった空中ブランコのベラのため、中華料理を作ると約束していたので、そのための材料を入手しにスーパーへ。海老チリソース、茄子マーボー、イカをいれた野菜サラダ、オニオンスープ、わかめともやしの酢の物、チャーハン、鯖のフライなどなどを作る。で、楽しく飲んで、2時に就寝。ドイツのメンバーは5時頃まで飲んでいたとか。
翌日、8時過ぎ、宿舎の岩の茶屋をでて、11時5分の新横浜に向かう。用賀で打合せ。そのあと事務所に顔を出し、帰宅。20日は夕方8時45分の東武鉄道両毛号で、赤城へ。フクちゃんに迎えに来てもらう。20、21日は、野毛大道芸サーカス学校公演の稽古。22日、野毛入り。23、24日、みなとみらい線馬車道駅コンコースで公演。この馬車道駅が、みなとみらい線の野毛に一番近い駅ということで、ここも野毛大道芸のエリアということで用意された場所だったが、乗降客は少ないし、野毛地区からはちょっと離れているので、客がなかなか集まらない。サーカス学校の公演場所としては贅沢はいえないのだが、一緒に公演することになったポコ舞踊団には申し訳なかった。客が少ないというのは投げ銭もすくないということになる。打ち上げに参加し、サーカス学校のメンバーは泊まって翌25日帰村だが、ぼくは自宅に帰る。
25日、今日は一日事務所で雑用の整理とフール祭の打合せ。明日から30日まではモスクワなので、またしばらく日記の書き込みはなし。

★4月15日

12日。川崎・クラブチッタで、スウェーデンのサーカス、サーカス・シルクールの公演。大盛況というか、客席を増やして、なお立ち見となる。約600名のお客さまに見てもらえることができた。アンケートに、クールでスタイリッシュ!アーティスティック!!!!。テンポも発想もとっても心地よくて、不思議な国に迷い込んだような感じでしたというのがあったが、アンケートはほぼ全部、感動のメッセージが綴られていて、しかも一回じゃもったいない、再来日公演をという、うれしい注文が多数。まあ、ACC企画はじまって以来のヒットといえるが、実に大変な準備だった。なにしろメンバー18人で荷物が8トン。予算をはじくと、スポンサーがつかないことにはどうにもならない数字がでてきてしまう。シルクール側もどんどんゆずってくれたが、それでも赤字は埋まらない。一度ならず二度、三度断念しかかったのだが、それでもやったほうがと思ったのは、この機会を逃すと、お客さんにみてもらえなくなる、そのチャンスを逃して良いのかという気持ちだった。スウェーデンまで見にいかなければ、多分、断念したと思う。見てしまった以上、お客に見てもらう責任がある。公演決行の最終決断はそれであったと思う。終演後、多くの友人、知人が近寄ってきてくれ、口々に素晴らしい公演だったと話してくれた。うれしかった。うれしすぎてその場で涙は出なかったが、後でジーンと来ていた。3月23日に脳溢血で倒れてそのまま意識が戻らずな亡くなってしまった、玉ちゃんが思い出されてならなかった。サーカス文化の会、サーカス村協会の会員になってくれていた玉ちゃんは、折につけ、ぼくを激励してくれていた。こんなことをいうとバカにする人もいるが、玉ちゃんは、男に対しては、グズグズいわずに信念をもってやれという考えを持っていたと思う。そんな声を、彼女が口にだすわけではないがいつも聞いていたように思う。ばくはシルクール公演の成功を彼女の墓前にささげたいと思う。バラシは夜中の2時過ぎまで。照明に宮ちゃんと飲んで、3時過ぎベットに。
13日朝8時チッタへ。荷物搬出。シルクールのスタッフ、日本側のスタッフの働きに満足したのか、積み込み後、全員と握手して分かれる。
大野さん、辻君、大森君と事務所に戻る。2時過ぎ、車でサーカス村へ。途中、明大前で、サーカス新聞のバックナンバーを一部積みこむ。5時過ぎ、資料館に。フクちゃんに手伝ってもらい、チャイニーズポールの手入れと搬出の準備。チャニーズポールを立てる底部部分を、地元の松島さんにお願いしていたが、それも出来ていた。
夜8時過ぎ、巨人・阪神線を見ながら、ビールを飲み、うたたね。
14日10時過ぎ、サーカス学校へ。シルクールをみんな満足したというか、感動したようだ。
チャイニーズ・ポール発送、その後、童謡ふるさと館で、木村元・洋子さん制作”ムンドノーボぽこ舞踊団”の仕込み。15日から7月3日まで長期の展示。指先で叩いたり、指で回したりすると動く人形のダンサー、動物作品に、絵画など。作品はサーカスをテーマに作ってくれている。以前、鶯谷の東京キネマ倶楽部で本格的なデビューしたサーカス学校の森田君の水彩画もあるのには、驚き。
夜8時過ぎ、久しぶりに国民宿舎サンレイク草木の露天風呂に浸かる。
15日、午前中サーカス学校で過ごす。その後、東京に戻る。

★4月12日

9日、昼過ぎチッタへ。1号トラスを逃がすことができるか、施業者さんがみにこられるので、その立会い。(これはチッタにとっても初めてのこと)。結果的に可能にはなったが、またまた経費がドーンとかかるので、頭が痛いのはいうまでもない。
3時過ぎ、チッタをでれば、晴天の下、あたりにはデイトをする若者の群れ。お花見に最適な日和。誰かとお花見でもする予定にしとけばよかった。しかしマスコミの、どのチャンネルをひねっても桜の開花いつだ、やれお花見だという、ノーテンキなおしゃべりにうんざりしているので、お花見する気はなし。どうしようか、映画でも見るかそれとも家に帰るかと思案した結果、葉山の実家へ。何しろ老いた母と妹と背骨が曲がっているお犬様とがひっそり暮らしている。久しぶりに帰って、庭の手入れでもするかということにした。
11日、8時前にチッタいり。荷下ろしの進行を確認してから事務所にいき、チケット予約の確認をした後、チッタにUターン。夜10時過ぎ、チッタを出て帰宅。いよいよ、明日、本番だ。それにしてもトラス作業はかなり大変だった。ちょっと自分たちには無理な作業。とはいえ、サーカス人であれば本来自分たちでこなすというか、この状況もクリアする方法を見つけなければならない。それはできないことではないだろうが、現在の建物の中はさまざまな規則があって自分たちでは手を出せなくなっている。劇場がとことん使用するものではなく持ち主の、たとえば極端な話、押しピンひとつ差しこんではいけないといった規則に縛られてしまっている。今回、チッタではアンカーボトルの打ち込みに始まって、今回のトラスを逃がすことなど、いろいろとうけいれてくれているので、シルクールの公演可能にこぎつけようとしている。公演の成功とは、劇場を満員にすることだけではない。その公演を通して、たとえば規則がらみの劇場で何をなしえたかということも大切なのだ。今もっとも忘れられていることがそこにある。

★4月9日

8日、シルクールの一行18名が大型バスでチッタ入り。会場チェックで、劇場の 1号トラスがあると、彼らのトラスが組めないことが判明。トラスをはずすかいかに逃がすかで、大騒ぎとなる。そのようなことが起こらないように、事前にシルクールの舞監に下見に来てもらったのだが。グチは後の祭り。解決しなければならない。

★4月8日

7日。田中穣さん、小野沢稔彦さんと足立正生監督の映画制作の打合せ。その後、東中野planBへ。ソロ道化シリーズ第4回を見にいく。出演者はふくろこうじ、安西はぢめ、加納真美、三雲いおりの3名。批評は資料メモに。会場でシルクールのチケットの押売り。久しぶりに飲まずに帰宅。

★4月7日

6日、久しぶりに舞台監督の星野正弘君に会う。今は松竹演舞場で仕事をしているが、朝が早くて眠いよ、と。でも商業演劇はエネルギッシュだとも。負けられませんな。シルクール、徐々にチケットは売れているが、まだ爆発するとところまではいっていない。なんとか爆発させたいのだが。6日、万博にシルクールの下見にいった大島幹雄君とクラブチッタの藤田さんは、感動して帰ってきた。
資料メモを作り出したら、いろいろメモりたくなって、自分で首を絞めそうだ。しかし、これも記録になっていくと思えばやる必要があるかもしれない。今、頭を悩ませているのは、サーカス文化の会の存続をどうするかだ。会報で、会員に問いかけて見たものの、これといって意見がもらえない。ということは、サーカス文化の会の使命は終了していることになるのだろうか。一抹の寂しさもあり。

★4月5日

3日夜、シアターXで、イスラエルのルティ・カルネ演出の「母アンナ・ファイアリングとその子供たち」を見る。原作はブレヒトの「肝っ玉おっ母とその子供たち」。見た限りでは、かなり原作に忠実なような気がしたが、原作を読んだのはずいぶんと昔なので、はっきりとはわからない。パンフレットのあらすじのところに、「たとえば人形と人形遣いとの構造的関係を示すだけではなく、それを上回って舞台全体を仕切っている演劇的メカニズムを露にすることなど、通常なら舞台裏でなされていること、シーンの準備や役の衣装の着替え、スタッフワークなどもすべてみせていくなかで、観客が世の中の出来事をあやつっているメカニズムの観察者となることをうながしている」と書かれているが、これが成功しているかといえば、かなりごたごたしてしまったようにも見えた。思うに、このコンセプトはいいとしても、これをやるためには、ただ演出するよりももっと緻密な計算が必要になるのではないかと思われた。
ぼくが期待していたのは、一部と二部で、アンナ(吉田日出子)が大きく変化することであったが、演出家はそのようには考えなかったようだ。それ故、アンナの子供たちが次々死んでゆき、ついには口の利けなくなった娘さえ失ってしまった後、それでも戦争とともに生きなければならないアンナの生き様が今ひとつ強い力を持って、観客に迫ってこなかったように思える。勿論、それは何物ねだりというよりも、ブレヒトが意図したところとも違い、ブレヒト劇にドラマ性を求めることの誤りをぼく自身が露呈していることかもしれない。
昨年「へいせいの伊右衛門」というダンス劇の演出らしきことをやって、実は今もそこから離れられないでいるのだが、というのも、お岩の怨念とはなにか、自分なりの謎解きが出来ないでいるからだ。恨みというものが拗れてゆくのはなぜかと質問を置き換えてもいいのだが、そこのところがいまひとつ釈然とせず、じたばたしているのである。怨念に目を向けているうちに、ひとつ「平家物語」あたりからという気持ちになって、今、平家物語を読み始めている。さまざまな怨念を実現するために神仏に頼る、神仏がこの世を支配しているような、また、それを信じるようになる人々。それはなぜか。この世のものではないものに絶対的な力があり、その力は幾ら頼ったところでご利益があるわけではないにしろ、それでも少しでもいい方向に向かえばそれは神仏のなせる業という、思考・感性の回路。今様にいえば処世訓。だがお岩は神仏に頼らず、己の化けて出る力だけを頼みに、人を殺めてゆく。その力とはなにか。そこの謎解きに四苦八苦しているのである。
今はスウェーデンのサーカスシルクールのチケット販売に必死である。かなり手ごたえはいいのだが、もうひとつ盛り上がりが欲しいところ。

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