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村長日誌(2005年7,8,9月)
★9月28日

27日(火) 琴奏者の日原史絵さんを乗せて、サーカス村に。日原さんはジャグラーの目黒君とコラボレーションしてり、ジャグリン、サーカスに関心があるとのこと。縄文琴の復元にも関っている。サーカス資料館の栗は大半が落ちてしまっている。粒は大きい。きちんと収穫できなかったの残念。サーカス学校へ行き、皆に日原さんを紹介。とも、エイスケはすでに面識あり。この日は、サンレイク草木の露天風呂に入ってもらい、骨休め。
28日(水) 役場で関口さんに会い、その後、サーカス学校へ。日原さんは3点倒立に挑戦。稲川さんに、校舎の電気工事をやっていただく。フクちゃんには、6本木ヒルズで行うモンゴルサーカスの力技で使う敷板を作成してもらう。夜、日原さんといろいろ話す。彼女のやりたいこと、僕は僕で、サーカス学校の公演で、彼女がなにかできないかと、勝手に想像している。

★9月26日

26日(月) ACCの事務所に出る。5時から、シアターXで、「泥棒論語」の稽古に付き合う予定。
21日(水) サーカス学校にて、一日過ごす。雑用が多く、資料館庭の草むしりできず。栗はキューバに行っている間に盛りを過ぎてしまった。少し拾って自宅に持って帰ることにする。
22日(木) 夜7時過ぎ、車で自宅に向かう。環八号線がやたらに混んでいて、自宅にたどり着いたのは12時直前。
23日(金) 朝7時前に車でACC事務所に。11時からシアターXで、IDTF会議。俊寛の台本ぼろくそ言われて、書き直し。まいったなー。2時から、笑福亭福笑師匠の上方落語を聞く。熱演変らず。でも今回の新作はスケールがあまり大きくなかったような気がする。終演後、ちらりと飲み会に付き合って、7時30分、新宿で星野君に会い、相談事を聞く。
24日(土) やっとキューバ帰りの休息日。
25日(日) 新聞整理の一日。

★9月20日

7日(水) 15時50分のコンチネンタルエアーラインでアメリカ・ヒューストンに。旅の仲間はジーノ、井上さん、同僚の大野洋子さん。ヒューストン、カンクーン、そしてキューバのハバナへ。ハバナ到着は、今日の夜21:00時。ほぼ予定通りハバナ空港へ。空港にはサーカス公団の代表であるローランドさん、ジーノの友達でディレクターのロイさんらが出迎えてくれる。ハバナ空港から市内へ。途中街頭は少なく信号も見当たらない。10数年前に北京空港から市内に向かった頃を思いだしている。ホテルは、国立キューバホテルで、古いが格式のあるホテルで、心和む雰囲気。窓からは海が見て、其の海岸の防波堤には恋人たちが涼んでいる。
8日(木) ホテルのバイキングスタイルの朝食を済ませ、早速、サーカス公団の事務所へ。迎えに来てくれた車はなるほどボロでエアコンも効かないが、だからどうということはない。事務所でキューバコーヒーを頂きながら、キューバサーカスについていろいろ聞く。その後、銀行へ行く。なんでもドルを交換するのが一番損で、ドルだけには10%以上の換金税をかけているとか。1万円が訳880ペソ。この国も2重貨幣制で、ぼくら外国人が使う紙幣とキューバの人々が使う紙幣は別。換金した銀行のあるところは旧市街地で、観光地でもある。派手な衣装を着て葉巻を手に持っている(吸っていない)女性と写真を一緒にとると、お金を取られる。そのあたりで、キューバ音楽を聞かせてくれるレストランで食事。キューバビールを飲む。その後、日本大使館にご挨拶に。続いて、3つあるというサーカス学校のひとつに行き、いくつかショーを見せてもらう。で、おどろき。今まで見せてもらったキューバサーカスのビデオとはまるで違い、みんな若いし芸の切れもいい。見ている内に興奮してくる。その後、今度はテントで公演しているショーを。これまたすごいではないか。
9日(金)この日もサーカス公団の事務所で話し合い。その後、再びテントへ。まだ見ていない演目を見せてもらう。夜は、サルサクラブへ。
10日(土) 国立民族舞踊学校へ。民族舞踊を見せてもらう。ここでも感動。何しろ男性も女性も身体がとんでもなくよく動く。エネルギッシュだというだけではなく、身体の深いところから沸きあがってくる情熱のようなものがある。
11日(日) 昼間は買い物。で、僕がどうしても見たいというので、市内のオルガ二コ、有機栽培を行っている畑を見せてもらう。幅1メートルほどの畝。その周囲はコンクリの波板で囲ってある。堆肥の土は地面を掘って入れ替えているのではなく、地面の上にある。畝ごとに違う種類の野菜が植えてある。丁度きたトラックから落とされた堆肥を摘まんで匂いを欠いて見たが全く牛糞の匂いはしない。世界一といわれるキューバの有機農業の一こまを見れて幸せであった。夜はホテルのクラブでダンスを見る。
12日(月) キューバサーカスと最後の打合せ。そのあと、ジーノのいとこの家に。ご馳走になる。夜は1936年から続いているという”トロピカ−ナ”へ。ダンス、歌あり、アクロバットあり。ここはキューバではなく、ラスベガスの雰囲気。
13日(火) 早朝にハバナを立って、メキシコ・カンクーン。カンクーンは新婚旅行のスポットのひとつとか。でもそれは海岸なのだろう、カンクーンの市内は、メキシコの雑多の町の雰囲気の溢れている。ここカンクーンには来ていないが、僕がバックパッカーでメキシコを歩いたのは、もう30年以上も前だが、なんとなく当時と同じ匂いがする。夜、今回の旅、仕事がとりあえずはうまくいったということで、海老を食おうと提案。豪華に食事。そのあと、ナマバンドの店で飲み、ホテルに帰る。カンクーンに一泊。
14日(水) 成田に3時前に到着。空港で、ジーノ、井上氏、洋子さんと別れて、東京に。一度、事務所により、荷を解く。なんとトランクが開けられている。荷物の上に紙が一枚。アメリカの税関が開けたとある。いくら法律で決めたからといって、こういう強権的なことをするから、アメリカは嫌われるのだ。
15日(木) サーカス学校5年目の初日なので、とにかく車で駆けつける。新しく今期より入学の工藤さんはじめ、ほとんど皆が揃っている。帰りは車を置いて電車で東京に。車は深夜、フクちゃんが馬来、先生を乗せて、京都に向かう。京都文化祭前夜祭に馬来のシフォンを行うのである。さて、どうなるか、なにしろ、クレーンを使っての試みである。
16日(金) 僕は新幹線で。先生、馬来、フクちゃんは車で京都入り。10時40分、京都ロイヤルホテルのロビーで待ち合わせ。部屋をとってから、アクティブ・ケイの伊藤さんと打合せ。3時にシフォンをつるレッカー車が市役所前に入るので、現場に。レッカーにシフォンをとリつけ、リハーサル。風が心配だったが、それほど強くないので、演技には支障なし。それでも、シフォンの端が絡み、そうあったら介添えがいることが判明。ひとつ勉強する。元気のいい、大阪のダンサー山田いづみさん、一緒に飲む。伊藤さんからは、一部、演技について注文がでる。受け入れる。
17日(土) 午前中、みんなで清水寺に。3時に市役所前の会場にはいって準備。公演は7時30分過ぎ。無事に終えて、ほっとする。夜飲む。
18日(日) 車で犬山リトルワールドに向かう。11時の最初の公演には間に合わなかったが、途中から見る。二回目の頭、空中ロープのショー、代役だが、無事にこなしてくれて一安心。夜、先生、よっちゃん、ACCの大島、辻君とリトルのメンバーと懇親会。つい、キューバの話になってしまう。
19日(月) 犬山駅を8時20分に、先生と一緒に電車に乗って、東京に向か う。先生を東武鉄道・浅草駅に行くり、ACC事務所に。メールチェックをして家に帰る。愛犬のクルンの寝ている部屋を見ると、もぬけの殻。18日朝に亡くなったとのこと。女房は気を使って連絡してこなかった。
20日(火) ACC事務所に。雑用処理の一日。明日はサーカス村に。

★9月7日

6日(火) へブンアーティスト、2次審査2日目。審査中、いろいろややこしい問題が飛び込んでくる。明日からキューバなので、気持ちが焦る。なんとかやりくりして家に。明日、キューバへたつ前に、ACC事務所にでて、仕事しなければならない。
7日(水) なんとか事務をこなし、これから成田へ。台風はフライトには心配ないようだ。

★9月6日

3日(土) 朝、東村役場で不在者投票を済ませて、赤城青年の家に、フクちゃんの車で行く。赤城山麓を抜けるからっかぜ街道は信号もなく、赤松、杉、栃、どんぐりなどの木々の間を抜ける、ツーリングにはもってこいの道。赤城青年の家で、10月23日のショーの打ち合わせを終え、フクちゃんに前橋駅に送ってもらう。駅前の商店が入り、レストランで昼食。お勘定をするとき、領収書の宛名書きで、サーカス村というと、”あ、あのサーカス村ですか、新聞でよくみてますよ、今度はどこで公演するんのですか”と聞かれ、思わず顔がほころぶ。
 東京にもどり、ACC事務所に行き、雑用を片付ける。6時過ぎ、豪徳寺駅前の喫茶店で、ケイ・タケイさんに会い、”俊寛異聞”初稿についてご意見拝聴。いろいろ注文をいただく。次回ADTF会議までに、その答えを用意しなければならない。
4日(日) キューバ行き準備と雑用で、終日、家に。
5日(月) サーカス村会報、残りを郵送。その後、都庁前で、へブン・アーティスト審査会に。雨で、ビルの下での演技。お客さん少なく、ちょっと寂し感じであった。17組が合格。

★9月2日

8月30日(火) サーカス村月例会。サーカス文化の会から引き継いだ月例会。大野洋子さんのフランス・フェステイバル見て歩き報告会。安部さんがキューバの音楽状況をルポしたハイビジョン放送のコピー、イギリスのサーカスファンクラブ編集の『サーカス事典』を持ってきてくれる。月例会の後、原宿の「はっとり」で、前回のフール祭に来てくれた「オキドク2」のブノア、グザビエにあう。ゆっくり話したかったが、終電もあり、11時に席を立つ。
8月31日(水) 豊島園のサーカスチーム楽日。最後のショーを見る。六本木で打上げ。この日もほんの少しの時間しか参加できず、帰宅。
9月1日(木) 昼過ぎシアターXで、来年のフール祭について上田さんに報告。5時、京都の伊藤さんが来社。17日の京都文化祭前夜祭の打合せ。その後、新宿で領民雑技団の公演を少し見て、7時30分、大阪の山田さんに会い、飲む。
9月2日(金) サーカス村の会報を作り終え、これからサーカス村へ。電車で。不在者投票と赤城の青年の家下見予定。一泊で東京にUターンしなければならない。

 
★8月29日

23日(火) サーカス村へ。俊寛を書かなければと思いつつ。
24日(水) 資料館の電話、ADSLに。IPフォン050−7566−8150設置。
25日(木) 台風で一日、雨の中、俊寛と格闘。
26日(金) 東京に戻る。なんとか俊寛初稿アップ。
27日(土) シアターX,IDTFに、俊寛を持ってゆく。とりあえず、初稿として受け取ってもらえる。俊寛をお願いする人に、すごい人の名前が出たりして、こちらはひやひや。 28日(日) 大宮のソニックホールで行われているWMS(世界マジックシンポジウム)・ガラショーに行く。ゲストでサーカス学校の森田君が出演。森田君の演技に、僕の席の後の客は、すごいな、きれいだなを連発していた。
29日(月) 朝起きると、俊寛や伊右衛門が今や知り合いになっているような気分になっている。昨年の"へいせいの伊右衛門”の後も伊右衛門はいなくなってはいないのだが、生みの親の鶴屋南北さんがなかなか捕まらない。俊寛の場合は、生みの親の近松門左衛門がそばにいるような気がしてならない。近松モノを勉強しなければ。それにしても来年のIDTFの妖怪やら幽霊やらが素材で、松谷みよ子がまとめた『現代民話考』を読んだりしながら、あれこれ、思いを巡らしている。
ところで、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』を読み直していたら、「馬の種つけの演出をしたいと思っている」という文章にであった。ジンガロの作品にこの馬のファックシーンがあったことは有名で、そのことに小沢昭一さんが感動して、朝日新聞のコラムに書いていたが(いつだったか、もう10年以上前か)、寺山修司がそれを思い描いていたとは。なんとも不思議な気がしている。

★8月22日

17日(水) 夕方、キューバ音楽の情報をもらおうと、高瀬さんに会う。飲みすぎる。
18日(木) サーカス村へ。
19日(金) 一日、資料館の掃除と草むしり。 20日(土) 以前、早稲田大学でサーカスの講義をした時の生徒だった鳥谷尾さんが来る。資料館とサーカス学校を案内する。
21日(日) 10時過ぎ、関口宅へ。9月17日、京都で公演予定の西山君の衣装の仮縫いに立ち会う。東京へ戻る。この間、実は、『俊寛』を書く予定だったが、一行も書けず。どうすればいい!!

★8月17日

14日(日) 葉山の実家から我が家へ。
15日(月) ACCに出社。早めに帰宅し、NHKの終戦記念日特番を見る。これからの日本。若い人々のいろいろな意見。左翼的な人はいない。右翼的な人も平和をのぞみ、戦争反対といっている。しかしどこかの国が強権的行動をとったら、どうなるのだろうか。その時も戦争絶対反対といいきれるのだろうか。戦争に反対していくには、それなりの信念、思想的なものが必要だと思うのだが。9月キューバにいくので、キューバ関係の本を少し読もうと思っているところ、大野さんから、キューバは今や世界的な有機農業の国と聞き、彼から『有機農業が国を変えた』という本をもらう。ソ連が崩壊し、その援助を受けられなくなったキューバが食糧生産のために、それまでの農薬をつかった大量生産から有機農業の小規模農業に光を見出す。果たして、日本はそうなったらどうなるだろうか。現在の経済が崩壊した時、日本は海外侵略せずに、自ら道を開くことができるのだろうか。それでも戦争せず侵略せず、平和を、というには、それ相応の信念、あえて言えば思想がなくてはならないのではないか。そうあって欲しいとおもいつつ、特番をみる。
16日(火) ACCに出社。事務所にあるトレスコをついに分解する。もう使い物にならないので、バラそうバラそうと思っていて、バラすのはいささか大変なので、先送りしていたが、このお盆の期間に何とかと思っていて、ついに着手。バラしおえて、すっきり。
17日(水) キューバ大使館に。ビザをもらう。一等書記官のアンドレスさんが対応してくれる。キューバサーカスについて、話してくれる。キューバ側も僕らの仕事に期待しているとの話。

★8月13日

9日(火) 「サーカス百科事典」編集会議を夕方6時から新宿W嵐山”で。
10日(水) 「妖怪大戦争」「星になった少年」の日本の映画を観る。
11日(木) 夏休みをとって、葉山の実家へ。
12日(金) 昨日、友人の大野さんから連絡があり、彼のキューバ関係の友人を紹介していただくことになり、東京へ。宮部みゆきの『孤宿の人』を読む。
13日(土) 実家の庭の草むしり。実家は海に近いので、いつでも海に入れるのだが、残念ながらその時間はなさそうだ。

★8月9日

8日(月) サーカス村会報作りに追われる一日。夕方、古い友人の大野さんに会う。大野さんは、サーカス学校の公演を最終日に見にきてくれ、翌日、わらべ工房の炭焼きを見学して、サーカス村での時間にかなり満足してくれた。その彼がサーカス学校図書室で見つけた安藤昌益の本とこれまた古い友人である岩佐祐さんが作った、大きなガラスの容器に入ったどんぐりや木の実の炭がはいったものをプレゼントしようと、彼にあったのだ。で、新宿ゴールデン街の沖縄料理の飲み屋さんに行く。オリオンビールの生ビールを飲んで、その後は泡盛をいただく。大野さんとあれこれ四方山話。9月キューバに行く話しをすると、キューバはソ連邦崩壊後、支援が無くなり、今や有機農法で、世界的に有名になっているとか。ではその有機農法の実情も見てこようと話し合う。京都の胡麻で、長い間有機農法をやっている、これまた古い友人で贋作さんのところに、一度、大野さんをお連れしなければと思う。それにしても、泡盛をガンガン飲んでしまった。この店、実は、やはり友人で、奄美出身の廣さんのなじみの店で、その廣さんが泡盛に一升瓶をキープしていて、それをご馳走になったしまったわけだ。
9日(火) サーカス村会報制作完了。今回は9ページにもなってしまった。明日から夏休みをとって、母親に会いに行こうと思っていたが、明日は映画の日にしようと思う。

★8月5日

4日(木) 朝8時30分、東村役場によって関口さんと話をしてから、東京に。ぎっくり腰を気にしながら走る。夜7時、シアターXに。ドイツの演出家(生まれはスイス)ヨッシ・ヴィーラー演出、日独共同創造演劇プロジェクトである「四谷怪談」ゲネリハを、辻君と見にいく。この共同制作について、いろいろな問題が噴出していると、シアターXの上田さんから伺っているので、さて、どんな感じかなと思いつつ、見る。なにしろ昨年、僕自身も「へいせいの伊右衛門」なる、創作ダンスを作っているので、その意味でも気になる作品である。
結論から言うと、がっかり。これは現代の日本の若者に向けた、「四谷怪談」解説版でしかないではないか。筋を追っているだけ。江戸時代の言葉と現代の言葉が入り交じり、しかも役者が台詞をいい一方でト書きを読むようなしゃべりだから、果たして観客は台詞をききとることができたかどうか。そんな台詞回しの意図不明。というよりも、もっとも大切な、テーマが不明。まさか、ぼくはこの程度、四谷怪談の筋を追い、それを整理してみたよ、とヨッシが言いたいわけでもあるまいに。観客が馬鹿にされているというか、観客は原作を読んでいないだろうから、まず、筋だけでも分からせればそれでいいんでないの、とかなんとか考えたかどうか知らないが、これがいいと思って作品作りに参加している人の気が知れないね。それに、びっくりしたのが、美術・装置。これは、昨年だったか、ベルリンで村上春樹の「アンダーグラウンド」を、オープン直前に地下鉄駅構内でやった時の、そのステージそっくりというか、その現場を舞台にのせただけジャン? 一体なぜ?四谷怪談を現代に置き換え、もっとも人の集まりところ。といって、それが新宿やら渋谷の歩行者天国でもあるまいから、地下鉄ホームにしたの?ベルリンで「アンダーグラウンド」を見ている人が、この装置を見たらなんと思うだろうか。ぼくは単純に、人の作品の装置をそっくりマネする演出家の脳味噌を疑ったね。それとも、あの作品にヨッシ噛んでいたのかな。美術の渡邊女史は噛んでいたというよりも、あの作品のプロディユース、演出、美術もやった人だから盗作にはならないだろうけど、納得いかないよね。どんな作品であれ、日本のものをやるなら、地下鉄駅がもっとも現代的なステージだと、ヨッシは考えているのだろうか。
2時間以上の大作と聞いていたが、1時間40分ほどで終わってしまったので、3週間ほどご無沙汰している、新宿ゴールデン街の”吾郎さんの店”に、東村の茗荷をもっていく。
5日(金) 一日がかりで、助成を受けた桐生行政事務所に提出する”サーカス村・夏のフェステイバル”の事業終了報告書を作る。今日はもう退散しょう、と。
明日から、いよいよ「俊寛」のメモつくりに入るぞ。

★8月3日

7月29日(金) サーカス村月例会。上島ご夫妻、安部保範さん、それに大野洋子さん、大須賀哉子さん、大森賢次君の6名。大島君はドイツ、辻君は北海道帰りで直帰。レポーターは僕でサーカス学校の4年間を語る。過ぎてきれば早いし、やっている時はヒーヒーだというのが実感だ。とにかく先は長いということを話す。今の若い人々は、実際のサーカスを実感を持って理解していないことに、僕はショックを受けたと語る。
30(土)・31(日) 家で家事、雑用。
8月1日(月) 昼過ぎ、ACCを出て、東村に。6時過ぎから関口さんと一杯飲みながら、今後のサーカス学校の方向について、あれこれ話す。ひとつは、前橋でも高崎でもいいから、県下の中心地に、サーカス学校の公演できる拠点を持ちたいということと、やはり県下の大学のどこかでサーカスの講座を作りたいと。本来なら大学に実技の訓練のできるサーカス科を作りたいのだが、これはなかなか実現できないだろうから、とりあえず、講座を開設しようというもの、サーカス拠点劇場とこの大学の講座との連動ができればということである。
2日(火) 一日、資料館で資料の整理。整理といっても、あちこちに散らばっている資料をまとめる作業だ。午後2時前に、桐生タイムスの佐藤記者来館。サーカス学校の4年間の感想を求められる。感無量ただしこれからを思うと道は遠い、5年、10年、いや100年だ、と。サーカス学校の4年間、そして将来については、サーカス村の会報にまとめるつもりだ。
3日(水) 昨日の朝もそうだったが、6時になると、なぜかいっせいにセミが鳴き始める。7時には終わってしまうのだが。資料を整理している時、椅子の回転に身体が残るような体勢になって、軽いぎっくり腰をやってしまう。東京から運んできた荷物が車に積みっぱなしになっているので、しまったと思う。昼過ぎ、学校に行き、28日(日)、世界マジック・シンポジウムにゲスト出演する森田君にあって、当日のきっかけ表を作る相談をする。馬来クン登場。練習をしているのは、この2名だ。森田君に手伝ってもらって、荷物を下ろす。ほっ!。

 
★7月28日

28日(木) 午後1時30分より都庁にて、本年度へブンアーティストの一次審査(ビデオ、書類などの審査)。橋本、上島両氏を約4時間の審査。アイディアはいいが、まだ大道芸になっていないものなどが目に付く。夜、家に帰ると小沢昭一先生から文春文庫『散りぎわの花』が贈られてきている。いつもいつもありがとうございます。島田雅彦編著の『おことば戦後皇室語録』(新潮社)を読み始める。なぜ、こんな本を読むか、不思議に思う人がいるかもしれない。これも戦後60年の諸問題を考えるためだ。その前に9月28日からシアターXで再演予定に花田清輝原作・白石征構成/演出の「泥棒論語  『土佐日記』のよるファンタジー}」の脚本を読んだが、再演で大きく改作はしていないようだ。この戯曲には藤原純平や平将門などが登場するので、いろいろと気になる。かれらはいわば権力にはむかった逆賊、兵を挙げることなく謀がばれて、島流しにあって、浄瑠璃の悲劇の主人公になった俊寛とはちがうが、その心やいかにである。
28日(金) 今日はサーカス文化の会解散後、サーカス村協会として行う第一回目の月例会だが、さて、人があつかるかどうか。

★7月27日

27日(火) 台風の合間を縫って、ナジェイジダ先生帰国(26日)、大島君(27日)ドイツへ。うまく台風をかわせたと思いきや、北海道ルスツで、ビックトップのテントは大丈夫だったが、控え室のテントが倒壊とかで、28日急遽、辻君北海道へ。洋子さんは27日夕方、無事、成田に到着。
夜7時からシアターXでIDTFの会議。課題の俊寛、みんなの意見を聞いているとますます難しくなる。8月中に、初稿をあげろ、とのお達し。うーん、まいったぞ。
朱川湊人著『花まんま』を読む。これも「へいせいの伊右衛門」以降、俊寛へと悩んでいる過程の読書。現代の妖怪というか、モノノケ、霊気を探してのこと。どこにどんなかたちの幽霊  やらあの世のものが登場するのかを探しているからだ。俊寛を、この世のどこに登場させたらいいかということでもある。

★7月26日

7月26日(火) 来年のシアターX・IDTF作品 仮題「へいせいの俊寛」のため、芥川龍之介「俊寛」、斉藤憐の戯曲「俊寛」を読む。芥川の「俊寛」は、俊寛のお側勤め・有王が鬼界が島に渡り、会った俊寛が琵琶法師の語る俊寛とは全く違った生活をしている様子を語るという作品だ。御赦免船が波間に消える姿に、「天に仰ぎ地に臥し、悲しみ給えどかひぞなき。、、、猶も舟の綱に取りつき、、、」うんぬんとあるのは、自分が帰りたいがためではなく、赦免を受けた成経が女房にした千鳥を島に残して去るのを怒り、船を引き戻すための行為であったという点がポイントになっていて、そのために新しい俊寛像を生みだしたという作品になっている。斉藤憐の戯曲にはさまざまな仕掛けが用意してある。ひとつは、京にもどり復讐する俊寛像だが、それとて一筋縄ではとらえきれない。俊寛らが鬼界が島に流されることになった鹿ヶ谷のはかりごとを清盛に密告させたのは、実は後白河法皇であり、この法皇が、民草に涙を流させるがために、作り出した物語、その主人公こそが俊寛であったという仕掛けも用意されている。天皇は滅びず、民草は作られ、語られる物語に涙し、生まれるはずもない英雄を待ちわびながら、貧しく額に汗して働くという、物語成立の謎解きとしては実に面白いが、民草の階層は相も変わらずというところが、なんとも辛い結末になっている。これらの作品のほかに、倉田百三に戯曲があり、菊池寛に短編小説があるようだ。また、斉藤憐の『俊寛』のあとがきでは、斉藤憐が「村松友視氏が発想された『俊寛のテーマ』を読んで、実際に「俊寛」を台本にするまで、、、」と書いているので、松村氏もなにか俊寛について書かれているのだろう。それら未読のものをどこまで読むかだが、『平家物語』、近松の『平家女護島』を読んで、あーでもないこーでもないと考えているうちに、そうだ俊寛を都に帰らせて、妖怪のフリをさせて、復讐させよう、有王を鬼界が島に残し、俊寛の身代わりにしようと思っていたが、それは斉藤憐によって既に書かれていたのだった。しかもこの作品が書かれたのは、1989年。上演されたのが、1990年1月から2月。パルコ劇場で、市川猿之助演出、平幹二郎、亡き太地喜和子が主役だったとある。う〜ん、これはどんな俊寛像を作り出せばよいのか。しかもダンスで。まあ、俊寛を都で妖怪として登場させるとして、その妖怪の心根をどのように描くかが問題だ。妖怪に心根などあるのかという問いもあるかも知れぬが、そうではなく妖怪とは心根そのものではないか。精神である。

★7月25日

24日(日) サーカス村より東京へ。3時過ぎにACC事務所に。大野さん、ちらりと事務所に寄ってくれる。大須賀さんは車を置きにいく。
6時、ナジェイジダ先生ととしまえんに。本日初日のとしまえん”空中大サーカス”を見にいく。今回は、ボエボダファミリーのロッシャンバー、マリアの空中ロープ、それにウクライナのクラウン・ボーリャ。ボーリャは、五人囃子でぼくらがウクライナにツアーに行った時、キエフのサーカス学校にいた生徒で、その時、なかなか才能のある生徒だなと思っていたのだが、その彼が今回のメンバーとして来日してくれたのはとても嬉しく、会うのが楽しみだった。彼のオリジナルであるゴムのパフォーマンスは磨きがかかっていて、楽しく見ることができた。もちろんナジェイジダ先生の生徒だが、驚いたことに、オスマンのワーリエーラが約20年ほど前、先生が教えたことのある生徒だったとのことで、先生とワーリエーラは日本でであったことにびっくり。僕らはそうした機会を与えられたこと、これまた嬉しいことだ。夜、みんなと会食する。久しぶりに自宅のベッドに潜りこむ。
25日(月) 9時30分、ACCに出社。雑用処理。特に問題なしとはいえ、時間は足りない。サーカス事典を作ろうという企画あり。その原稿のことを考えると、ぞっとする。個人のメールにサーカス学校の公演を見て感動した、山田さんのダンスも素晴らしかった、2日間、見にいけばよかったとあり、こちらも感動。
この公演については、村長の資料メモに記録する予定。まだ書き込めてはいないが。

★7月24日

21日(木) 卒業公演初日。32名と観客は期待していたよりも少なめ。しかしショーはそれなりのまとまりを見せてくれた。初日が開いてほっとした気分だが、ワークショップの段取りと公演との段取りを調整しなければならないのは、それなりに大変である。
22日(金) 観客は昨日とあまりかわらない。ショーは一段と良くなっている。親友の高須賀さんが息子の桂君をつれて、やってきてくれた。一泊してくれる。
23日(土) 観客は130名ほど。やはり休みに日に多いのか。この日は沢入に人々、生徒の家族、友人などが多数。ジャグパルの安部さん、TBS大野さん。三橋さんなど。大野さんは一泊。この日の夜は、青年研修センターで打上げ。サーカス学校の生徒とその家族、友人、ワークショップのメンバー、村の人など、総勢30ほど。
24日(日) 青年研修センター、資料館の後片付けをしる。大野さんはわらべ工房で炭の勉強。11時過ぎ、大須賀さんが秋田から転がしてきた車で、東京に。同乗者は、ナジェイジダ先生、大野さん。これをうちこんでいる今、ああ、今年の夏の大イベントを終了したぞという充足感。朝、日本テレビの”遠くへいきたい”を見る。初っ端な8分ほど、サーカス学校のシーン。これでサーカス学校に興味をもってくれる若者が出てくるといいのだが。朝7時30分、若者はまだ眠っているか。

★7月21日

18日(月) 社会体育館という東村の施設でワークショップ開始。サーカス学校の体育館(旧沢入小学校の体育館)よりもはるかに大きく、涼しいので、やり易い。マット以外に道具がないので、その点ではやりにくいところもあるが。
サーカス学校のほうはリハーサルを行う。山田さんにはサーカス学校の生徒の演技にうまく絡んで欲しいという、かなり難しいお願いをしているので、苦しんでいるが、彼女が登場してくれることで、ステージに奥行きができるし、サーカスの演技にも立体性が増す。今回は照明もないので、それだけに、山田さんは、ある意味では不可欠なのだ。難しいが、今回の試みで山田さんが何かを掴んでくれればと思う。僕としては、山田さんがステージに登場していることで、来年の俊寛のステージをも、視野にいれている試みなのだ。俊寛では、”不在の舞台”を狙っている。夜、名古屋のプレジャー企画の5人到着。ワークショップの10名が揃う。
19日(火) 社会体育館が休館なので、サーカス学校体育館でワークショップ。サーカス学校でトレーニング。学校公演との練習と合同になるので、いささか手狭な感は否めない。それにして、今年の東村は涼しいので助かっている。
20日(水) 社会体育館で午前中、ワークショップ。サーカス学校はリハーサル。明日が公演なので、生徒たちの一部はナーバスになっているが、一方では学園祭気分のものも。
学校だからそれもありとおもっているのだが、自分の演技を見せるのであるから、そんな気分では困る。ステージに立つ以上、そこは本物の世界でなくては困る。ただ好きでお芝居を行っているのとは違うのだ。3時から最後のリハーサルを行って、体育館の中を整理し、椅子を並べる。今回は、体育館の床の一部をステージに使用。客席を抜けるようにマットを敷いて、そこをトンボを切ったり、側転をしたりして生徒全員が登場するオープニング。普段、練習している一部を、お客さんに見てもらいたいからだ。木彫の古館さんが泊りがけでサーカス学校生徒のスケッチに。
21日(木) サーカス学校卒業公演初日。あいた。思うこと多々あり。技術があって表現という基本を今後、もっと徹底させなければならない。
山田さんは、置き物のリアリティを掴むのだと、ひとつ先に進んでいる。彼女の登場は、舞台の精霊なのだということを具体的なかたちとして掴みつつある。やはり素晴らしいダンサーだ。キエフ帰りの高村くんは今回は得意のボールではなく、デビル・スティクで参加しているが、うまくいかない。いつボールの戻るのか。自分で実感している欠点を早く克服して、ボールを投げるようにならなければならない。9月からサーカス学校にもどってくるとのこと。

★7月18日

14日(木)午前中は資料館。昼からサーカス学校へ。一応、大まか構成を行う。あとは、キエフから帰ってくる高村篤君とダンサーの山田いづみさんをどのように入れ込むかだ。2時から、東京新聞の取材あり。取材者がノンフィクション作家の橋本克彦氏で、同世代。しかも劇団発見の会で、演出志望だったということで、ぼくらはすぐ近くで活動していたことになる。いいかえれば、なにも言わなくともぼくの昔はすべて分かってしまうという気配であった。橋本氏も、「こういう場合は、かえって書くのが難しいですよ」一言。山田さん、5時すぎ、沢入駅に到着。
15日(金)午前中、サーカス学校で練習、午後通し稽古。4時過ぎにサンレイク草木に入って、”童謡を唄って楽しみまショー”の準備。5時スタートの大忙し。前橋市の勝沼町の老人会25名を相手に、山田さんは頭の体操をやったり、おしゃべりで大奮闘。5時40分には、地元東村の保育園の年長組20数名が入ってきて、老人会と一緒に手話をしたり、一緒に歌ったり。最後は皆一緒に輪になって、”籠のなかの鳥”を唄い、遊ぶ。この催しは、童謡を使ってなにかできないか、童謡をぼくなりに考えてみたい、その一環としての企画。今回の成功はいろいろな意味で、今後に役立てそうだ。夜、サンレイクに泊めてもらうことになっていたので、したたか飲む。
16日(土)沢入駅前の”あじさい祭”に参加。智春、アコプー、直、英祐、さやか、七奈、馬来はギター演奏で参加。先生はこの大道芸を見て、馬来のギター演奏は気にいらなかったようだ。なぜ、サーカス学校の生徒がアクロバットをしないのか、と。この日、山田さんに手伝ってもらい、ワークショップの買出し、哉ちゃん、秋田から車で入る。こうじさんも車で来村。洋子さんは、夕方、沢入駅に到着。昨夜の飲みすぎで余り飲めず。
17日(日)この日も”あじさい祭”。メンバーは一部変わって、ひろみ、ヨシ、まさし、一馬、さやか、七奈。英祐、ともはプール開きでジャグリング披露。ワークショップに参加する、真理ちゃん(中3)、常連の吉田亜希子ちゃん、それにモスクワでピアノを学んでいる上野朱音さんら次々と訪れる。明日は男性2名。その後は、名古屋のプレジャー企画のメンバー5人来る予定だ。今回は総勢10名。やはりこのくらいの人数の方が、食事など世話するぼくらにとっては望ましい。

★7月14日

11日(月)事務所で雑用。シアターXに、来年のIDTFの創作プロジェクトのコンセプトを書いて送る。
12日(火) 午前中、シアターXへ。来年のIDTFの創作プロジェクト、作品コンセプトについて、もう少し詳しくとの意見をいただく。
1時、としまえんへ。夏におこなうショーの吊りロープのためのトラスの組建てを見る。地面にアンカーを打てないので、トラスの基底部に鉄板を敷き、それを溶接し、その鉄板にトラスが動かないように止めの爪を取り付けるという方法で、立ち上げていた。プロの方々が行っているので、大丈夫にちがいないが、地面が水平でないところに、鉄板を敷き溶接しているので、鉄板にかかる負荷が均等に分割されないのではないか、それに対応する構造になっているか、少しばかり不安は残る。それよりは、舞台内に入るところに街灯が一本立っている。それを外してトラスを場所を設定できなかったのか、疑問が生じる。事務所に戻り、サーカス村にもどる準備。今期終了までいることになる、7月24日まで。
13日(水)9時、関口さんと打合せ。その後、サーカス学校へ。寝坊組はアコプーとさやか。午後、サンレイク草木で、15日の"童謡を楽しみまショー”と17日のプール開きの打合せ。その後、学校で、公演で行う各自の演目を見る。明日は全体の構成を考えながら、もういちど各自の演目を見ることにする。

★7月11日

9日(土) 夕方7時、シアターXに。来年のIDTFの打合せ。僕としては、俊寛のイメージを固めなければならないのだが、アイディアが浮かばない。泣きべその俊寛ではない俊寛像を、と思っているのだが、これをどのように踊ればいいのだが。うーん、頭が痛い。
10日(日) 一日、家にいて資料整理。俊寛のことばかり考えている。
11日(月) 出社。安部さんから「ジャグパル28号」が届く。芸人まこととしゅうちょうのインタビュー。元気な二人の姿が浮かんでくる記事だ。洋子さんは、昨日、上島さんらの浅草雑芸探検隊を見にいく。相当に面白かったようだ。

★7月9日

7月1日(金)ACCで雑用を片付け、夜はplanBへ、第5回フールBを覗く。
今回はプログラムA,Bに分かれていて、この日はプログラムBで出演者は、安西はぢめ、ふくろこうじ、VJコミックカットそれに村田朋未の4名。安西君はおしゃべり、こうじは傾いた椅子に固執、VJコミックは破壊的映像、村田君はサディステック・エロティシズムの世界といった作品。公演後、雑談。その後、うどん屋へ何人かでいく。
夜食の腹ごなしに、中野富士見町から和泉まで歩く。約一時間。いい腹ごなしになる。
7月2日(土)明大前から事務所に。車を動かし再び明大前に。草風館から頂いた韓国関係の文献を車に積んで、サーカス村に。明大前にある資料、本など、すべてサーカス村に運ぼうとしているのだ。今日は、資料館ですこしのんびりした時間を過ごす。
7月3日(日)資料をサーカス学校に。そのほか、草むしり。4時、童謡館に。
5月から開催していたポコ舞踊団の楽日なので、その片付け。7時、木村元・洋子さんご夫妻、ナージャ先生,フクちゃんと資料館にて食事。ポコ舞踊団の打上げといった感じ。予定では、ポコ舞踊団の後、ディミトリーの絵画展を催す予定だったが、いささか村の教育委員会と意見が異なり、これは中止。だが他の催しを行うのではないので、童謡館ホールはアキ状態になってしまう。
7月4日(月) 朝7時前に出て、高崎の入国管理事務所にナージャ先生を連れて行く。在留資格更新と一時帰国の手続き。朝9時に間に合うつもりだったが、9時10分に。22番目。で、2時間待つ。
午後学校に顔を出す。後は、15日の国民宿舎サンレイク草木で行う”童謡を楽しみまショー”で使う予定の下敷き50枚を、ボール紙を切って作る。
7月5日(火)朝、サーカス学校に。その後、役場へ、関口さんと打合せ。午後、電話をADSLにするか、業者さんに来てもらって話をする。3時半、サーカス村を出て、東京に。
7月6日(水)朝、ACC打合せ。明日から辻君は北海道へ。ルスツの空中大サーカスのアーティストの来日、その仕込みと、ACCは夏モードへ。
7月7日(木)一日がかりで、サーカス村会報作り。来年のフール祭に呼べないかと、洋子さんが進めるドイツの仮面劇”テアトロ デルシオ”のDVDを見る。これが実に面白い。ジャック・ルコックの『詩を生む身体』に書かれている仮面をつかうとどのように人々が動くか、それが見事に演じられている。フール祭に呼べたら素晴らしいのだが、ギャラ、荷物800kgでは、ちょっと、手が出ない。どこかにプレゼンしようと考える。ノーラ・レイの”ナポレオンの撤退”のビデオを見る。悪くないのだが、やはり、次回は、新しい人を呼びたいと思うのだが、あるいはノーラを呼ぶようになるかもしれない。

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