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村長日誌(2006年1,2,3月)
★3月27日

朝キューバ大使館で、団長と待ち合わせ。大使館の人といろいろ話をする。団長がACCの仕事振りを褒めてくれたので、ある意味、多少は今後の仕事がやりやすくなるのではないかと思うが、といっても、キューバの仕事のやり方というか、向こうで政府の許可を取るのはやはり時間がかかるだろう。
 大使館の後、今回、キューバでも日本でもお世話になった旅行会社のボデーギータへ行き、御礼を。清野社長のお会いする。ここでもいろいろと雑談。
 昼食を取った後、団長を連れて、皇居前観光。ACC事務所へ。団長は今日の夜、キューバに戻る。送りを大島君に頼み、ぼくは夜、田中穣さんにお会いする。ジュテに行き、映画「死者の書」のチケットの精算をする。

★3月23日

18日(土) 平家練習。

19日(日) リトルへ。キューバサーカスの公演が昨日から始まっている。今日は公演後、歓迎会。

20日(月) 京都へ、キューバサーカスの団長を連れて移動。京都駅で友人の大野さん、山田さんとドッキング。福知山線・胡麻駅に。駅に贋作、娘の綾さんが迎えに来てくれる。贋作の農場へ。農場で働いている人々と、庭で昼食。その後、日吉町のダム近くに出来ている、温泉に入り、日吉町営の山の家旅館に。しこたま飲む。団長にとっては、なにもかもビックリではなかったか。

21日(火) 宿の朝食8時。その後、贋作さんに送ってもらい、日吉の駅に。贋作と団長のお別れ。大野さんとは京都駅で別れ、団長と山田さんを駅前の新阪急ホテルに。荷物を預け、団長希望の京都議定書を調印した国際会議場に地下鉄で向かう。何の催しも行なっていないので、建物はクローズ。しかし団長はえらく気に入ったようで、あちこちで写真をとれとご要望。その後、寂光院へ、タクシーで。これが結構遠くて2,500円近くかかってしまった。寂光院は団長に見せたいというよりもぼくの見たかった。安徳天皇の母親(あえて国母という言い方はしたくない)である建礼門が尼となり、平家一門の供養にこもった寺である。5年ほど前だったか放火で焼けてしまい、今は真新しくて、いかにも作り物の感じだが、とにかく見ておきたかった。平家物語の灌頂の巻。でも大菩薩峠の20巻目にでてくる、君の悪い、色気たっぷりの尼が、この灌頂の校合を行なっているというシーンで、そこから覗き見的に、この寂光院を見て、フムフムと想う。寂光院から素早く戻り、ホテルへ。ホテルのテレビをつけると、対キューバ戦6回裏。楽しみました。なにしろキューバのサーカスの団長と一緒に見たのだから。キューバ戦終了。山田さん、団長と遅い昼食を済ませて、新幹線に飛び乗り、ぼく一人東京に。東京で人に会わなければならないので。

22日(水) ACC事務所に9時。雑用を整理して、埼玉の”いきいき埼玉”という県民活動センターに。新宿から埼京線に乗って大宮に。大宮からニューシャトルというリ二アカーで、内宿まで。ここは上尾市になるのだろうか。内宿駅周辺は、すっかり開発されて住宅が軒を連ねている。しかし駅周辺にはまるでお店もなく、人もあまり歩いていない。なにか不思議なといっても感動はない町。これが成長した日本のある姿と思うと、なにやら哀しくなる。駅で待つこと10分。フクちゃん到着。で、活動センターに。ここで5月5日、フクちゃん、晶子、直、智博、さやかが”ミニ・サーカスショー”の公演を行うことになっているので、その下見である。下見を終え、国道17号線沿いの四川の辛〜いラーメンを食べて、サーカス学校に戻る。しょうちょうが来ている。智春が3月30日に引越しなので荷物整理に。5時過ぎ、資料館に。今日は禁酒。そばを茹でて喰らう。11時過ぎに布団にもぐりこむ。本1ページで、寝る。

23日(木) 朝6時起き。昨夜からの雨は上がっていた。6時起きは、今日は資源ごみと粗大ごみの収集日なので、ごみのケージがあるところまで、ごみを運ばんがため。8時30分、役場に行き、関口事務局長の作ってくれた、冬休み中のみんなの光熱費、家賃表を経理の方から受取って、サーカス学校に。学校で、運び込んだポスターケースのポスターを少し整理して、体育館に。だいぶ生徒たちが集まって来ている。事務伝言、その他で、12時過ぎ体育館を出て、大間々に。フクちゃんが送ってくれる。大間々のセキチュウという郊外の資材も売っているショッピングセンターに。新しく来る先生のため、とにかくまな板と包丁、それにトイレットペーパーなどを購入。いろいろなものを揃えなければならないが、できるだけ使えるものは使ってもらうとして、包丁とまな板は新しくないと、とこれはぼくが思っているだけかもしれないが。2時7分の両毛号で東京に。今夜、札幌から人が出てきているので会わなければならない。事務所に帰ると、安部ちゃんからお願いしていたジャグリングのぺーパー資料が届いていた。安部ちゃんありがとう。

 
★3月17日

15日(水) サーカス学校5年目後期の授業はじまる。いわば始業式の日なのに、集まりが悪い。バイトなどのためこの日に間に合わない生徒がいるのは仕方ないとしても、いささか自分勝手すぎる。来期からは、きちんとしない生徒の退学も考えようかと思う。
16日(木) クラシックバレイを教えていただける南城ひとみ先生が11時過ぎに来てくれる。実際の指導は4月からとして、とリあえず様子を見に来てくれたのだ。空中モノの先生も4月3日来日予定なので、先生陣はここにきて一段と充実することになる。それだけに金銭的にはかなり厳しくなるがなんとかこれまで以上に指導力を強化して、サーカス学校そのものをワンランク向上させたいと願うところである。16時サーカス村を出て、東京に。
17日(金) ACCの事務所の出て雑用を処理。午後シアターXへ行き、ダンスの日程表を渡し、上田さんにはナージャ先生が持ってきてくださいった蜂蜜のおすそ分け。そのあと、市ヶ谷の山脇ギャラリーで開催中の愛知江南短期大学・河勝教授の”日本のマジック・サーカス展”を見に行く。どちらかといえば、マジックの資料が多いのだが、それでもサーカスの錦絵もかなり飾ってあり、楽しく見ることができた。河合教授に会いたかったのだが、残念ながら会場にはお見えになっていらっしゃらなかった。
ついに『大菩薩峠』20巻を読了。いや、面白かったというか、勉強になった。20巻目には平家物語を校合している、怪しげな尼僧も出てくるし、その直前には自分の身体を鍋でぐつぐつ煮て食うという老婆も出てくる。それらは、今年のシアターX・IDTF”の実行委員会制作の『平家女護島』と『五人の妖精』(実は5人の鬼婆)となぜか合致するというめぐり合わせ。どうやら『大菩薩峠』を、ぼくは手放せなくなりそうである。この小説に出てくる、軽業の話などは、このホームページの資料コーナーの資料メモに書き抜いてあるので、お閑な方は目を通してみてください。
で、今日は7時からダンスの稽古の予定だったが、怪我する人、風邪引く人、花粉症でダウンする人など続出で、今日は中止。このところ、サーカス学校が始まったり、この日曜日にはリトルに行かなければならないし、その後、京都、東京に戻って埼玉からサーカス学校へと休む閑がないので、ぼくとしてはほっとしている。

★3月9日

フール祭の余韻が続いている。雑用をかたずけながら、あれこれ思い出したり。PM4:30シアターXにでかけ、今度は9月のIDTFの打合せ。その後、間宮さんがシアターXを止められるということで、その送別会。新たに入られた大久保さんの歓迎会。少しばかり風邪気味、呑んで直してやれという不遜な気持ち。
今日、昼過ぎ、フール祭に元気いいぞうさんを登場させてのはいかなる理由かという電話あり。電話を取った辻君が丁寧に応対してくれた。とにかく、相当な物議をかもしているというか、まあ、否定的な印象をもたれた方がかなりいるようである。俗悪であれ悪趣味であれ、はたまた非常識であれ、元気いいぞうさんの過激なステージをぼくは応援したい。彼のステージは感性が摩滅し個性を剥ぎ取られている人々を烈しく打つまでになっていないだけに、そのショーはむしろ醜悪であるという意見もあるが、そのような印象を与えていることも含めて、ぼくは彼の反社会的なステージに拍手を送りたいと思う。
   送別・歓迎会でしこたま呑む。

★3月8日

5日(日) フール祭最終日。サーカス学校の生徒、一部、ボロボロ。アンケートなどでは評判がいいが、ぼくは納得できず。なぜ、同じ失敗をするのか。大道芸ではないので、失敗して、言葉で逃げることはできない。ステージに立つ気持ちに弱さがあるのではないか。それが克服できなければ、サーカスのリングは程遠いといわざるを得ない。打上げ、なんと40人以上が参加。最後まで付き合わず、途中で抜ける。それでも渋谷から最終の中央林間行きとってしまった。
6日(月) 昨日の打上げに最後まで付き合わなかったのは、実は今日は病院行き。血液検査。高脂血症で、なにしろ中性脂肪がやたらに高い。酒を押さえて食事を減らして努力しているつもりだが、あまりいい結果がでない。
7日(火) 雑用の一日。8時過ぎに事務所を出て寄り道せず、帰宅。 

★3月1日

2月18日から25日まで、キューバ。いろいろありすぎて、まとまらないまま、27日には、フール祭リハーサルに突入。
1日(水) フール祭初日。オムニバスPという、クラウン・パントマイムアーティストのショー。写真をとり。ビデオを回すという役割でクタクタ。ほぼ150名ほどの入場者があり、まずまずの滑り出し。内容については追ってレポートしようと思う。全体としてはなかなかいいまとまりなのだが、不満というか、一つ一つの作品については、もっとこなして欲しいと思うところも多々ある。
久しぶりに胃が痛くなった。それだけ神経を使っていたということで、いいことなのだが。

★2月17日

13日(月) 苗場へ打ち合わせに。雪はものすごい量で、なんでも正月の花火大会が雪崩の危険があるとかで中止になったとか。道路の両脇は雪の壁。でもこの日はやたらに暖かく、暖房は切れないので、時どき、窓を開けてやっと寝る始末。
14日(火) 苗場から戻り、まっすぐ帰宅。
15日(水) この日も打合せで、シアターXのミーティングは欠席。夜、ギフトショーに見えていたリトルの方々と呑む。
16日(木) 午前中、赤坂プリンスで打合せ。その後、シアターXで、舞監の清水さんらと打合せ。一度事務所にもどり、メールチェック。紀伊国屋で『大菩薩峠』17,18,19巻購入。その後プランBに。フール祭、ネタ見せ。一つ一つではなく、全体の構成を考えて欲しいと提案。
17日(金) 札幌の齊藤さん、雑技の工藤さんにそれぞれ情報を送る。明日からの海外出張の準備。3時過ぎ、高須賀さんと打合せ。4時過ぎ、東京駅で橋本君に会い、夜はケイさんのスタジオで『平家女護島』の稽古。

★2月12日

7日(火) サーカス村月例会。レポーター大島君。カザフスタンとインド報告。
8日(水) 14:00から、プランBで、フール祭・ネタみせの2回目。
9日(木) 赤城へトンボ帰りで、電車で行く。3月から来てくれるかもしれないクラシックバレエの先生との打合せ。本来ならば、そのままサーカス村に入ればいいのだが、急遽、夕方から外せない打合せが入ってしまった。
10日(金) 11時、ACCの事務所をでて、サーカス村に。久しぶりである。
11日(土) 事務局長関口さんの長女真澄さんの結婚式に参加。サーカス村に戻ってから、地元の人に誘われて飲みなおし。飲みすぎ。
12日(日) 昼過ぎサーカス村を出て、東京に。

★2月6日

30日(月) 14:00 水町クリニックへ。中性脂肪400台に。200台まで落とせるか。そのためには酒を押さえるしかないようだ。にもかかわらず、夜、元気いいぞうさんに会い、呑む。明日も高須賀さんらに会うので呑んでしまうだろう。
31日(火) 19:00、吉祥寺で、高須賀さん、ゆうさん、司、明子、みどりに会う。なんとなく新年会。高須賀さんの事務所に泊めてもらう。彼が装丁した本の山。
1日(水) 15:00からプランBで、フール祭に第一回打合せ。雨が冷たい。
2日(木) オフィスで仕事。
3日(金) 9:30、東京駅からキューバ大使館へ。ビザを取りに行く。17:00から『平家女護島』の稽古だったが、集まりがよくないので中止。今日で3日間禁酒している。何年振りだろう。
4日(土) 13:00より、ケイ・タケイさんのスタジオで『平家女護島』の練習。清盛役のエムザブロサー、常盤御前訳の面さん、千鳥役の佐藤さんら、6名の稽古。なかなか楽しい稽古が出来た。シーンをどのように組み立てればいいか、イメージもわく。19:00帰宅。

★1月27日

23日(月) フール祭実施のメール作業。夜、祖父江さんに紹介していただ いて、布も詳しい尾島さんという方のお店に。
24日(火) キューバ行きの打合せ。夜、フール祭の宣伝。「死者の書」の チケット売り。
25日(水) 17:00TBSに行き、ある作品のプレゼン。その後、渋谷でテームの寺田、高瀬、鈴木氏らに会い、新年会ではないが飲む。フール祭の宣伝を頼むのが目的だったが寺田さんとは本年はなにか一本やろうよという話になってしまった。富士ロックで使っているテントの話をする。
26日(木) 13:00シアターXで、IDTF”5人の妖精”及び全体の打合せ。一度、事務所にもどり、その後、中野富士見町”プランB”に。山本光洋ソロライブの2回目を見る。昨年11月に1回目を行い、3回目は4月5日の予定。この企画は、山本光洋さん本人の企画、チャレンジで、自身の新しいパントマイム表現の地平を切り開こうというもので、極めて意欲的な活動といえる。ということは、お客のほうも、シビアにというか彼の試みに真剣に付き合ってあげるべきだろう。今回の作品もいわばエチュードの積上げという構成になっており、その中に新旧の作品が羅列されているというもの。まだ、その羅列というか構成については、最終的な形が決まっているわけではなく、観客の反応などを見ながら模索しているという状況と見たが、いままでの彼の作品作りからちょっとずれている方向が現れているようで、そこに注目していきたいと思った。というのは、彼は観客の目線というか反応に相当敏感なタイプで、観客のその場での反応に自分のその時の演技でなにかを返せないことに苛立ちを覚えるのだが、今回終盤に老人を扱った作品を並べて、劇場全体が重くなる感じにあえて取り組んでいたのだ。
彼自身、老人を扱ったもので一本作りたいと語っていたので、そこに彼の新しい作品の地平が覗いていると思うのだが、それは同時にエチュード一つ一つの観客の反応だけを大切にするのではなく、1時間なら1時間、1時間半なら1時間半の全体を通しての観客の反応、言い換えれば、彼自身のメッセージをこめようとする姿勢が彼の中に生まれているのではないかということだ。もちろん、彼のことなので、一つ一つの作品での客の反応を大切にするというか、そのことはそのことで大いに気にするだろうと思うが、この新しい芽というか彼の志向性に、ぼくは注目していきたいと思うし、それがこれまでの光洋ワールドは違う匂いのするものになってくれることを大いに期待したいのである。その他、金魚を動かすエチュード、水のイメージなど、いろいろな試みも面白い。

★1月23日

21日(土) インド行きをあきらめ、朝、目を覚ますとあたり一面雪。これはやばかったなと思っていると、案の定というか、大島君は成田で一泊しなければならない憂き目にあってしまった。ぼくは終日、資料整理。
22日(日) 雪かき。といっても家の屋根の雪を下ろすのではなく、自宅前の道路が凍りつかないように、そのあたりの雪を払うだけだ。後はやはり資料整理。今年は、なんとしてでも色々たまっている資料を整理しなければならない。『大菩薩峠』6巻目にはいる。 

★1月19日

11月19日(木) 21日から予定していたインド行きをあきらめる。ヒンズー・ロープを見にいく予定だったが、フール祭に準備が間に合わないので、今回は見送ることに。で、とりあえず、あの人この人にあってフール祭のPR。今回は、”笑うからだとわらう音楽”というタイトルで、イタリアの曲弾きトリオ”ジャスガロンスキー・ブラザーズ”に加えて、日本人の”変な音楽モノ”を演じてくれるパフォーマンスを集めていること、その日本人のショーにサーカス学校の生徒のパフォーマンスをかませるという仕組みなので、その構成をつくらなければならないということもある。フール祭の直前にはキューバに行かなければならないので、その前に、仕事を片付けなくちゃ。

★1月16日

今年は冬休みが長かったせいか、相変わらず冬休み気分。仕事はあれこれというか、先日も東村へ行き、12日(木)は、大間々警察で免許書き換えの講習を受けたりと、まあ、時間は過ぎてゆき、なにかはしているものの、ピリッとしない。ピリッとしないほうがいいのかもしれないが。東村、雪はほとんどないけど、寒さは相当なもの。陽のあたらないところは見事に凍結していた。
今週末からは、大島君とインド行き。ヒンズーロープを見てこようという話。他にもなにか面白いものに出会えるといいのだが。インドにはいったことがないので、一度は行っておこうという気持ちもある。先週火曜日(10日)だったか、中国は石家庄市のトンさんから電話をもらい、久しぶりにあれこれ雑談。中国もここ3年ぐらいいっていない。今年は一度、出かけてみようかという気持ちがないではないが、もうひとつ自分なりに乗りが悪い。中国雑技が中国の人々の生活感から離れてしまっているように感じるからか。日中のギクシャクした関係のせいかははっきりしないが、なぜか、中国へいってもあまり楽しい気がしないのである。きちんした中国雑技の日本公演がこのところないのも、気になるところなのだが。

★1月8日

7日(土) ACCに出社。 メールに問山さんがなくなったとの情報。え!という驚きとショック。ぼんやりと年賀状などの整理。PM2:00 シアターXで、『平家女護島』に顔合わせ。ダンサー諸氏ほぼ全員揃う。エムザブロー、若松美黄両先生も。いろいろ注文がでる。衣装音楽が早く欲しいとのこと。これはぼくにとっては大問題。イメージだけでも早く出さなければならない。
今日8日は、一日、自宅でサーカス事典の資料勉強。

★1月7日

5日(木) 明けましておめでとうございます。暮れ、30日シアターXで、第7回IDTFで上演予定の「現代浄瑠璃・平家女護島」のメンバーにお会いし打ち合わせ。その後、シアターX忘年会に参加して、帰宅。それから4日まで自宅に。31日から3日まで、ひたすらカード作り。『中国芸能史』のカード作りを終える。『サーカス事典』を作るための準備で、技の解説がぼくの役割。そのベースを作らなければならず、とにかく、技の整理をしなければならない。この一冊と『中国新文芸体系・雑技編』をすり合わせなければならない。その後は、英語の事典。さらにロシア語、ドイツ語、そしてできればフランス語と。どこまでできるやら。
4日(水) 昼からACCの事務所にでて、新聞、賀状を整理。今日から5,6日間、海外旅行の大野洋子・大須賀哉子両嬢、成田から電話をくれる。楽しんできてねという気分。そういえば新婚旅行の辻君は、今はスペインかな。ぼくはとにかくお勉強の正月。

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