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村長日誌(2006年7,8,9月)
★9月28日

9月15日(金) 15:30成田発・デルタ航空でアトランタへ。7時間のトランジット時間を空港で過ごし、22:03アトランタ発で、チリ・サンティアゴへ。大野洋子さんとジーノ・ファルファン同行。

16日(土) 朝7:30サンティアゴ着。空港にはジーノの友達でチリのサーカス・ファン、ホセさんが出迎えてくれる。ホテルに。この日、まず、ジーノの友人で、彼と一緒にポップサーカスで働いていたヘルマンがおじさんさんとはじめたというゴールデン・サーカスへ。ヘルマンと結婚している圭子さんがポップコーンを売っている。という訳で、この日から帰国まで8本のチリのサーカスとフランスのジャンポールの”ジャルダン(庭)”という作品を見る(22日)。このチリ日記はおって詳しく書こう。

24日(日) 13:25成田着。到着して海外で使える携帯を空港のドコモに返却して、日本の携帯に切り替えると、留守電が2本。そこに僕らの親友中の親友、星野正弘君が、今朝、サウナで不慮の死を遂げたという連絡が入ってる。仰天して事務所に行き、奥さんに連絡。本人がこれから葬儀社に行くというので、荷物を事務所にほうりだして、僕も葬儀社に。

25日(月) 新大久保の全龍寺・蓮華洞で通夜。通夜の始まる直前、沖縄のキジムナーフェスタの下山さんから連絡。カンボジアサーカスを来年のキジムナーフェスタに入れてくれるという話。なぜかこの決定、きっと星野の置き土産という気がしてしまう。来年の夏休み、星野に舞監をやってもらい、カンボジアサーカスツアーをしたかったと思うと、なんとも。通夜の後、昔からの星野の友人らと飲む。途中から記憶なし。

26日(火) 4時過ぎ、衣装デザイナ柴田さんに同乗してもらい、サーカス村に。

27日(水) 柴田さんを連れて、サーカス学校に。19日から6年目の授業は始まっているのだが、ぼくはやっとこれたという感じ。初日は関口事務局長に開校してもらったので、なんの心配もなかったのだが、やはり、みんなの顔を見ないと安心できない。大阪のエンタフェスタで優勝したJa・るーかの上坂君、堀口さんにお祝い。香山さん、高村君の衣装の打合せ。夜は関口さんといろいろ話しをする。


★9月13日

10日(日) 昼過ぎ、シアターXに車で行き、荷物を引き取る。

11日(月)へブンアーティスト実技審査初日。曇り空で気温も高くなく、助かる。サーカス学校から、この日は斉藤英祐と森田智博が参加。明日は香山啓が参加する。

12日(火)へブンアーティスト実技審査2日目。朝からこぬか雨。審査終了後、三雲氏らと痛飲。始発間際まで。来年3月のシアターXの公演について色々話をする。一週間、彼と、シアターXにずっといてもらう、なにかをやり続けているパフォーマンスが成立しないかを考えようと相談する。

13日(水)お昼に出社。昨夜は明大前泊。今朝9時30分に起きたのだが、洗濯をして、出社が遅れた。


★9月8日

8日(土)  朝9時30分出社。ダンスは今日が楽日。客入りもまあまあで、ほっとしているところ。反応はいろいろ。ダンスの専門家には割合受けがいいのだが、そうではない人が首を傾げたり、と。その意味では、もう少し楽しめる作品作りをしなければいけないな、と思う。来年3月には、新作ダンスをつくろうと思うので、その時は、もう少し、楽しめるものを作れればと思う。といっても、ダンサー自身に客に楽しんでもらうという感覚があまりないので難しい課題だが。明日は、後片付けに追われることだろう。


★9月7日

5日(火) 舞台稽古2日目。舞台監督、スタッフの方々に、差し入れの変わりに、昼食用にしょうが焼きを作る。好評!!

6日(水) ついに”へいせいの田楽 平家女護島 をかぶく”初日。ドキドキだったが、お客の反応が上々でほっとする。前回のIDTFでは四谷怪談、今回は平家女護島と、古典名作シリーズというか、畏れ多い作品にチャレンジさせてもらって、嬉しいやらきつかったり。ここまできたら、やるっきゃないと、次回上田秋成の『雨月物語』にぶっかったれと思ったり。いや、評判のいいこのあたりで、名作シリーズから逃げ出すべきかと悩んだり。

7日(木) 今日は、昼公演。客足を心配したが、100名近い入場で、これはいささか驚き。なにしろ、吉田美黄、エムザブロウ両先生が出演されているので、ファンも多いようだ。事務所にもどり、桐生タイムスの原稿に、『平家女護島』のことを書く。


★9月5日

1日(金) リトルワールド、トンボ帰り。来年のサーカスのプレゼン。

2日(土) ダンスの稽古。

3日(日) ダンスの稽古。バンクーバーでホームステーにいっていた娘が帰国。バンクーバーで飛行機のトラブルがあって、なんと関空経由羽田着となってしまった。でも、とにかく無事帰国。いろいろ学ぶことがあったらしい。特にむこうの英語語学校には、いろいろな国の人々が、しかも既に仕事をもっていて、なおかつ英語の勉強にきているという、積極的な姿勢に刺激されたらしい。

4日(月)  『平家女護島』の舞台稽古、始まる。11時に劇場入り。照明シュートチェック。 シアターXの清水さん、福村さんらの準備着々で、なにも言うことなし。昼過ぎからダンサーが入ってくる。問題はあるが、一応、自分なりに納得して解散。それにしても、わがままというか、怠け者というかダメな者はダメだよな。


★8月30日

30日(水) 今日は封筒に佐川急便のシール貼り。フェリア・ミュジカのDM発送を今から準備しなければ、時間が足りなくなるに決まっているので。その他、雑用で一日つぶれる。今日は、本年のサーカス学校の発表会を、みどり市(東村がいくつかの市町村と合併して新しく出来た市)の文化会館パルでできないか。それについては、みどり市の小学生を招待するかたちで、会館経費をただにしてもらうという仕組みを、市あるいは教育委員会に提案してもらいたいと、関口さんに。今日はカンボジアサーカスツアー、福岡の友人に資料を送る。広島、大阪などはいまのところ、窓口が見当たらず。


★8月29日

29日(火) 朝、逗子の実家に。母親が一気に両目の白内障の手術を、先週行なったので、その後いかがかなとお見舞いに行く。葉山あたりの海岸に海水浴客はほとんど見当たらず、ああ、海に入りたいなと思いつつ、その時間がないよなと海を見ている自分の目がぼんやりしているなと思ったり。午前中、実家にいて、午後からACCに出社。4時から来年1月に公演するベルギーのヌーヴォーシルク”フェリア・ミュジカの打合せ。とにかく制作費・ギャラに経費がかかるので、頑張ってチケット販売をしなければならない。
札幌大道芸フェスティバル”だい・どん。でん”の沢入国際サーカス学校として出演するので、(フクちゃん、Ja・るーか、エイスケ)、その契約。
昨日28日、シアターXで、人形劇団ひとみ座の人形+仮面劇「水と砂それぞれの物語」を見る。「かっぱのめだま」と「ハイエナ」の2作。両方とも小品だが、コンセプトがしっかりしているし、人形だと人が演じるよりも、そのコンセプトが明確に伝わる作品もあるのだなと感じた。その後、平家に出演する岡庭秀之さんの森下町のスタジオで写真展をやるというので、見にいく。時間が早かったので、岡庭氏には会えなかったが、なんと昔「週刊新潮」のフリーカメラマンをやっていた大洞君に会う。なんとその写真展のカメラマンの一人が彼であった。


★8月28日

26日(土) 昨日25日、沖縄から上京していた下山さん、今さんにお会いすることができた。カンボジアNGO組織PPSのサーカス学校公演ができないか、キジムナーフェスタにぜひ、とお願いする。なんとか、参加させてもらわないと、後の計画が立たない。吾郎さんの店で少し飲む。
午後ダンスの稽古。夜はシアターXで、IDTF2夜目、松浦昭洋君のジャグリング、武藤容子さんのダンス、ポーランドの演劇などを見る。ポーランドン作品はなるほどなという感じ。というのは、演じる演劇ではなく、語りかけるもの。といっても一人芝居ではない。武藤さんのダンスはコンテンポラリー系のもの。
いくつか面白い動きが見られた。松浦君のジャグリングは、円形のプラスティックの筒をつかったもので、美しく見れたが、技だけでは、その技を使って何を表現したいか、さらなる進化を期待したい。

27日(日) 午後ダンスの稽古。やって見えてきたかな。これから細部を詰めていきたい。


★8月24日

24日(木)  朝6時前、南林間の自宅を出て、サーカス村に。11時過ぎに到着。よし、やるぞと草むしりを開始。夕方5時過ぎまでむしっていたら、ぐたぐたになる。シャーを浴びてビール缶を開けて、ソファに腰掛けていたら、居眠り。7時、関口さんに起される。つまみを作って飲み始めたところにフクちゃん。来年3月、シアターXでの公演は、10日(土)の夜に決定と話をする。フクちゃん、台本のメモを持参。やる気でいるようだ。これからが大変だが。

25日(金) 13時、東京に戻る。「平家女護島」の照明プランを作る。今日はキジムナー実行委員会の下山さんと今さんにこれからお会いする予定。


★8月23日

23日(水) 雑用の山、雑用の山で、あへあへいいながら、仕事。

「女性自身」9月25日号(現在発売中)シリーズ人間で、サーカス学校、小生のことが派手に掲載されているので、読んでください。

午後2時過ぎ、慈恵医大に。おふくろの白内障の手術に立会い。89歳と高齢なので、手術そのものが怖いらしい。明日はサーカス村に。とんぼ返りになるかもしれなし、一晩泊まれるかもしれない。 ベルギーのヌーボーシルク、「フェリア・ムジカ」という作品を、来年1月、川崎のクラブチッタで行なうことを最終決定。仕込みで未解決な問題もあるのだが、とにかくやるぞー。それと、カンボジアのサーカス、来年7月から、沖縄を皮切りに出来ないかと、これは企画を練っている最中。いち早く、この情報を書き込んだのは、このカンボジアのサーカスは、現地のPPSというNGO組織が運営しているサーカス学校で、戦争孤児、ストリートチルドレン、エイズの問題などを、ショーのコンセプトにしているので、そのようなサーカスショーの公演となると、いろいろな人の協力、ボランティアが必要なので、今からアピールしていこうとおもった次第。


★8月22日

15日(火) 成田からタイ航空641便11:00発で、バンコクへ。バンコクの空港で、洋子さんとレ・クザンのジュロに会い、タクシーでタイとカンボジアの国境の町・アランヤプラットに。夜9時過ぎ着。空港から約5時間。

16日(水) 朝8時スタートで、オートバイタクシーで、国境に。タイとカンボジアの国境の間のフリーゾーンに、ホテルとカジノが立ち並んでいる。ここからタクシー乗り場までシャトルバスで移動。そこでタクシーに。目的にバタムバンのサーカス学校に到着したのは12:30分過ぎ。ジュロが先生や生徒たちに、両手を合わせて挨拶をする。僕らもそれを真似て挨拶を交わす。丁度昼休みだったので、とりあえず、昼食ということで、ジュロや他の先生たちが食事を取るところに案内してもらう。そこは、生徒の一人であり、また演出もしている3世代家族が住んでいる家で、2階には、海外からボランティアできている先生が間借りしている。食事はお米と様々な野菜を使った炒めもの、煮物が中心で、後はさまざまなフルーツ.ほとんど毎日同じ食事内容だったが、時に牛肉を揚げた物や野菜の炒め物に魚が入っているものなどがでた。とにかくヘルシーな食事内容だ。2時からサーカス学校で練習をみる。小さい子どもから17,8歳の生徒たちがそれこそ芋の子を洗うようにマット運動、フロアアクロバット、ジャグリング、綱渡りと稽古している。そのなかにフラス人のボランティアの男女2名が小さい子どもたちにマット体操を教えている。夜、8時からショーを見る。ストリート・チルドレンの生活を描きながら、サーカス演技をする。メッセージがあるので、このままでは商業施設では難しいなと思う一方で、なんとかこのままのメッセージを持ったままのショーを日本国内で回せたらいいなと思う。町のなかのテオホテルが宿泊場所。一泊約20ドル。

17日(木)朝、ホテルで朝食をとった後、オートバイに三人乗り(運転手の他か、僕と洋子)で、サーカス学校へ。ホテルの前もあちこちの道路も冠水している。アレ、昨日雨が降ったかなと思ったが、実は雨は降っていない。上流で雨が降り、それがバタムバンの町を流れる川に集中し、その川から低い市内のあちこちに水が逆流していると思われた。サーカス学校を運営しているのは、実はPPSというNGO組織で、サーカス学校のほか、絵画教室、音楽教室、演劇教室がある。ほかに孤児や貧しい家庭の子どもを預かってる幼稚園もある。今後は小学校もつくる予定とか。その活動には頭が下がるが、このNGO組織のチーフ・ディレクターのデット氏も孤児だった。夜は別のショーを見る。昨夜のショーも見事だったが、とにかくフロアアクロバットは皆すごい。それにハンドアクロバット。この日のショーにはブランコを使った演技もあった。

18日(金)この日は、オートバイタクシーの乗って、サーカス学校へ。洋子は気に入った絵があるので、それを買いたいという。僕も付き合って、何枚か絵を買う。そのほかに、籠を使ったお面があり、それを買う。 午後、昨夜のショーのビデオを見る。ジュロが昨夜のショーのメンバーとそれを見ながら反省会をしている。夜、まだ14,5歳の子どもたちのショーを見る。そのなかに小人とジャグラーのコミック風の演目(但し、子どもではない)があり、これが受ける。僕もえらく気に入ってしまった。この演目を中心に組み立てれば、リトルへの提案が出来ると確信する。

19日(土)10時過ぎ、ジュロがホテルに。ジュロのオートバイで市場へ。ジュロは豆電球の飾りと中国風刺繍のある切れを探す。前者は購入できたが、後者は見当たらず。 午後は、フランス人ボランティアのメンバー、若い男女2名、漢方の先生、それにこのPPSでの活動がメインになっているジャン・クリストフの仲間の女性それに僕らを入れて、計7名で、バタムバンの郊外の20キロぐらいにある、プノン ソム プー寺院に。ここはポルポト時代、刑務所があった場所で、多くの人々が処刑された場所という。処刑といっても、その殺しかたは、恐ろしいまで残酷であったらしい。ガイドの話を聞いていて、ただ言葉失う。この日は、さらに小さなメンバーのショーを見る。まだ12,3歳と思われる少女の一丁2人ブランコの演目あり。ショーの後、このPPSの敷地内、周囲にサーカス学校、絵画教室、音楽教室の建物の間の、広い敷地に茣蓙を敷いて、パーティを開いてくれた。ジンギスカン風鍋を囲み、食事。ビール。カラオケで生徒たちは歌う、踊る。演劇を教えにきているフランス人のバレリーが踊りまくっていた。

20日(日)10時過ぎ、ジュロ、デット、サーカス学校の生徒一人がホテルまで。デットはプノンペンまで同行してくれる。ジュロとはここで分かれる。ジュロはまた国境からサイゴンに出て、フランスに帰る。2時少し前に、プノンペンに。ジャン・クリストフの紹介してくれたアンという女性の家に荷物を預かってもらい、博物館へ。5時前、オートバイタクシーで空港に向かう。プノンペン、サイゴン経由で、21日(月)朝、成田空港着。

21日(月) 10時過ぎ、ACCの事務所によって、2,3雑用を片付け、2時過ぎ、帰宅。


★8月14日

12日(土) ダンス衣装合わせと稽古。

13日(日) 12時過ぎにシアターXに。「5人の妖精」の鬼塚の彫り物(片岡昌作)が出来上がってくる。見る位置で、般若の顔がちがっいてるという凹面の彫り物。すごいテクニックだ。移動しながら見ると、般若の顔も動く。
この作品のひとつ、「兎ン婆」を踊るケイさんがバトンに吊るされたいというので、そのセットを取り付ける。アキコ・カンダさんとケイ・タケイさんがリハーサル。 その後、「平家女護島」のリハーサル。わがままなダンサーがいて、ついに大きな声を出す。9時まで稽古。その後、嶋田さん、大野君と少し飲む。

14日(月) 訳の分からない東京大停電。停電の地区の人々、どうすりゃいいのだろうな。明日からカンボジア。パソコンを持っていかないので、この日記を含めて、メールその他ストップします。


★8月11日

9日(水) 11時過ぎ、前橋経由でサーカス村に。前橋では会員でもある桐生さんにお会いする。なんでも前橋郊外に木工・家具工場は中心の産業団地のようなところがあり、そこにあき倉庫があるようなので、サーカス学校の新たな根拠地したらどうかということであった。僕としては、現在のサーカス学校をどこかに移動させるというようなことは考えていないと話をする。以前、会報などで前橋か高崎にあき倉庫はないか、そこをサーカス劇場として活用できないかと考えていますと書いたので、そのことをサーカス学校移転と誤解されたらしい。とりあえず、建物を見にいく。確かに利用できそうな建物もあるが、いささか地の利が悪いので、このあたりを利用することはないかなと思う。
サーカス資料館の庭、雑草に覆われている。今年は特に素晴らしい繁茂の仕方だ。雨のせいもあるだろう、僕が忙しすぎて、思うように草むしりできなかったこともある。 夜、関口さんと飲む。積る話というわけではないが、ひろみと篤のモスクワ行きが決まったことの喜びを改めて分かち合いながら、さて、これからどうしようかいろいろ話す。沖縄のキジムナーフェスタの話をしながら、来年、サーカス学校が参加できないか、そのために市、スポンサーの確保など出来ないかなと話したり、とか。

10日(木)一日中、おいっちらおいっちら、と草むしり。

11日(金) 朝6時から7時半まで、草むしり。その後、学校に行き、ケイ・タケイさんがダンスで空中に吊られたいといっているので、その道具を用意し、東京に戻る。もう少しゆっくりしたかったのだが、こんな時に、返って、東京の事務所においてある資料をコピーし、送らなければならない用事がでてくる。
夕方、日本テレビの大道芸コンテストに出たJa・ルーカに事務所に寄ってもらい、札幌だい・どん・でんの話をする。
今日で、姜栄曙さんが店をしめるので、ちらっと寄るつもり。明日から女房がお盆で徳島に帰るので、余り遅くはなれない。


★8月8日

8月8日(火) 朝、ポイント型集中豪雨とかで、小田急線乗った電車が40分遅れで新宿へ。お陰で今、読んでいる「真田太平記3」を読了できた。でも、鳩森神社社務所内の部屋で受けなければならないインタビューに10分遅刻。インタビュアーは「The Japanese Village」というドキュメンタリーを制作しているフランス人イザベルさん。彼女は明治20年に京都で興行したチャリネ曲馬団と一緒に海外に出てしまった川村音吉という曲芸師の直系の子孫とかで、川村音吉を追いかけるとともに、サーカス、曲芸を通した日本を描くとしていて、僕にはサーカス学校のことを聞きたいということであった。約2時間、雑談風にサーカス学校、日本のサーカスについて話す。
午後は、ひろみ・あつしのテレビ番組を作りたいというプロデューサーがACCに来社。その後、天津雑技団から送ってもらったDVDを見る。でもなんとなくゆっくりした気分。明日から2,3日サーカス村に行くつもり。


★8月7日

3日(木) 午後1時5分のフライトで沖縄に。沖縄市で行なわれているキジムナーフェスタ(2006国際児童・青少年フェスティバルおきなわ)を見にいく。
去年から始まったこのフェスタ(前史は1994年の同名のフェスティバル)、沖縄の友人・大城氏が去年資料を送ってきてくれて、大いに興味を持ち、先日、宮古島に遊びに行く途中、沖縄市により、この実行委員会の下山氏にお会いし、いろいろと情報交換。
実は、それでもこのフェスタを見にいくことを半ば諦めていたのだが、カナダから参加している”サーカス・インフェルノ”のプロモーター・ランバート氏からメールをもらい、やはり行かねばということになったのだ。そのサーカス・インフェルノの初日が土曜日。土曜日はダンスの練習日なので、悩んだのだが。えーい、とばかり飛行機に乗ってしまった。
那覇空港について、タクシーにのり、沖縄市コリンザ前のテント会場に直行。

4日(金) 10時からの児童演劇国際シンポジウムを覗く。玉川大学の太宰久夫先生がパネリストの一人として参加していた。
この日は5本のショーを見る。夜、フェスタのセンターで、沖縄タイムスのインタビューを受けている時、俳優の柄本明氏とばったり。「西田さん、なぜ、ここに?」といわれてしまった。30年以上前、新宿の飲み屋でよくあったものです、彼とは。

5日(土) 午後1時、「サーカス・インフェルノ」をみる。実は、これはサーカスではない。ドタバタ。というか、新しいサイド・ショー。サイド・ショーとは、昔、サーカステントの周りでやっていた見世物のこと。(日本でも同じだったけどね)サーカスの会場かどうか別にして、開演前の会場に着いた男女が、舞台の上に上がってしまい、あれこれ派手にドンチャンをやるという嗜好。子供たちは大喜び。それにしても、花火、火薬の爆発、火炎と火が盛りだくさん。消防署の許可を取った人に敬意を表したい。再び柄本氏と、お茶を飲む。少し話が出来る。
20時50分のオフライトで、羽田に。到着後、走る。京急で横浜へ。横浜から相鉄線で大和に。大和から小田急線で南林間へ。25時、自宅に。

6日(日) 11時30分、家を出て、豪徳寺のケイさんのスタジオに。ダンスの稽古。そろそろ、物事をきちんと決めていかなければ。ここへきて、少しばかり”自分で考えて、踊って”という、僕の意図が伝わってきたかな。まだ、演出しないこと自分勝手に踊ればいいと思っている人もいるが。岡庭秀之さんと少し話が出来る。 娘が今日から1ヶ月、カナダに、ホームステイだ。

7日(月) 朝、大船の胃腸科の病院に。先日の健康診断で、胃になんとかで検査しろと言われる。今日の結果は21日にしか分からぬが、医者曰くまあこの程度なら軽度の潰瘍ですね、癌ではないでしょうと。それにしても、朝食抜きだと僕の血圧は無茶低い。上が80台だもんね。こちらは原因不明。


★8月2日

7月28日(金) サザンシアターで劇団1980の『ええじゃないか』を観る。この劇団は亡くなった今村昌平監督の映画学校関連の劇団で、今回の『ええじゃないか』も、監督の同名の映画の舞台化である。期待していたのだが、一部を見て出てしまった。舞台化がどうやら映画に忠実で、ちょっと退屈してしまったのだ。最後まで見てもよかったのだが、これは半分見て、残りは自分だったどうするか考えようと思ったのである。ええじゃないかの精神でいえば、舞台もまた、ええじゃないかと壊して欲しかったというのが、僕の期待していたところだった。前半は見る限り、破綻がない。そこが僕には不満だったのだ。岸田理生原作の『糸地獄2006』も然り。破綻がない。そこに、ぼくは馴染めないものを感じてしまう。破綻がいいというのでもないのだが。

29日(土) ダンスの稽古。こちらは纏まりなし。皆、思いつきで好き勝手を言うようになっている。どうなるのか。

30日(日) この日も同じ傾向だ。人のダンス、あるいは<語り>に思いつきで、意見を言っている。我慢の日々だ。

8月1日(火) 終日、サーカス村会報発送の準備に追われる。ひろみと篤のモスクワ行きが決まったので、いろいろな人に報告したい、感謝したい。それにIDTFのパンフレットも同封したい。簡単な文章を書いて、これも同封したいので、ものすごく時間がかかる。

2日(水) なんとか会報発送の準備完了。680通になってしまった。通常の倍の量だ。そのほとんどに、一筆、モスクワ行きが決まったことの礼状を書く。クタクタだ。その後、ダンスの書き直し台本を仕上げ、音楽の嶋田さんにファックス。ケイさんには郵送12部。なにしろ、明日から沖縄行き。キジムナーフェスタ(2006国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ)に駆けつけるつもりだ。7月29日から始まっていて、8月6日まで。全作品を見たいがとても無理。カナダのサーカス・インフェルノというのが来ていて、この作品のプロモーターから”ぜひ、見てくれ”との連絡があり、行く決心がついた。だがプロモーター本人は、香港まではきたのだが、沖縄までは来ず。公演が土曜日なので、ダンスの稽古、僕は休み。さて、どうなるか。


★7月28日

27日(木) 『へいせいの田楽 平家女護島 をかぶく』 午前中に仕上げる。夜、このへいせいの田楽に出演してくれる岡庭秀之さんがでている岸田理生原作『糸地獄2006』を、世田谷のシアタートラムに見にいく。お芝居ににって  いるのだが、あまり面白く感じられなかった。その理由がわからない。岡庭氏はよく動いて、役柄をこなしていたのだが。

28日(金) これからサザンシアターで『ええじゃないか』を見るつもりだ。


★7月25日

25日(火) 今日はなんとしてでも『へいせいの田楽 平家女護島 をかぶく』の最終稿を仕上げなくてはならない。

24日(月)猛烈な勢いで、事務処理。11時過ぎ、ザ・グレイト・モスクワ・ステイツサーカスのカスチューク・タチアナご夫妻が来社。ひろみ・あつしのモスクワ公演について話をする。結論は、秋からの土・日公演に参加するのではなく来年2月から7月まで半年間の公演に、正式な出演者として参加させてもらうことになる。エキストラ(臨時)の出演ではないということだ。そのためには、いろいろと演出面で工夫して欲しいとのこと。そのほか、リトルワールドの秋の公演の契約、その他の仕事の話をする。
7時過ぎ、新宿ゴールデン街”中ちゃん”に行き、吾郎さんに、ひろみ・あつしモスクワ行きを報告。吾郎ちゃんも大喜びしてくれる。”しの”のママにも報告。酔っ払って、帰宅。

23日(日)昨夜の打上げの余韻というか、なんとなく、ボーとしている。いい気分のまま、朝食の用意。資料館宿泊者は、ワークショップ参加者残留組、藤山晃太郎さん、長滝谷良子さん、栄原麻衣さんに、サーカス村へ深呼吸しにきているダンサーの山田いづみさん、それに関口事務局長、ACCの哉ちゃんに僕の7名。みんな、それぞれにほっとしているような、、。
9時過ぎ、資料館を後にして、ACCの事務所に向かうが、時間的に1時にシアターXに到着できそうなので、国道17号に出て、大宮から首都高速に乗り、太田橋で降りる。飯田橋駅近くで、藤山さん、長滝谷さんとわかれ、錦糸町に麻衣ちゃんを送り、シアターXに。車を哉ちゃんにお願いし、山田さんとシアターXで、日本現代舞踊の流れビデオ全6巻の完成、内2巻上映、この記録をまとめた日下四郎氏の話。これを見聞きする。
7時30分帰宅。かあちゃんに、ひろみ・あつしがモスクワサーカス劇場出演の話をする。かあちゃん、喜んくれ、先日、サーカス村を訪問した友人2名に早速報告。NHKテレビで”ワーキング・プアー”を見て、床に就く。


★7月22日

20日(金) 奇跡が起きた。ロシアのグレイト・モスクワサーカス(日本風にいえばボリショイサーカス)の代表カスチュークに、香山啓(大一輪車)と高村篤(ジャグリング)でコンビを組ませた番組をプレゼンしていたところ返事が来た。彼のモスクワの劇場、つまり、レーニン丘のサーカス劇場に出演させてもいいという。早速ナージャ先生に報告。先生と抱き合って喜ぶ。但し、本人たちも含めて、他の生徒、ワークショップ参加者にはすぐには知らせず、この日は発表会初日なので、その最後に、いわば衝撃的発表を行なう。啓はぼろ泣き、篤は目を点にしていた。その後、皆が二人を胴上げ。
名古屋からワークショップに参加していたプレジュー企画の5名は、残念ながらこの日で帰らなければなず、明日の打上げに参加できないのだが、彼らも二人の快挙に興奮気味だった。なにしろ、これは日本のサーカス界の快挙といってもいい出来事だし、それ以上に、同じように、サーカス技、肉体訓練をしている彼らにしてみれば、共通の夢の実現でもある。
僕といえば、開校以来、世界のサーカス界にアーティストを送りだすことが、開校のひとつの目的であると、取材される度に話していたので、それが現実となり、開校以来5年間、その目的がかなったという感動、満足感に自然顔がほころぶ。丁度、『週刊女性自身』が、”シリーズ人間”で、取材に来ていたので、彼らも二人にインタビュー。地元、「桐生タイムス」も取材。このニュースはたちまち全国に伝わるだろう。夜、関口さんに報告。翌日聞けば、一人で乾杯していたという。来週カスチュークと具体的な話を詰めることになるだろう。

21日(土) 発表会2日目。昨日は30名ほどのお客だったが、今日は100名を越える。桐生タイムスの佐藤さんが、二人のボリショイ行きの記事を掲載してくれた新聞を持ってきてくれる。タイトルに”夢切符”のも文字が躍る。ショーはお客の反応もよく、無事、5年目の授業のすべてが終了。東京から来てくれた人も。
この5月に入学した松本マリちゃん(15歳)の父親、弟、妹が松江市から駆けつけてくれていたが、父親は、わずか2ヶ月で、一本綱、男女ペアのアクロバットなどの演技をこなす娘に感動していた。信じられないと語る。
国民宿舎サンレイクで打上げ。明日、先生は帰国なので、お別れ会でもある。先生は、ロシア行きの二人を含めて、生徒たちが育つことを本当に心から喜んでいる。僕としては感謝に絶えない気持ちだ。明日は、フクちゃんが早朝、桐生駅まで送ってくれる。


★7月19日

19日(水) 今日も一日雨。一時、国道122号線通行止めになる。それでもワークショップはなんとか予定通りできる。僕は炊事班。夕方には、哉ちゃんがきてくれたので、夕食のカレーはお願いして、他の雑用をこなす。


★7月17日

12日(水) 山本光洋氏と札幌に。札幌・琴似駅そばに再建された、生活支援型文化施設コンカリーニョで、彼の”かかしになるために”を公演するためである。このコンカリは、NPO法人が作ってしまった施設で、何千万円か借金して作ってしまったというもの。その行動力というか、作ってしまった力、組織力、それぞれの人々のエネルギーには、頭がさがるのだが、ぼくとしては、この施設とシアターXとの関係を、作品を通して連携していきたいなと考えている次第。 コンカリ到着。NPO法人コンカリの代表斎藤ちずさん、理事の高橋さんたちのお会いする。打合せ。夕方、金井圭介君の会う。夜は、歌劇蝶々夫人を見せてもらう。観劇後、飲み屋さんで、穴澤さんにあう。9月の札幌の大道芸フェスに、サーカス学校の出演を依頼される。

13日(木) ”かかしになるため”公演。客足はいま一つだったが、反応はよく、次につながる公演になった。よかった。

14日(金) 光洋氏は、早朝、名古屋に飛ぶ。ぼくはゆっくり、東京に。事務所にでる。

15日(土) ダンス稽古

16日(日) ダンスの稽古。ちょっと、いらだつ。

17日(月) 9時に、ワークショップに参加する、藤山晃太郎君、栄原麻衣、長滝谷良子さんらを車に乗せ、ACC事務所をでる。午後からワークショップ開始。

18日(火) 本格的にワークショップ開始。午後、発表会のリハーサル中、七奈がブランコから落ちて、右肘、脱臼。さやかも綱渡りから落ちる。七奈はしばらく活動できない。


★7月8日

1日(土) ダンス稽古 プーク人形劇場で、「びりとブッチィー」を見る。ちょっとものたりないかな。その後、こうじ君、竹内さん、哉ちゃんと飲む。

2日(日)ダンス稽古。

3日(月) シアターXで、「5人の妖精」の舞台場当たり稽古。みんなすごい。

4日(火) シアターXで、「平家女護島」の舞台を使って稽古。とにかく通して、全体の構成を決める。かなり様子が見えてきたので、これからは気になる部分を集中的に手直ししていこう。夜、サーカス村に。

5日(水) 10時に、みどり市役所に。市長、副市長に、関口さんと一緒にお会いする。その後、東京に。

6日(木) デスクワーク。夜、再びサーカス村に。

7日(金) 11時に 総務省地域開発課、群馬県、長野県などの同課の職員20名ほど、サーカス学校視察。発表会の演目を皆から聞く。東京へ戻る。

8日(土) ダンス稽古。ダンサー同士の意見のやり取り。こんな日があってよい。それにしても、サーカス村行ったり来たりで、くたびれる。来週も月曜サーカス村入りで火曜日東京戻り。水曜日からは光洋さんと札幌だ。


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